カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

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05年8月1日~13日



ー多目的ホール&仕事部屋建設作業は進まずー
 7月19日から2週間留守にしてバラングルに戻る。多目的ホール&仕事部屋の窓や戸を作っているはずの大工さんは、自分の畑で刈り取った小麦を牡牛を使って脱穀する作業その他の家の仕事でしばらくは休みということ。多目的ホールに隣接してに造るトイレのための浄化穴を掘る作業も、穴を掘る場所のそばにジャマットとおじさんの畑で収穫した小麦の束を積んだままなので、できない状態。
 近年は畑の作業も機械が紹介されるようになり、ジャマットの小麦も脱穀機ですばやくやってしまおうという試みのようだが、アユーンからやってくるレンタル脱穀機は引く手あまたのようで、明日来る明日来ると言いながら、なかなかやってこない。脱穀機の番がまわってきたのは8月9日で、あんなに山と積まれていた小麦の多くは虫食いで、脱穀したら2俵ちょっとにしかならなかったという。2家族分の小麦の収穫がたった2俵とは考えてしまうが、それでもないよりはましと言わねばならないだろうか。
>girl & cultivationg machine

写真:初めて見る耕運機を眺める少女たち

ー写真集の重版ー 
 ラホールのサンゲミール出版社から2年前に1000部出版された私の写真集、半分以上は私が買い取って売ったわけだが、やっと初版が売りきれそうになり、重版することになったという知らせ。それにあったって、初版で直しがあれば1週間以内に校正するよう言われて、自分の写真集を初めてじっくり見る。(自分の本となれば、どうも恥ずかしくて、つい・・・) 
 日本でもし写真集を出すんだったら、文章の校正はもちろん、色校も数度にわたって行われるはずだろうが、パキスタンでは一度モノクロのコピーで全体的なチェックをしただけで、後はなんかよくわからないけど、ゴーという雰囲気で出来あがってしまった。出来あがってびっくり、”私が知るカラーシャについて”の各ページの下に、フィルムの状態で写真集に使われた写真がピックアップされて載せてある。ま、アイデアとしては悪くはないかもしれないが、そうするんだったら、事前に私に知らせてほしかった。そしたら、書いてある内容に即した写真をそのページに載せれたのにと、残念な思いをした。重版にあたって、写真の入替えなどは無理なようで、目をつむるしかない。あと、写真集の最後に近いページの”ルンブールの祭り行事”も、春祭りのジョシの後はプッツン切れていることを発見。これは出版社のミスだけど、今度はちゃんとチョウモスの祭りまで入れてもらうことを願う。

ー死んだらどうなる?-
 8月3日、高橋美智子さんが訪ねて来られる。名古屋の並木教授夫妻の親しいお友達で、ここ十数年間はネパールに魅せられて、年に何度もネパールの山にトレッキングに出かけてらしたが、今年はパキスタンの山のトレッキングもと、スカルドゥのガッシャブルム方面のトレッキングをされた。パキスタンに行くのなら、ぜひチトラール地方に住んでいる私のところにも訪ねてみなさいと並木先生に言われて、わざわざやって来られたわけだ。高橋さん個人的にはネパールの子供たちの教育支援なども続けておられるが、こちらでも何かできることがあったら協力しますよとの暖かい言葉をいただく。
 高橋さんは子供の本の出版に関係する仕事をされているので、例えば、語り部の語る物語を紙芝居にできたらと語っておられた。カラーシャの語りを残す件に関しては、すでに美穂子寄付金、そして丸山純&令子夫妻の協力によって、何か形になる日も遠くない状況にはあるが、出版方面での協力者があれば、それはもう鬼に金棒、近い将来に具体化する可能性が見えたということで、多いに喜ばしいことだ。
 さらに高橋さんの話の中で印象深かったのは、「私は主人も亡くなったし、何かあった場合にと、毎年元旦に遺言状を書き直しているのよ。日本の物価の中でも驚くほど高い費用となる葬式代も戒名料も不要。そのお金を、ほんとうに必要をしている人たちに使ってくれと、残された家族にわかりやすく具体的に書くんですよ。」という話。
 私もこういうところに住んでいて、もしものことがあったら、残された日本の家族が戸惑うだろうから、きちんと遺言状を作っておいた方がいいかなと真面目に思う。チトラール地方内で死んだら、多目的ホールの敷地内に埋葬してもらい、チトラールから離れたところでパキスタン内だったら、ラワルピンディーのヒンドゥー教徒の焼場で荼毘に付してもらい、骨は適当に処分してもらう。骨は少し、多目的ホールの敷地に、少し親の墓にというのが妥当なのかな。でも、親の墓に入ると、戒名がどうのこうのと言われるだろうし・・・では戒名なしで、私の雀の涙ほどの銀行貯金の一部を志しにお寺に払う、残りの貯金の金は、ルンブール福祉文化開発組合に寄付する・・・なあんて、いろいろ考えてしまう。

