カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

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ICLC代表田島伸ニ氏からのメール


わださん
 地震ではご無事でよかったです。本当に心配しました。いろいろと友人からわださんの安否についても問い合わせがありました。でもなにもなくてよかったですね。
ICLCでも救援のための協力を小さな形ですが,被災した子どもたちのために
ICLCP(ICLC Pakistan) を通じて行おうと思っています。

 (以下ICLCのサイトから) 

パキスタン地震被災の子ども基金

 このたびのパキスタンの大地震による死者は4万人―5万人、負傷者数は5万人を超え、家を失った被災者は実に200万人に上ると言われています。そして被災者の中でも特に幼い子どもたちが多数犠牲になっており、現地事務所から連日、今回の大地震で家族を失ったり病院に収容された多くの子どもたちの精神的なショックや悲しみが伝えられています。
 そのため第1次段階として、まずは今回の大地震で被災した多くの子どもたちを励まし、彼らに精神的な安心と慰めを与えられるような本や、絵などを描けるような画帳などを現地で調達し配布する計画を、イスラマバードや北西辺境州などにある国際識字文化センターの現地事務所(ICLCP)を中心に準備しています。
 こうした活動に協力体制を作るために、「パキスタン地震被災の子ども基金」を設置しました。義捐金は、現地のICLC事務所を通じて、被災した子どもたちを直接サポートするための活動にあてられます。皆さまのご支援ご協力をどうか宜しくお願い申し上げます。

2005年10月13日
ICLC国際識字文化センター


名称:◇郵便振替用紙に「パキスタン地震被災の子ども基金へ」とお書きください。
口座名:国際識字文化センター ICLC
口座番号:10100-61381071

国際識字文化センター(ICLC)代表 田島伸二
         東京都目黒区中根1-1-6-10
         電話/Fax(03)3718-5260
          iclc@iclc2001.org

 
 それにしても猪俣さんが昨日(10月16日)交通事故で亡くなられたことは実に大きなショックです。言葉がありません。ラホールからイスラマバードへのモーターウエイの路上で車がパンクして奥さんと一緒にイスラマのシーファー病院(イスラマバードで一番質の高いとされる病院)に運ばれたそうです。ICLCPのショーカット氏からの連絡で彼は重態でしたが、なんとか命はとりとめることができたのではと思っていた矢先、今朝アンバーからメール連絡が入ったのです。
 ああ、悲しくて言葉になりません。

    田島伸二


以上が、田島さんからのメッセージです。
緊急の援助は食物や医療支援ですが、その後の精神的なフォローが非常に重要となってきます。時間をかけて支援していくことが課題と思います。
どうぞ皆様のご協力をお願い致します。

 
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05年10月18日 悲報


一体この世の中はどうなっているんでしょう?
熱意と善意で満ちていた、
日本とパキスタンの掛け橋であり、
これからの時代のホープの一人になるはずの猪俣修さんが、
ラホールからイスラマバードに向かう高速道路で、
突然の交通事故に会い、3日後の10月16日に他界されたとは。

猪俣さんは1998年ごろに海外青年協力隊として、
イスラマバード郊外のアリプール村に、
村興し事業を促進させるために赴任されていた。
同じ頃に、田島伸ニさんが識字教育の一環として始めた「手すきの紙作り」を
村興し事業の骨組の一つとして導入、田島さんから指導された紙作りを
村人に教え広げた人物である。
パキスタンに紙作り活動を絶やさないために組織されたCPC
(Creative Paper-Making Committee, 代表・田島氏)でも
副委員長として活躍された。
田島さんが手がけた紙作りを、高質の売れる紙製品にまで作り上げて販売、
その益金をNGOの運営費の一部にしているサヒル
(Sahil、子供を性的虐待から守る会)の紙職人の多くは、
猪俣さんが関わってきたアリプールの人たちである。
猪俣さんが協力隊の任期が終わって、いったんパキスタンを去る時は、
村に「イノマタ・ミュージアム(猪俣博物館)」ができたほどです。

帰国された猪俣さんには、東京のICLCのワークショップでお会いした。
今度はイギリスに留学するときいて、もうパキスタンとは縁を切られたのかと、
少し残念に思った記憶がある。

昨年の夏、CPCとICLC主催の紙すきワークショップがラホールで開かれた際に、
猪俣さん自身は準備に忙しくて、いらっしゃらなかったが、
新婚間もない猪俣さんの奥さん、まさこさんとお会いした。
東京のワークショップで猪俣さんから紹介されていたので、
まさこさんとは初対面ではなかったが、その時、猪俣さん夫婦が
今度はJICAの仕事でラホールに2年間ほど赴任されるときいて、
「猪俣さんはやっぱりパキスタンに戻ってきてくれたんだ」と喜んだものだ。

私は北西辺境州の北にいるので、ラホールで仕事されていた猪俣さんには
再赴任されてから1度も会っていないことが、心残りです。
愛と希望に満ち溢れていた猪俣さん、安らかにご永眠をというには
あまりにも若すぎました。
天国で日本とパキスタンの行方を見守ってくださいね。

