カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

05年9月16日~29日


 このところの私の主な昼間の仕事は、1)不要な石で、多目的ホール&仕事部屋の敷地と道路との境界に石壁を造る作業の続き、2)多目的ホールの壁や扉、窓、棚のペンキ塗り、ということで、すっかり肉体労働者になり代わっている。夜は、発電所の改善工事でこの数ヶ月間電気がないので、もっぱらヤシールの家にいってダベリング。(ついでに夕食もごちそうになったりしている。)午後9時前に部屋に戻り、ベッドに横になり、ランプの灯かりの下で、読み物を少し読んで10時すぎには寝つき、翌朝6時に起きるという、まことに健康な生活をしている。電気がないから、それ以外に選択がないということもある。そう意味では電気がない方が人間にとって、健康でよろしいかとも思う。でも、部屋の中が一日中暗くて、整理整頓ができず、ひっちゃかめっちゃかで、これに喜んで、ネズミが走り廻る現象も起きているが。

パラルガー支谷歩き
 そういう生活の中でのニュースは、パラルガー行きであろう。ルンブール谷には下流の方からアチョアガー、サンドリガー、パラルガー、トラックドーの支谷があるが、この中でパラルガーにはルンブール谷に15年間住んでいて行ったことがなかった。ここにはバラングル村のワコケ一族の夏の畑地が散在し、家族が夏の間暮らしている。
 アクバル・ナワズの畑はパラルガーの一番奥にある。働き者の彼は昼間はバラルガーで家や畑の仕事をし、日が暮れる頃に、粉をひいたり、なんやかんやの用事でバラングル村にやって来る。そしてヤシールの家に顔を出す。
 ある晩ヤシールの家で、アクバル・ナワズが私に、「収穫したとうもろこしをネズミが食い荒らして困っとる。バーバ、あんたの猫を貸してくれないか?」ときいてきた。「えー?。あんたは猫が大嫌いだったんじゃない。この間も野良猫をこんにゃろと踏みつけていたんじゃない。」と私が嫌がると、「いや、確かに俺は野良猫や盗と猫は大嫌いじゃが、あんたの飼い猫は大事にする。毎食ミルクも与える。」と言う。「でも、うちの猫は子供を産んだばかりだから、、、」と一応断ったが、その後、うちのバカ猫ミーはよその牛小屋で子猫を産んだものの、子猫を死なせてしまったとの村人の情報が入り、確かに、私がベランダの半壊れのストーブで食事の仕度をする時は必ず、ミャアーとどこからともなく現れ、ゴロゴロのどを鳴らして甘えて、そのままテレーと横になりぐーぐー寝てしまう態度からは、とても子供を育てている親とは思えないから、もう子供はこの世にいないんだろうと私も信じた。
 その後もアクバル・ナワズからも何度もうちのバカ猫ミーへのリクエストがあったので、「じゃあ、連れていってもいいよ。」と承諾し、バカ猫ミーにレースの首飾りをつけてやり、「あんたはしばらくパラルガーのアクバル・ナワズの家に世話になるんだよ。あそこではミルクもくれるというし、なんといってもあんたの大好きなネズミがいっぱいいるそうだから、たくさん食べて太ってから、冬に戻っておいで。」と何度も言い聞かせた。しかし、アクバル・ナワズは夕暮れにバラングル村に来て、翌朝夜明けと共にパラルガーに帰っていく。バカ猫ミーはうちの飼い猫だが、部屋の中では飼ってない。ベランダで火を焚くとやってくるので、その辺で寝てるんだろうが、夜明けに火を焚くのは私にとって容易ではない。ということで、タイミングが合わぬまま、時間が過ぎていった。
 9月19日に英国人ツアーの一行がサイフラーのゲストハウスにやって来た。60代や70代の夫婦がほとんどだが、とても元気だ。私の写真集も6冊買っていただき、20日の夜に食事に招かれ、話がはずむうちに、翌日の彼らのパラルガー行きに、「私もミーを届けに行こうかしら」ということで、サイフラーの18歳の娘グリスタンと一緒について行くことになった。
 9月21日朝、山歩きに備えて、変形性関節炎に効く薬を飲んだら、左ひざ上大腿骨に蕁麻疹が出た上に、いつもミャアーとやってくるミーも来ないので、やはり行くのは止めようとグリスタンに言いに行くと、グリスタンは村中探してミーを連れてきた。それでは行くしかないと、ミーに紐をつけて、チーズつきパンの食事を与えて、だっこしていざ出発という時に、ミーは何か異常を感じたのか嫌がり落ち着かない。そのうち、臭いおならを発したので、「さっき食事したから、ウンチしたいのかも」と、私は紐のついたミーを地面におろした。ウンチ場に行くのかと思ってついて行ったところが、子猫を産んだ牛小屋に行き、そこの梁に上り、紐をひっぱったまま、降りようとしない。私は「ひょっとして、牛小屋に子猫が生きているのかも」と思い、ミーを連れて行くのは止めにした。でもグリスタンがもうすっかり行く気になって待っていたので、「途中で引き返すかもよ」と言いながら、出発。
 その頃には英国人一行はずっと先を歩いていて、パラルガー支谷に入る時には全く姿が見えなかった。つまり、パラルガーに行ったことのないグリスタンと私の二人っきりで、道も知らぬままアクバル・ナワズの家をめざしたわけだ。ほとんど行程は沢の岩場の道で傾斜もあまりなく、足場は悪いが、水辺だし、ほとんどが日陰だったので涼しいし、思ったよりきつくない。途中ムスリム改宗者の息子に会っただけで、誰にも会わず、一人だったらこわいだろう。アクバル・ナワズの畑と家は、最後の土壇場で、急な尾根伝いを30分ぐらい登ったところにあった。全工程で3時間かかった。20050930140449.jpg