ー少数派代表国会議員の来訪ー
 バンダラ氏が8月11日から12日にかけて、カラーシャ三つの谷を訪問されるという知らせが入った。
前回の5月の訪問で援助金(2900ルピー)が行き渡らなかった家に、援助金小切手を渡すためだ。前回はバンダラ氏のために集まった人が少なかったと氏の秘書からクレームがあったので、(春祭りジョシの最中だったので仕方がなかったのに。)じゃあ、今回は歓迎の意を形に示そうと、二日前の早朝から旗作りを始めた。
 物のないカラーシャ谷に住んでから、不要な木皮や箱を煮てついて、手すきの紙を作ったり、古着から子供の服や座布団カバーを縫ったり、(さらにそれが古くなったら鍋つかみやぞうきんを作る。)私は物を捨てずに活かすことに楽しみを覚えている。どんなに小さな布切れも、いつか使う時があるだろうととってあるのだ。しかしながら、前ほどにリサイクル創作をやる時間がなくなってきて、狭い部屋はボロでいっぱいになりつつある。
 歓迎の小旗は、それらの布切れを使ってしまういい機会でもある。長方形の布の端に細切れの布を飾りとして縫い付けたものや、布切れを三角に切り、端を縫い、とんがり部分に赤い毛糸のポンポンを付けたものに、ひもを通したものだが、最初半日もあればできるだろうと思っていたのが、丸々2日半かかってしまった。2日目は村の若い娘たちに手伝わせようと、人が集まるヤシールの家のベランダで作業したが、娘たちは「きれいだ」とか「上手ね」とほめるものの、手伝おうとしない。ミシン作業は民族衣装縫いで慣れてるはずだからと、無理やり手伝わせると、端縫いができない。それでも時間があれば、コツを教えて皆にやってもらいたかったが、結局自分でやった方が速いということで、ひもに通した旗4本、「歓迎・国会議員サヒーブ・M.P.バンダラ」と大きな字を、黄、緑、紺の絵の具で色つけしたバーナーを1枚作りあげた。水力発電の工事で電気がないので、デジタルビデオの充電が出来ず、写真が撮れず、このページでお見せできないのが残念。

ーよくもここまで嘘がー
 7月9日、ムシャラフ大統領がシャンドゥール峠のポロ・マッチの後にボンボレット谷に非公式で訪問された。前日に何機ものヘリコプターや大勢の軍隊がボンボレットにやってきて、あわただしかったが、ムシャラフ大統領自身がいらっしゃる、いや大統領夫人がいらっしゃる、いや、軍のナンバー2がいらっしゃると話はいろいろで、確証はなかった。私ももし大統領だったら、ボンボレットに行って挨拶だけでもした方がいいだろうかと思ったが、その日は2日前に亡くなったジャマットの一族の男性の埋葬に続いて、先日亡くなった隣家のおじいちゃんの葬式が始まるところだったので、結局ボンボレットには行かずじまいに終わった。
 しかし、金と権力が大好きと噂されるうちの谷の女性、LBがパキスタンで一番の権力を持つ大統領が来るとなっては、何をさしおいても会いに行かないはずはない。そうでなくとも彼女は今やカラーシャの冠婚葬祭には興味がなく、長い間顔を出したことはない。大統領の訪問はあっという間の出来事だったというが、彼女はちゃっかり「カラーシャ代表」と決め込んで、大統領と会ったらしい。私のカラーシャ弟のヌールシャヒ・ディンも運良く謁見できて、大統領は2人に数日後にイスラマバードに来て話をするよう言われた。せっかく言葉をかけてもらったのに、ヌシャヒディンはイスラマバードには行かなかった。LBはもちろん行って、大統領と話をしたらしい。
 数日前、8月8日前後にLBは、谷のカラーシャを集めて、「私は大統領から、三つの谷で6箇所のジェシタック神殿建設のために1クロール(1000万)ルピーもらった。」と宣言し、内金として5万ルピーを村の長老に渡した。現在、バラングル村では谷で一番大きい神殿が建設中なのに、なんでまた神殿なんだ?という疑問もあるが、なんで神殿建設にそんな莫大な金が必要なんだ?という疑問もある。さらに、先月会ったばかりで、調査もなしに、国の援助金1クロールルピーが簡単に下りるのか?という、これが一番大きい疑問だが、もし事実だったら大統領にとってスキャンダルになりかねない。
 バンダラ氏が訪問された時にこの件をきいてみると、「それはおかしい。つい3日前にチトラールのDCO(District Coodinate Officer)から、神殿建設の話がLBから大統領に要請されたが、その金は私が持っている少数派のための支援金の中から出せないか?という話だった。つまり大統領からLBにお金は行ってないはずだ。」
 12日、ボンボレットで援助金小切手の手渡しの前に、ホテルのダイニングでバンダラ氏を囲んでミーティングをしている時だった。LBが「私も入っていい?ルンブールでは私を呼んでくれないから。」と嫌味をいいながらやてきた。サイフラーが、「バンダラ氏の訪問は公共で知らせてあり、それで皆集まったのに、どうしてあんたはわからなかったんだ?それともわざわざ招待状を持っていかなければならないのかね」とやり返した。
 その席でバンダラ氏が「大統領が神殿建設のために援助金を出したというのはほんとうかね?」とLBにきくと、「もちろん。1クロールルピーもらいました。」と彼女。「でも3日前にDCOからその支援金は私の基金から出せないかときいてきたのだが?」「いや、私はもらいました。」「どこ宛てに、いつ届いたのかね?」「私のNGO,KISPの口座に、えーと確か8月3日だったっけ。」そこには私を含めて20人ほどの人がいたのだが、確かに彼女がこういうのを証人としてきいたのだ。
 翌日、バンダラ氏はチトラールのDCOを訪ねて、この件についても確認したが、DCOは何もきいていないという。国のお金でプロジェクトが下りる時は、チトラール地方の長であるDCOを通じて行われるのが普通だ。LBは「大統領も私の言うまま」というイメージを作り上げるために、大嘘をついているということが判明。これが大統領の耳に入るととんでもないことになるのを知らないのだろうか?(終)
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