この事故でまさこさんも重傷を負われたそうです。
まさこさんの、一日も早いご回復をお祈りするばかりです。





05年10月16日ーカラーシャ谷は地震の被害なし


 10月6日のチトラール議会選挙の結果は散々で、あれほど皆々から当選確実だと言われていたヌールシャヒディンは次席に終わり、カラーシャ議席はボンボレットのバラムシャーが取った。バラムシャーもバシャラカーンとどっこいどっこいの、金好きで文盲のおじさん。コミュニティーのために働く人物ではない。副議員には、事故で脳をやられて頭がおかしいムニールが前期に続いて選ばれた。どうしてこういうことになるのか理解に苦しむ。こんな結果になるのなら選挙なんかない方がよっぽどいいと思う。
 
 愛知県の増田夫妻がバウック・チャットのトレッキングに来られる。夏にフンザの方を訪れた際に、イスラマバードで私の写真集を見て、ルンブール谷にぜひ来たいと思い、再びパキスタンにいらしたそうだ。おみやげに日本のみかん、みそうどん、昆布巻き、週刊誌など、子供たちにノート、鉛筆などいろいろいただくが(後でストックもいただく。)、一番ありがたかったのは、関節痛の薬。なんでも関節を包む物質を作り出すのを促進する薬で、増田さんの膝の半月盤にひびが入り歩けないほど痛んだ時、この薬で助かったということだ。ご自分のために持ってこられたこの薬(アクテージ)、11日分をそのままくださった。すぐには効果は現れないというが、ここのところ風邪も引いてるせいか、股関節の下の大腿骨の痛みが増してきていて難儀していたところだったのでうれしい。

地震はあさっての世界
10月8日、 朝2回、午後1回地震。一回目のはかなり長い間揺れたが、山から石が落ちてきたわけでないし、地震はちょくちょくあるので、あまり気にしない。夜、ラジオの短波放送BBCニュースで、朝の地震はカシミール側の北パキスタンが震源で、ムザファラバードなどで1000人、インド側で300人の死者が出たときいて驚く。しかしムザファラバードはあまりなじみがないし、もう一つぴーんと来ない。
 翌日、昨日遊びにきたムサシ・ディンと彼の客に多目的ホールを見せたり、トイレの浄化穴の石壁作業をやってもらているM・アユッブにお茶出したり、洗濯をしたりで朝は終わる。風邪が治らず(アクテージを優先して飲んでるので、風邪薬は飲まないからか?)、足は痛いし、頭もぼーとしているので、午後は即休養。>20051016185757.jpg

写真:多目的ホール内のトイレのための浄化穴。

パキスタンの地震で日本の皆が心配しているかもしれないと、いさこさんへのファックス送信を明日チトラールに行くヤシールに頼む。
 10月10日、増田さんご夫妻、トレッキングから戻られる。地震の時に、目の前で山の一部がくずれるのを見たそうだが、一行には被害なし。道は非常に悪かったが、バウックの湖はとてもきれいで、標高計では湖は4千メートルちょっとだったという。
 増田さんご夫妻持ち込みの「いいちこ」を飲みながら、いろいろ話をする。ご夫妻はパキスタンは今年初めていらしたが、モンゴル、インドのラダック、そしてアッサム側の秘境にもよく行っておられる。定年すぎてらっしゃるが、お二人共、とてもタフ(最初、小柄で華奢な奥様を見て、トレッキング大丈夫?と思ったけれども)。それに比べ、私は足が痛いせいにして、家の周りをちょこちょこっと動くだけでなんだか情けない。
 チトラールから戻ったヤシール、チトラールは停電でファックスできず、電気が着たら送信するように電話局の人に頼んできたという。
10月11日
 サイフラーのゲスト・ハウスに泊まっているイギリス人たちと話をした。地震の時にはペシャワールのオールド・バザールのカーン・ホテル(古い伝統的な建物を改造したホテル)にいて、「揺れたよ」と、みんな笑っていたので、こちらもあまりシリアスにならず、またしても現実の問題として迫ってこず。ヤシールが、私が頼んだファックスは電話局だけでなく、他でも試みたが送信できなかったそうだ。
10月12~13日
夜のBBC放送で、地震の犠牲者が3万~4万人ときき、あらためて事の重大さを知る。チトラールでも
地震被害者への募金や毛布を募っていたという。同じパキスタン内で途方もない数の犠牲者や出て、家も壊れて雨露さえもしのぐ場所もない人たちのことを思うと、こちらも気が重くなり、風邪もなかなか出て行かず、調子悪し。
10月14日
 発電プロジェクトの件でチトラールに行くサイフラーに再びファックスを頼んだが、やはり送信できなかったらしい。いさこさんには9月にファックス送ったばかりなのにおかしい。そのサイフラーが一日遅れの英字新聞を持ってきてくれる。ほとんどが地震のニュースで埋め尽くされている。イスラマバードの10階建て高級アパートが全壊して、数十人の死者が出ていたこともようやく知る。先日、夢の中で地震が来て必死に戸棚を倒れないように私が抑えていたが、確かそこは10階のアパートだった。夢からさめて、10階のアパートだったらパキスタンということはなく、日本だろうと、9月にいさこさんに送ったファックスに地震に注意するように書いたばかりだった。あれは正夢だったのだ。しかもパキスタンでの。
 いさこさんと静江さんからの心配のファックスが今朝手元に届く。いさこさんは8日に、静江さんは9日に送信したものだ。ここにきて、「風邪を引いて調子がよくない」「断食月だからチトラールに行きたくない」などと言ってはおれぬ。チトラールに出て、日本のみんなに「こちらは無事だよ。」と発信しないとと思い当たる。
 みなさま、ご心配かけまして申し訳ありませんでした。以上のようなわけで、私が住んでいるところは被害もなく、よく壊れる道路も決壊せず、まったく普通通りでした。これからもし、パキスタンで何か災害その他が起き、私個人に関する情報がほしい場合は、私が都会に出るときは、チトラールの町にいったん出て、マウンテン・インのオーナー(Mr.Hyder Ali Shah)、マネージャー(Mr.Munir)、あるいは居候のバブーにあいさつしていきますので、私がカラーシャ谷にいるか、イスラマバードなどの都会に出ているかおおよそのことはわかると思います。マウンテン・インの電話番号は:
0092(パキスタン国番号)-933(チトラール)-412581   (時刻は日本より4時間遅い)
 Hello. I am calling from Japan. I am xxxx(your name), a friend of Akiko. I just want to know whether Akiko is in Rumbur or out of Chitral. Do you know where she is?  会話が終わったら、Thank you so much.Bye-bye.