写真:大岩の滝を背景にポーズをとるグリスタン

 英国人たちはとうに到着していて、お茶を飲みながらくつろいでいた。畑の上方の見晴らしのいいところに、彼らのツアー・オーガナイザーが建てた二部屋の木造のレスト・ハウスがある。山小屋風でなかなかよろしい。足に自信がある人は、ここで一泊した後に、山稜を越えて、チトラール側に出るトレッキングをするが、今回はみんな翌朝バラングルにひき返す。私も疲れていたのと、雨が降り出したので、アクバル・ナワズの家のベランダに泊めてもらった。標高2580メートルで、けっこう風が吹き、夜は多少寒かったが、村よりももっと自然に近づき、空気もさらに浄化された中で、久しぶりに心も洗われた気がした。


 写真:アクバル・ナワズの家畜小屋と家

発電所のメインルーム建設
水力発電所プロジェクトの方は、発電所の建物の建設が急ピッチで行われている。しかし、9月21日に木から落ちて意識不明だった男性が亡くなったので、またしても葬式があり、これで2~3日間遅れることとなった。(本来ならば埋葬までに3日間、その翌日墓場にお供え物をしてから、喪に服する儀を行うので計4日葬式に費やされるのだが、収穫時でもあるせいか、ボンボレットからもビリールからも参加者が少なく、1日早く終わった。こうやってカラーシャの葬式も短くなって行くのかもしれない。)
 そしてまた、現場を指揮しているサイフラーが、チトラールの県知事のミーティングに呼ばれたり、山林の伐採権の裁判に出なければならなかったりするので、急ピッチもつかえつかえにならざるを得ない。そして肝心の発電機とタービンは、カラチからタキシラの工場にはとうに到着していたが、テストをした結果、部品を換えることになって、それで遅れたが、もうチトラールに向かっているという話なので、今日ぐらいには届いているかもしれない。
 20050930140653.jpg


 写真:発電所のメイン・ルーム建設現場(9月18日)

