カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

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シェムリアップ滞在

09年11月3日

 昨夕、カンボジアのアンコールワット遺跡のそばにある町、シェムリアップからバンコクに戻ってきた。
 シェムリアップでは始めの2日間は日本の友人のアパートに世話になっていたが、友人はベッドを私に使わせてくれ、彼女は堅い床にござを敷いただけで寝ていたので、どうも申しわけなくて、歩いていける距離のゲストハウスに移った。(後で、「堅い床にござだけで寝る」というのは、地元の人には当たり前のことだとわかったが)
 カンボジアについては、アンコールワット、プノンペン、ポル・ポト、大虐殺、地雷の単語以外は何も知らず、シェムリアップという町の名前も友人が住んでいるということで最近知ったばかりだ。アンコールワット観光のために観光客が滞在するために新しくできた町というから、地元の人たちは外国人慣れしていて、すれているだろうと思っていたけど、オートバイやツクツクの運転手の人たち、土産物店の人たちもみんなやさしい目をしていた。(もっとも、遺跡のそばでみやげを売る女、子供たちはけっこうしつこかった。)
 友人は自宅で日本語教室を開いていて、生徒さんたちと話しをすることができたのも、なかなか興味深かった。シェムリアップでは、ドライバーの仕事以外の、店や会社で働いているのは女性の方が男性より多いように見え、細いジーンズを着こなし、オートバイをさっそうと運転する若い女性たちは、けっこう力もあり、自由に遊んでいるのかと思ったが、生徒さんたちからきいたところによると、女性は、特に結婚前の若い女性は人前ではお酒も飲まないし、夜遊びもしないという。日本の昭和30年代くらいの状況だろうかと思ってみたが、ただシェムリアップでも携帯電話が普及していて、若い人は誰でも持っているどころか、新種が出たらお金がなくてもどんどん買い替えるらしいから、やはり明らかに昭和30年代ではない。
 数えきれないほどのホテル(一流ホテルから安宿まで)があるのに、まだ次から次へと新しいホテルが建設されていて、観光ガイドも毎年2000人が登録するという現状で、これからこの町はどうなっていくのだろうと、よそ者とはいえ考えてしまうが、一歩町から離れると、カンボジアならでの村の風景と暮らしがあった。運良く、友人のカンボジアの友だちの実家を訪ねることもでき、滞在最終日にはシェムリアップ川で水祭り1日目の、舟競争と花火も見ることができて、単なるアンコールワット見学だけでなく、楽しいカンボジア滞在だった。
 本当のこと言えば、アンコールワット見学では、デジカメの替えのバッテリーを忘れてきたんで、(いつもカメラと一緒に持ち歩いているのに、初めて忘れた)、アンコールワットそのものの写真はゼロ。でもアンコール・トムの始めの方は撮ったからいいや。アンコールワットの写真はたくさんあるからね。IMG_4215.jpg
写真:舟の対抗レースでみんな盛り上がる
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09年10月26日
 バンコクにきてからはよく歩いている。チトラールだったら、バザールの店で買い物しなくても、店主は「座れ、座れ」と座りたくなくても椅子を進めてくれるが、すべてが「商売」で、外国人が腐るほど歩いているバンコクのカオサンでは、そんな奇跡があるはずがない。屋台の麺類やおかずが乗ったご飯など30バーツ(90円)から食べられるので、休憩がてら座って食べたらいいけど、すぐお腹いっぱいになって、そうは梯子ができるもんではない。
 今日は旅行代理店、両替屋の梯子で汗だくになり、美容室に飛び込んでしまった。日本に半年は滞在せんといかんし、この際、このバサバサの山姥みたいな髪の毛をどうにかしよう、日本の半額以下でできるんだからと、20数年ぶりにパーマに臨んだ。ストレートパーマちゅうやつに。けっこう、たくさんのプロセス(3時間)をまじめにやってくれた。(と言いつつ、私にかかってくれたスタッフたちは、テレビ番組の方が私の頭より興味あるようだったが)結果は?アメリカにいる姉貴にそっくりになって、なんか気持ち悪いのだ。元のウエーブが少しほしい!とにかくつるんつるんに不自然にまっすぐなのだ。
 ということで、私はパキスタンとえらく違う体験をしております。明日はカンボジアのシェムリアップで仕事をしている友人にバスで会いに行きます。東京には11月4日に到着予定です。

