カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

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東京での平和行進

2010年3月20日

IMG_1885.jpg撮影:わだ晶子
 アメリカ軍のアフガニスタン増派によって、パキスタンの治安は表面上はともかく、治安はさらに不安定なものになってきている。アフガニスタンの国境近くに住んでいるこちらとしても、人ごとではない状況だということを認めざるを得ない。
 そんなとき、World Peace Now からのメールマガジンで、アメリカのイラク攻撃7年目にあたる3月20日に芝公園で集会が開かれ、その後にデモパレードがあることを知った。7年前のイラク攻撃反対の平和行進デモにも参加したことだし、ちょうど東京にいたので、友人を誘って出かけてきた。
 7年前のときは、子供からお年寄りまでの一般の市民、韓国の方、西洋の方、楽器を持ってきて音を出しながら行進する人、妙法寺の和尚さまたち、奇抜な仮装のパフォーマンス系の人など様々な人たち数万人が集まり、見ているだけでもおもしろかった。「あら、久しぶり。あなたも来てたの。元気?」と普段会わない友人ともばったり会ったりした。
 今回はあのときから比べると、集まりが悪く、新聞記事では800人。実際はもっといたように思うが小規模だった。子供や若い人が少なくて、自分も含めておじさん、おばさんが多かった。それだけ、イラクやアフガニスタンの問題が日本の人々の感心を引かなくなったということだろう。
IMG_1897.jpg
撮影:T和子さん
 パキスタンに住んでいる私に比べれば直接的ではないにしろ、日本の国民はイラク、アフガニスタンについて、アメリカ経由で多いに関わっている。しかも、関わり方が向こうの国民の生活を破壊する方向に加担しているということをもっと認識しなければならないのに、日本の若い人たちは今や、下を向いて、目まぐるしくどんどん変わっていく新モデルのケータイなのか、アイ何とかというのか知らないけど、視線がそれに貼付けられて仮想世界に入り込んだまま、顔を上げて生の現実を見ようとしない。現実の世界では、どうせ何をやっても無理だと諦めているのか、卑屈になっているのか知らないが、若い人たちが動いてからこそ未来は変えられるのにと残念に思ってしまう。
 文句を言うわけではないが、企画する側ももう少し若い人が集まるようなイベントを盛り込み、積極的な広報活動をしたらよかったろう。たくさんの若い人たちを集めて盛り上げたら、メディアにも取り上げられて、世の中の注目を集められたのにと残念に思うが、でも何にも行動しないよりはもちろんいいけどね。


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講演会が終わって

2010年3月18日
 3月13日、国立市公民館で、講演会「パキスタンの少数民族の谷で暮らして」を開いた。80名収容の地下ホールがいっぱいになるほどたくさんの方々に来ていただいて盛況でした。この会に関わってくださった公民館の山崎さん、井口さん、林さん、そして公民館を紹介してくれた友人の井谷さんに感謝です。
 写真集やクラフトも紹介して、買っていただきましたし、支援金もいただいて、これからのルンブールでの活動をつなげていく大きな励みになりました。

 内容的には講演会というよりも、1)パキスタンの国の地図 2)首都イスラマバードやチトラールの町の写真 3)カラーシャの村や人々の様子  4)2009年の活動 などのスライドショーやムービーなどを観てもらいながらの報告会といった風でした。2時間の枠の中で、最後の30分を簡単な質疑応答のためにとっておかねばならないので、1時間半で話をまとめねばならず、ちょっと早足だったかと思えますが。

 私は自称フォトグラファーなのだが、本来のフィルムを使って撮影するカメラは、ここ数年間は、建物の建設のこと、およびキラン図書室や創作クラフト活動などに忙しくて、ブリキの長持ちにしまったまま。スライドフィルムも期限切れで使えなくなっているというなさけない状態。記録のための建築過程の写真や活動の様子の写真は、2002年に上の弟から「カラーシャの祭りなどを記録するために」と買ってもらったデジタルビデオカメラの静止画モードで撮っていたが、画素数が低くて、拡大して見るためのものでない。
 昨年、下の弟から古い小さいデジカメをもらってから、ようやくパソコンに取り込める写真を撮れるようになったが、しかし、昨年はパキスタンの都市、ペシャワール、イスラマバードは、アメリカに後押しされたパキスタン軍の、国内タリバン掃討作戦が大々的に始まっていたので、前のように、1人でぶらぶらバザールを歩ける状態ではなかったので、写真もほとんど撮っていない。だから、スライドショーといっても、自分の中ではもの足りないものではあったが、あれ以上写真を増やしていたら、いくら時間あっても終わらなかっただろうから、あれでよかったといえばいいけどね。
 それと、私の脳はぱっとひらめくのだが、脳から言語の回線を経て口で言葉として発する機能があまり良くなく、思ったことと言いたいことがうまくつながらなかったり、ぐちゃぐちゃになったりするので、スライドショーの説明をするのも原稿があった方がいいと、前もって原稿を作って2度ほど予行演習もしていた。その結果、原稿通りに普通に読むと時間オーバーになってしまうので、早口で読まねばならないことがわかっていた。
 講演会の当日、事前に予期していなかったことが発覚した。つまり、スライドショーのために会場の電気を消すと、手元の原稿が暗くて読みづらくなるということと、80人ほど入る会場だから後の方々のためにはマイクを使わねばならないということ。マイクはどうにか立ててもらったので、手で持たずにすんだが、パソコンでスライドショーの送りをマウスでクリックしながら、暗い中で原稿を読むのは、老眼がきている身としては容易くない。はっと気がついたら原稿を読まないで、頭で覚えていた言葉でスライドショーを進めていたのです。カラーシャについては大丈夫だったが、パキスタンの平和問題に関して言いたいことを言い得てないことに、終わってから気づいたわけです。

 以下はそのとき言いたかったことの要約です。
 「アフガニスタンへのアメリカ、多国籍軍の軍事関与で、どさくさにまぎれてパキスタンの村も越境攻撃を受けて、かなりの数の子供女性を含む普通の住民が命を落としたり、怪我したりして犠牲になっている。こんな不条理なことをしているのに、自分たちは正義のために戦っているのだと、平気な顔して大嘘をついて莫大な軍事資金を無駄に使って殺人をしているアメリカやそれに協力している国々に、ちゃんとおかしいではないかとアピールしていかないと、パキスタンの平和問題だけでなく、日本も今以上にアメリカの軍事基地化してしまう。世界が戦争だらけになる」
「中村医師が率いるペシャワール会は先月、命をつなぐための緑の大地事業として、25、5キロメートルものりっぱな灌漑用の水路を完成させた。費用はいくらだったか把握していないが、2000万㌦(20億円)ぐらいだろうか?こういった援助こそがアフガニスタンには必要である。片や、日本政府は、2001年9月から09年11月までの8年間でアフガニスタンに対し、18億ドル(およそ1800億円)のODAを行なってきたというが、実態はどうだったのだろうか?1800億円ものに日本国民の貴重な税金を使って、何かアフガン国民のためになることをしてきたのだろうか?アフタニスタンの不正・汚職率は世界でトップ3に入るそうだから、支援金の多くは私腹を肥やしたアフガン役人やアメリカの軍関係の商売人に行き着いただけという可能性が多い。」
というような話もスライドの合間にしたかったのに、できなかったのが残念だった。

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撮影:ジョジョ澤渡
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