スポンサーサイト

05年9月5日~15日



 多目的&仕事部屋建設で、大工さんの仕事は別にして、残るはトイレ作り。便器はすでに購入済みだが、まずやらなきゃいけない作業は、外の浄化穴だ。8フィート四方で10フィート深く掘らねばならない。力はいるが、単純労働なので村の男の誰でもできるはずだが、現在、発電所の工事、神殿の建設倉庫になる神殿の建設と,小さい村で三つの公共事業が進行しているし、ちょうどトウモロコシの収穫時でもあり、また現金収入の筆頭となる松の実取りも始まったので、働き手が見つからない。
 ジャマットの父親違いの弟が、穴掘りとその穴の石壁積みをやってくれることになっていたが、彼も急きょ、山羊の放牧地に行くことになってしまったので、あと2フィートほど掘り下げる状態のままになっている。その穴が一晩で水が入り池になった。どうもジャマットが周りの草を刈った後に、夜に水を引いたtためのようだが、本人はしらばっくれている。
 私は、暇をみては不要な石で道路側の石壁造り。アリママットがやったのは、一見良さそうに見えるが、ただ積んだだけのところもあるので、彼にはトイレと倉庫の壁に石灰を塗らせることにする。そこだと多少塗りが汚くなっても人目に知れないから。
 しかし、若くもなく、力もない私が突然石壁を造るのが無理な話だったんだろう。一回、続けて6時間ほど石壁作業をやったら、翌日から持病の股関節が痛みだしたので、それからは石壁仕事も中断している。代わりに多目的ホールの壁の木枠のペンキ塗りを始めている。

 発電プロジェクトの方は、完成したタンクから水を落とす水管を設置して、現在新しい発電所の建築が始まった。元の発電所よりも部屋も大きくなり、サイドルームも造られる。水管の位置の関係上、5メートルほど上流に建てられる。到着が遅れている発電機やターバインは運搬中で、今週中にはチトラールに着くということだが、そのためにこちらはずっとはらはらし通しだ。プロジェクトの完了が10月末(正確には11月7日)なので、それまでにぜひ間に合わさなければならないのだ。
20050915160633.jpg


   写真:発電所建設。まず床下にタービンから落ちる水を流す水路の壁を造る。

 ウルドゥー語の最高権威でいらした東京外語大学の故鈴木教授が、生前にICLC(国際文化識字センター)の代表者・田島伸ニ氏に託された貴重な寄付金の一部を、多目的ホールの中にキラン図書室を創設するよう、この7月の田島氏から1792ドルを援助金としていただいたことは、前のブログ便りでお知らせしたが、このたびICLCに提出した計画書をブログ便りにも掲載する。

キラン図書室の設置にあたって

  私が住むようになってからのこの18年間で、人口3千人のカラーシャ族が暮らす三つの谷での、パキスタン政府の公共事業や、海外からの援助事業で使われたお金は莫大な額にのぼっています。
つい最近は、7月にプライベートでこっそりカラーシャ谷の一つボンボレット谷にやって来たムシャラフ大統領に、どこから情報を得たのか、権力とお金が大好きと噂される一カラーシャ女性がこれまたこっそり会いに行き、「自分はカラーシャの代表者だ。カラーシャがサバイバルしていくにはジェシタック神殿の建て直しが必要だ。」と要請して、三つの谷で二つずつ計6つの神殿を建てるために1000万ルピーもの援助金を引き出しました。それで私の住む村にも新たに二つ目の神殿を建とうとしています。
 その1ヶ月前に、英国女性が運営するNGOの援助で、私の村の唯一の神殿の再建工事が始まったばかりなのに、どうして以前存在しなかった二つ目の神殿を別に建てなければならないのでしょう。表だって反対したのは私だけで、「せっかく来た金だから、何でもいいから使ってしまおう。二つ目のは神殿でなくて、肉を煮る場と物置に使えばいい。」と、村人たちは金に目がくらんで即賛成。というより、ほとんどの村人には何がなんだか理解できないうちに事が進んでしまっています。
 ということで、現在村では、その9割の世帯がトイレすらないという状態なのに、必要性の低い物置の建築工事が予算100万ルピーで建とうとしています。もちろん、石と木だけの建築物ですから、この予算の半分以上は関わっている個人のポケットに消えていくことでしょう。
 
 これは一つの例ですが、こういう矛盾したことが起こるたびに、「ああ、村の人たちが、自分たちには今何が必要なのか、もう少しわかる眼を持ってくれていたら・・・」と口惜しい気持になります。