 今回の地震の犠牲者すべての方のご冥福を祈ります。

発電所建設
 最終段階にきている発電プロジェクト、肝心要の発電機とタービンが届かない。発電機は契約書の上では6月に届くはずだったのに、カラチにあるドイツのシーメンズの会社からタービンを作っているタキシラに届いたのが9月、タキシラに届いた後、部品に不備があったとわかり、カラチから部品を取り寄せ変換したりするうちに10月に入り断食に突入して、すべての連絡がスローになっている。
 数日前に、機器の最後の点検にチトラールの担当の技師が再度タキシラに行っている。技師と共に、今日、明日にでも発電機とタービンも届くはずだ。(何度目の今日、明日だろうか)まさか今度の地震で機械にひび割れたということはないだろう。そうでないことを祈る。実際、今度の地震で、カシミール地方の発電所を作っていた中国の技師が二人亡くなっている。
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写真:アユーンから発電機と共にやってきた電信柱の溶接工。断食を目の前にして出張を嫌がったのを頼み込んで連れてきた。

10月1日~3日


ブーニー行き
 9月29日と30日に月末の諸々の用事でチトラールに来たばかりだったが、いったんルンブールに戻り、翌日10月1日にまたチトラールに出ることになった。
 というのは、10月2日の日曜日にブーニーで、チトラール選出の国会議員、州議員ほか、8月の選挙で選ばれた24のユニオンの議員たちの多くが集まる、PPPとMMA合同の大きな集会があり、私のカラーシャ弟(歳がわからないが、兄ということはないだろう。)のヌシャヒディンと一緒にその集まりに行くことになったからだ。
 ヌシャヒディンは10月6日のチトラール県議会の選挙のカラーシャ議席に立候補していて、キャンペーンに大忙しの毎日だ。チトラール議会は24の議席は先日選ばれたユニオンの各議長が占め、女性の3議席とカラーシャの1議席、そして議会の議長と書記が、チトラール全域290ユニオン議員の選挙で選ばれる。しかし私は文化や芸術分野に興味があり、政治や商売に関しては苦手なので、キャンペーンが開始されても、カラーシャ弟にいくらかの資金支援をしただけで、ずっと関わらずにいた。
 ところが、ヌシャヒディンの対抗馬のバシャラカーンのポスターに、自分に票を入れたら、アメリカ、イギリス、日本、などの国からたくさんの援助金を持ってくると公約してあるのを見て、笑っていたまではいいが、いくらユニオンの議員でも、多くは読み書きもできない田舎のおじさん、おばさん、バシャラカーンの公約を真面目に信じる村人や議員がいるときいて、一言、「日本の国が、そんな簡単にわけわからん金をくれるはずがない。しかし、ほんとうに必要な援助については、くわしい状況説明と計画書を提出し、日本側が承認すれば援助も可能だ。」と言ってやらないとと出かけたわけだ。
 結局、女性は垂れ幕の後に座ってなければならず、公の場で話をする機会はなかったが、ブーニーはチトラールから2時間ちょっとなのに行ったこともなかったし、いろんな人たちに会ったので、これも一つの経験だろう。
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写真:女性のユニオン議員(中二人)と県議員立候補者(両脇)
 
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