写真:チトラールで食べられなかった魚介類のメニューがいっぱい。

バンコクに着いた。

 今日未明夜中の1時にイスラマバードを経って、朝6時(現地時間)にバンコクに着きました。
 カナダの北極圏の近くに住むカナディアン・インディアンの村で、カラーシャ族以上に消え行く彼らの文化を保存するために、2年間以上ボランティア活動したり、世界のいろんな国に気軽に出かけ、その土地の人たちとすぐ友達になってしまう、旅の達人、佳世さんに、事前にバンコク、カオサンの為になる情報をメールで訊いていたので、今回は安くて清潔な宿をスムーズに見つけられ、その日のうちに、東京までの安い航空券の情報をつかめて、今、屋台で厚揚げの切り身がたくさん入ったタイヌードルを食べた後、LANが設置されているレストランでただのインターネットを接続して、パパイヤサラダをつまみにビールを余裕で飲みながら、ブログ更新しています。
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写真:厚揚げ入りヌードル
 一番安いフライト(ノースウエスト)は毎日飛んでいて、いつでも席が取れるということなんで、あさって、カンボジアのシアムリアップで日本語を教えている友人を訪ねようと思っています。ここカオサンから直行バスが20ドル以下の値段で出ていて、その日のうちに到着するらいしから、行かないわけにはいかないよね。それでも長居はせずに、11月の始めには東京に到着するよういたします。

危険がいっぱい

09年10月22日
 昨夕、ファジアが「今、うちのブロックで警察がテロリストを捜査しているとのニュースがあり、ここにいるのは危ないんで、私たちは母さんの家に行くことにしたけど、一緒に行く?」と言う。よその家に泊まるのは気が進まないけど、何かあった場合、残ったコックさんたちとコミュニケーションするのも難しいし、携帯電話も持ってないので、ファジアたちと一緒の方がいいだろうと、バックバックにパソコンと着替えを詰めて、ファジアの母さんと兄さんが家に避難することになった。
 結局、夜9時半ごろ、またファジアの家にみんな戻ることになったんだけど、今朝のニュースで隣のブロックで警察官2人がテロリストから殺されたと知る。その後、ファジアの夫の両親が住むブロックでも警察とテロリストとの銃撃戦が行われているという。イスラマバードも今や安心して住めなくなっている。
  

想像以上に治安悪し

09年10月21日
 昨日の午後、ファジアたちはテレビに釘付けになった。ここからそう遠くないイスラミア大学の構内2カ所で自爆テロが起きたとのブレイク・ニュースだ。ファジアの夫は国連の麻薬撲滅関係の仕事で、週日はペシャワールで働き、週末に家に戻ってくるが、男手がないと不安なので、遠縁のアサランさんが週日はファジアの家に泊まり込んで、運転や用事をやってくれている。そのアサランさんの奥さんの姪ごさんがイスラミア大学で勉強しているというのだ。
 自爆テロの1つは女性専用のカフェテリアで起こり、死傷者のほとんどが女性だという。何で、過激なムスリム・テロリストがイスラームを学ぶ大学の、それも女学生をターゲットにしなければならないのか理解に苦しむ。
 アメリカ政府の後押しで行われているパキスタン軍のタリバン掃討作戦が、最近はアフガニスタンの南東に位置するワジリスタンで強化され、1回の攻撃で数十人の村人が命をうばわれている。その犠牲者たちはタリバンだけでなく女性や子供も含まれている。タリバン側から言わせると、「軍の無差別攻撃を止めない限り、こっちだって女性子供をもターゲットにする自爆テロを止めないぞ」ということだろうが、迷惑なのは99%を占める一般庶民だ。タリバンも軍も両方とも「気違いに武器・爆弾」状態なので、このままだと、いつまで経っても終わらないだろう。
 アサランさんの義理の姪ごさんは授業中で無事だった。ホステル暮らしの彼女は、昨夜はファジアの家に来て、私と客室をシェアして泊まり、大学が一時閉校になったために、今日帰省していった。
 姪ごさんは法律を勉強していて、将来は裁判官になりたいと言っていたが、より多くの女性たちが社会に入り込んで、今の、権力、賄賂、見栄だけの男性社会を明るくソフトなパキスタンに変えていってもらいたいものだ。

私は23日~24日の夜中のフライトでバンコクに飛びます。
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