 20数年前にジープ道路ができてから、それまで自給自足で独自の伝統生活を送ってきたカラーシャの生活は、徐々に変わってきています。カラーシャの人たちだって、生活水準を上げていく権利はあるので、ある程度の生活が変わることは当たり前のことだと思います。しかし、彼らの生活水準はほんとうに上がっているのでしょうか?
 大半のカラーシャたちの生活は今なお大変です。自給自足の生活も崩れつつあり、大半の家は主食の一つである小麦も自給できなくなっています。大人も子供も健康管理が悪いから病気も多い。女性は栄養のある食事を取ってなくて、万年貧血。汚れにまみれている子供たちの腹は虫が巣食って膨れ、万年下痢。大人も子供もしょっちゅう肺炎にかかります。その度に高いお金を使ってチトラールの病院に連れて行かねばならず、持っている少ない現金は消えていき、借金がかさんでいきます。カラーシャたちは各家が畑と家畜を持っていて、チトラール地域の中では恵まれている方なのに、援助金も次から次へと入って来ているのに、どうしてこうなるんでしょう?

 今のカラーシャに必要なものは、「人作り」だと私は強く思います。外から押し寄せてくる援助事業、観光目的の商売など、あらゆることがらをきちんと把握し、元来カラーシャが持っている特質(宗教・文化・生活環境も含む)を生かしながら、日常生活の安定と広がりにつなげていくことを実践していくようなカラーシャの人間が必要です。そうでないと、ジープ道路ができてからのこの20数年間で、すぐ外からのパキスタンの影響(不正・賄賂の最も多い国の一つ)を知らず知らずに受けてきたカラーシャのコミュニティは、近い将来に、混乱の中で崩壊するかもしれません。

 人づくりのためには何が必要か?これこそ、ICLCが提唱してきた「ヒューマン・リテラシィ」です。私たちのNGO、ルンブール福祉文化開発組合は1998年から、教育促進活動の一環として、ルンブール谷の全学童に教科書を配っています。これによって学校に行く子供は大変に増えましたが、ただ読み書きを教える政府の学校のカリキュラムだけでは十分ではありません。これからの将来を担っていくカラーシャの子供たちには、パキスタンだけが世界ではない、世界はもっと広がっていて、可能性があることを知ってほしい。善悪の判断ができる人間になってほしい。悪いことに対してはノーと言える人間になってほしいと、望みは尽きないのですが、そういったことを学んでいくための手段の一つは、何と言っても「本」だと思います。子供の頃に読んで感動した物語は、深く心の中に刻まれ、大人になってからも忘れられません。人間性を形成する養分になり、後々の人生に大きく影響することもあります。

 2002年に、カラーシャの子供たちにも本を読む楽しみを知ってもらいたいと、カラーシャの三つの谷の小学校6校に、巡回図書箱の活動をしました。わずか6ヶ月の期間でしたが、カラーシャの子供たちが、教科書ではない本を初めて手にして、目を輝かせている光景を目にして、やはり、常設図書の場所を作りたいものだと思うようようになりました。
 現在、日本の友人の協力によるプライベート.プロジェクトで、「多目的ホール&仕事部屋」を建築中で、器の方は9割がた完成しています。「多目的ホール」は名前の通り、ミーティング、勉強会など多くの用途に使うための空間ですが、このホールの一角に「常設図書コーナー」を設立する案は当初からありました。もう一つの「仕事部屋」は、田島さんの指導で1998年から始めている「手すき紙作り」や、10年以上前から試行しているカラーシャの伝統織物を活かした「小物作り」などの作業を、トレーニングおよび実践する空間です。
 ところが、建物の建築費用だけで、予算の倍以上かかってしまいまして、ホールと仕事部屋の中身の設置までまわらなくなっていた状況の中で、ICLC東京を通じていただいた、鈴木公子御夫人の暖かい援助金は、まさに機を得た贈り物。この秋に建物が完成しましたら、この援助金で「常設図書コーナー」に置く本と本棚、テーブルなどを、そして「手すき紙作り」のための器材を注文、購入、設置し、ルンブール谷のキラン図書室を開設したいと思っています。計画の詳細は別紙にてご覧下さい。

 ご協力ほんとうにありがとうございました。これからもよろしくご指導のほどお願い致します。


ルンブール福祉文化開発組合・代表
わだ晶子


/span>20050915160451.jpg

写真:未来のキラン図書室の壁に石灰の白い色を塗る。

05年8月15日~9月2日


8月16日
 自分の畑仕事をしていた大工さん、やっと13日から多目的&仕事部屋の仕事にカムバックしてくれて、戸の枠が二つできていた。
 午後3時過ぎ、大工さんも引き上げたので、私も部屋に戻ろうとしている時に、LB(エレクション・ビビ,最近はラクシャン・ビビと名乗っている)、その父親バシャラ・カンたちうちの庭に現れる。彼女は1週間ほど前に、「大統領から神殿建設のために1000万ルピーもらった」と宣言したばかりだが、バンダラ国会議員もサイフラー議長も私も、そういう話はあったにしても、援助金は下りてないはずだと思っている。
 その疑惑多きLBが、多目的&仕事部屋から道路を挟んだ向こう側のアクバル・ナワスの土地に、新たにジェシタク神殿を100万ルピーの予算で造らせるというのだ。「え?今、村のジェシタク神殿が新しく大きく建て直されている時に、どうしてもう一つ造る必要があるの?」と私が言うと、「村の人たちの要望だから」とのLBの返事。集まっているメンバーを見渡すと、うちの村人はジャマットを入れて4人しかおらず、後はLBが連れてきたよその村人と子供ばかり。彼女はこの中途半端の集まりの中で、付添ってきた者にデジタル・ビデオで自分を撮影させながら、援助金をもらうのために、いかに大変な思いをしたかという演説を始めた。
 驚いたのは、村人たちに対してだ。あれだけエレクション・ビビの陰口を叩いていたくせに、彼女が大金を持ってきたときいたら、直ちに翻ってうなずき拍手をするばかりで、いったいどうなっているんだ。その筆頭者がジャマットとくるから、私の落胆を計り知っていただけるだろう。

8月17日
 ジャマットは、その新しい神殿建設始めの儀礼のための山羊を連れてくるために、高地の放牧地へ行った。ついでに借金のかたのために数頭の山羊も連れてくるという。それらは数年前にサリヤークの祝いで私がボンボレットのバーヤから贈られた山羊なのに、私に了解も取らないで、勝手に犠牲にしたり、売ったりするのは、あまりにもひどい話だ。クレームをつけると、山羊を育てるのに数万ルピーの金がかかっているのに、がたがた言うなと言われた。昔から山羊を育ててきたカラーシャなのに、ジャマットの家族だけが山羊の飼育にそんな大金を使うはずがないが、それ以上騒ぐと、面倒なことが起きそうなので、腹は立つがここは沈黙。

8月18日
 多目的&仕事部屋の壁塗りにくるはずの村人が来ないので、私がやることにする。高い所はセメント塗りのために大工さんが作った足場に乗ってやるが、その足場の移動や上り下りで、普段運動不足の体はぎしぎしうなる。道路の向こうで、神殿建設の安全と成功を祈って行われた儀礼で犠牲にされた2頭の山羊が捌かれ、うちの庭で男どもが肉を食べている最中も、こちとらは白壁塗り。夕方6時まで頑張る。

 夜になって、LBが持ってきた承諾書に、今度の新しい神殿建設に関わっている村人たちが捺印を押したが、その内容が、「神殿を建てるためにアクバル・ナワーズから買った土地は、LBが運営するNGOの名義となる。神殿はLBが指示する通りに建てたら、費用が払われる。彼女が納得しなかったら、費用は払われない」と書いてあったとわかり、一騒動。神殿の土地は村の共同所有地とするべきだし、建物は村人が協議してやるのがふつうの話なのに、彼女はやはりどうしても限りなく黒い霧に包まれている超疑惑の人物だ。読み書きができない村人をせかして捺印を押させ、その書類を持って今日ペシャワールに飛んだという。(そして数日後に、彼女は新しく手に入れた自家用車と共に戻ってきたときく。)

8月19日
 7月いっぱいはカラーシャ学校は夏休みだったし、8月に入ってからは私が忙しくて、学校へ顔を出す暇がなかったが、今日ようやく、昨年度の学期末試験で成績優秀だった生徒にノートと鉛筆のほうびを持って学校へ行く。授業が始まる前の日課で、語り部コシナワズ・カズィが生徒みんなにカラーシャの昔話や伝統習慣の話をしている。語り部の話が終わって、ヤシール先生がそれぞれの学年の優秀生徒全部で14人
に一人ずつほうびを渡してくれた。ノートは美穂子寄付金の中から、鉛筆は6月末にチトラールで会ったトレッキング・グループの方が下さったものだ。
20050903184459.jpg

 写真:ノートと鉛筆を受け取る生徒

 その後は壁塗りの続きを4時半まで。夕方、モーリン女史が来たので顔を出す。例のLBの承諾書の件と、LBが、「新しい神殿はモダンな様式で床も壁もセメント。周りはPTDC(ボンボレット谷に建つパキスタン観光局経営の高級ホテル)のような塀で囲む。」と言っていた件について、ヤシールやジャムシェールも一緒に話をする。モーリン女史はこれらの件について、明日AC(チトラールのアシスタント・コーディネーター)に話をしに行くので、村人を何人でも多ければ多いほどいいから連れてくるようヤシールたちに言う。

8月20日
 モーリンと一緒にACに話をするカラーシャ、若者だけよりも長老もいた方がいいだろうと、コシナワス・カズィに、今日の学校での語りはしなくていいから、ヤシールとチトラールに行って、神殿は伝統的な様式にそって造るべきだと主張するよう言う。実際、この言葉は私が押し付けたわけではなく、カズィ自身が言っていたことだ。
 夕方チトラールから戻ってきたヤシールの話では、アクバル・ナワーズの土地に建てる神殿の作業は裁判官が5日間の停止を言い渡したが、ビリール谷の壊れてもいない神殿の建て換え反対のモーリン女史の言い分は、あんなにモーリンの恩恵を受けているビリールの人たち自身(モーリンの宿の家主、ツーリストが来ない冬も給料をモーリンから受けとっているガイド、モーリンのプロジェクトの請負い人、等々)が彼女を支持するどころか、「せっかく援助金が来ているのに、なんでがたがた抜かすんだ。この年寄り婆さんは。古いのを残せといったって、あんた自身、いつ死ぬかわからんのによ。」などモーリンの前でののしっていたという。「モーリンはカラーシャ語が理解できなくて幸いだった。自分たちはモーリンに同情してしまった。ほんとうにビリールの人間は恩知らずだ。」とヤシール。せっかくチトラールに送ったカズィも、「神殿は必要だ」と言っただけで、「神殿は必要だが、伝統的に建てるべきだ」という肝心なことを言わないから、役に立つどころか、逆になってしまったという。

8月21日
 ウチャウ(夏祭り)の前日で、交代の男たちは山の山羊小屋に発つ。
 今日は壁塗りは休んで、前に作っておいた手すき紙のカードに、カラーシャ女性を描く作業。10枚作って一日終わる。

8月22日
 ウチャウの祭り。長く住むにつれて祭りへの興奮がどんどん薄らいでいき、正直、このクソ暑いのに正装して歩くのさえおっくうな気持。昨夜、うちの甥っ子ザルマスがショコルグルを嫁に連れてきたというニュース。ザルマスと同じ歳(18~19歳?)のウジュムもサビグルを嫁に、もう一人のチャットグルの青年もグロムの娘を嫁にしたという。
 タラを飲んで言い気分のアスマール・アーヤとグリウの踊り場へ。私もいっぱいひっかけていたので、速度の速いチャーと一人で踊るバズムを駆け付けに踊る。喉が乾いたので、そばの共同水道場に水を飲みにいったら、確か春祭りの時には確かにあった水道の蛇口が壊れていて、水が飲めない。なんでもかんでも、ここでは壊れるのが、なんと速いことか!水も飲みたし、お腹も空いたので、4時半近くに部屋に戻る。水浴びして、バタンキュー。たった3回しか踊らなかったのに、体力がほんと落ちたね。

8月23日
 ヤシールがツーリストからもらった本、「HIMALAYA」 Micheal Palin (BBCの有名なリポーター)を借りて読み始める。パキスタンのパートは期待したほどおもしろくない。いたるところに間違いがあるし(例えば、ルンブール谷の人口と世帯数をバラングル村のと勘違いしている。仏教の歴史は2500年なのに2000年と書いてあったり・・・)、パキスタンに関しては私自身の方がさまざまな人たちと会っていて、もっとおもしろい体験をしているから、つまらなく思うのだろうか。

8月24日ー水力発電所のタンク工事
 AKRSPから専門の技師が来たので、私も発電所のタンク工事現場へ。タンクの内側に鉄筋を横縦に設置したのを、細かくチェックしている。このタンクの工事、最初の計画では、現存のタンクを残し、新たに高さを1.5~2フィート高くして水量を増やすということで、予算もそれに基づいて立ててあったのだが、後になって、AKRSP側から「コンピューターで計算すると、新しく取り付けるタービンに合わせる水量が、高さを高くしただけでは足りない。」と言われて、急きょ現存のタンクを壊して、岩腹に接する部分をダイナマイトで爆破させて奥行きを広げて、新たに大きいタンクを造り直すことになったのだ。
 まずタンクを壊す作業を7月初旬に始めた。ドリル技師をチトラールから呼んで、機械ドリルでコンクリートを壊していくのだが、コンクリートに埋め込まれた鉄筋が頑丈で、なかなか切れてくれず、大変な時間がかかった。この作業中に田中大使ご一行がお見えになったのだ。そして後の岩を爆破して奥行きを広げる。十分な空間ができたら、1辺12フィート四方、高さ11フィートの石壁を造る。強化のために間にはコンクリートを入れる。水路口には台形の第1タンクも造る。ここまでの作業で1ヶ月以上経過。
 鉄筋を組み込む作業は、新たに専門の技術者を連れてこなければならない。最近は鉄筋コンクリート建築ブームで、(チトラールの町も昔風の土壁、土屋根の小さいお店が姿を消して、セメント塗りの個性のない店に変わってきている。)専門技術者は引く手あまたで、その分賃金も上がっている。この鉄筋作業が明日あたりに終わり、さらにその後、内側全体に板を張って、その中にセメントを流し込む作業が待っている。つまり、タンク工事だけでほとんど2ヶ月間を費やしたことになる。この工事がなかったら、今ごろは発電所の建設も終わっていただろうが、まあ、必要とわかった工事はやらないわけにはいかない。しかし、予期せぬ工事をやって、今度はプロジェクトの会計の方が心配になってくる。
20050903185203.jpg

 写真:壊される古いタンク
。<20050903184652.jpg

 写真:工事中の新しいタンク

8月25日
 今日はユニオン議会(町村議会?)の選挙。パキスタンの選挙の制度はころころ変わり、妙に複雑で私は今だによく理解できない。きいたところだと、カラーシャの投票人一人につき、ユニオンの議長、カウンセラー(副議長)、農民議席、カラーシャ議席、女性議席の5票を投票するらしい。しかし私もわからない制度だから、カラーシャの年寄りや女性が理解できるはずなく、もうまったく、めちゃくちゃの選挙だった。だいたい立候補した人物がどうしようもない連中ばかり。カラーシャの立候補者6人の中で読み書きができる者はわずか一人。投票所でも、選挙権もない十代の娘が人のIDカードを持って、(服を着替えて)3回も投票したり、投票する人の横にくっついて、ここに印せよと強制する者がいたり、こんなのはジョークとしかいいようがない。(佐賀弁が急に出てきた。こういう事態を、オウマンガッチャと言いいます。)

8月26日
 ユニオンの議長はPPP党のアユーン人が取り、カラーシャ議席はボンボレットのアニージの男性と、ルンブールのコマンダーが取った。なんか知らんけど、勝手にしてという感じ。
 チトラールのスカウト(軍)の長がボンボレットでミーティングを開き、それに呼ばれたサイフラーの話では、ムシャラフ大統領の援助金1000万ルピーについては、ジェシタク神殿のために出したもので、LB個人に出したものではない。各村から一人代表を選び、三つの谷で一つの委員会を作って、どういう神殿が必要か話し合うこと。古い神殿は壊さないようにとは、大統領自らの言葉だ。委員会を作ったら1週間以内に報告するようにということ。これでLBが自分の傘下に治めていた神殿プロジェクトはゼロに戻ったことになる。

8月27日
 ボンボレットのお年寄りが亡くなり、村の大半の男女が葬式に行く。葬式苦手の私は留守番。このところ少時間ずつやっていた仕事部屋の壁塗りは今日で終わる。肉体労働の後は、手編みの紐、ショケックを使ってのポーチの試作品作り。まあまあ上手くできて、気分よろし。

8月29日
 多目的大部屋に接するトイレのための浄化穴を掘る作業、これまでも、黙々と単純作業をやってくれていたシャリアールが開始。私も穴掘りで出てきた不要な石を使って、道路脇に石垣をつくる作業開始。夕方、イギリス人のサムも手伝ってくれる。
 彼とギリシャ人のヤシカは、今はイギリスに定住しているアニーとザキール家族の近所に住んでいて、アニーたちと仲良くしていたという事実がわかり、多いに興奮する。サムはアニーと同じ組織で仕事をしていて、ヤシカはアニーたちの子供にギリシャ語を教えていたという。アニーとザキールは私がカラーシャ谷に住み始める前からの親しい友達で、ペシャワールで家をシェアーして一緒に住んでいたこともある。友達の友達は友達というわけで、その晩はワインを持ち込み、いろんな話をする。

8月30日
 石垣作業にアリママットが途中から参加。道行く人たちから、「おりょっ、バーバとアリママットは石積み職人になったんか。でも、もっと大きい石を使ってやればいいのに」と言われるたびに、「不要な石を使って、必要なものを造るということに意義があるのだ。」と頑固にアピールしていたら、今日の作業が終わって、アリママットが一言、「不要な石からりっぱな石壁ができたぞ。」
 この晩、ボンボレットの若者が来ていうには、EBが「モーリン女史はトラブルメーカーだから、手をひくべきだ。」という署名書をボンボレットに持ってきた。驚いたことに、EBを嫌いなほとんどのカラーシャがそれに署名をしたという。数日前の葬式の時に、EBの父親が、「うちの娘はこんなにも偉大だ」と葬式を無視して、さんざんしゃべりまくり、挙句に「そう思う者は手を上げよ」とみんなに言ったら、たった一人手を上げただけで、しーんとしていたという話をきいたばかりだったので、EBよりもカラーシャの移り気な心の方が理解できない。

8月31日
 今日も石塀作業。アリママットは速いことは速いが、石積みの基本(私が思う基本)、端に大きい石を置き、まん中に小さい石を入れる。面を平にしてから二つの石をまたぐように上からさらに石を置いていくということを何度いってもきかないで、どんどん上から上にと積んでいく。石を運んできてもらうのは助かるが、石積みはまだまだだ。でもやらせないことには上手になっていかないし、私一人でやるのも大変なので、一緒にやるしかない。
 水力発電所は古い発電機もターバインも取りだして、屋根も解体したとのこと。あと2ヶ月で完成するか、ちょっと微妙なところだ。

9月2日
 チトラールに来る。AKRSPの担当技師は私たちの機械、機器類が届くのが遅いので、再度確かめにラホールまで行ったとのこと。前回ブログ便りを更新してから後、あまりにもいろんなことが起きたので、更新の原稿を打つのが大変。しかも、いつものごとく途中で停電とくる。
 ここのところ、EBの神殿プロジェクトの件で、カラーシャ・コミュニティが降りまわされている。EBも村人もあまりにも次元が低いところでがたがたやっているので(おっと、言い方が悪かったかな)、無視して傍観しているしかない。しかし、1000万ルピーあったら、カラーシャ谷でもっと有意義な援助ができるのにと思うと、やはり気分が憂鬱になる。(終)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。