カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

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プロジェクト完了までもう少し 05年11月6日~30日 


 11月4日から6日まではイスラム教徒の断食明けのイード祭。アジズ技師はイード祭の前にタービンを設置した後、発電機設置のために11月6日に戻ると言って、乗り換え時間を入れないでルンブールから片道5時間かかるガラムチャズマの実家にイードを祝いに帰って行ったが、連休のまっただ中に来るかどうか、あてにできずにいた。驚いたことに、アジズ技師は11月5日にルンブール谷に戻って来た。カラーシャ谷に来たことがないというお父さんと従兄弟を連れて。普通のパキスタン人(チトラール人)には考えられないことだ。
 11月6日、発電機を設置する作業を見に行く。タービンよりずっと小さいけれど(1.5トン)、しかるべく位置に合わせるのが大変。タービンの時のように、天井の梁の上に角材を置いて、角材の下には柱を立てる。角材から頑丈なワイヤーで発電機をつるし、少しずつ動かしていく。発電機の下は鉄骨とセメントで固める。これが、11月6日の作業。

私の写真集が一方的に変えられていた! 
 11月7日
 私の写真集「カラーシャ」、初版千部のうち半分は私が買い上げたとはいえ、出版元に在庫がなくなり、この秋に重版されることになった。私が新たに注文した20部はその重版のものだという。私は販売が苦手なので、写真集を売るのは、サイフラーのゲストハウスにはグループツアーの客が時々来ることもあって、サイフラーの長男のヤシールにゆだねているが、ヤシールが届いた写真集を開けてみたら、「緑の表紙が赤になっていて、中の印刷も悪くなっている」。という。
 この写真集は、カラーシャについての説明文の下にフィルム状で写真が勝手に入れてあったのを除くと、すべて私の写真と私のレイアウトで、練りに練って作り上げたものだ。それを著者の私に事前に何も訊かないで、勝手に表紙の色を変えるとは考えられない。もちろん著作権は私が持っている。この件で一日中憂鬱で、実際に現物を見る勇気も起きない。夕方、一大決心してヤシールのところへ見に行く。
 ヤシールが赤といったのは茶色だったので、赤よりはましだが、やはり緑の方がだんぜんよい。おまけに何と、写真集の値段が1200ルピーから1500ルピーに勝手に上げられていた。重版するから、直しがあったら送るように言われて、3日かけて書いた直しのリストも無視されている。サンゲミール出版社はパキスタンでは古株の大手出版社なのにこれだ。

11月8日~10日
 仕事場のペンキ塗り。10日は朝からの小雨が、外側の戸を塗っている時にひどくなったので、昼前に止める。午後はベランダの火のそばで刺繍。

11月11日
 発電所の仕事にかかりっきりの職人をようやく1日借りて、多目的ホールの奥のトイレに、便器とパイプを設置してもらう。アユーンの職人さんだが、大変に仕事が速く、助っ人のジャムシェールも彼につられて、石を持ってきたり、セメントを練ったりと休みなしで動いている。トイレの床と壁のセメント塗りは便器のセメントが固まってからということで、2時半で仕事は終わる。

11月12日
 午前中はペンキ塗り。パキスタン製即席ラーメンのランチの後、窓に入れるガラスのサイズを計る。上の窓を計るための足場が重くて、それをいちいち移動させるのが面倒。電気を入れるための電線もおおざっぱに計る。
 この作業が終わった頃、外を見ると、男たちがアルミの水がめや鍋を持って上流からやってくる。8月の夏祭りの時に嫁にやった村の娘を、実家に初めて呼ぶ行事が始まったのだ。この行事では、まず、新郎側からの客と集まった村人に小麦タシーリとチーズがもてなされる。その後、各家に腹いっぱいになるほどの小麦タシーリとチーズが、新郎の家からのみやげのクルミパン2枚ずつと一緒に配られる。だからこの日は、夕食を作らずに済む。

11月13日
 イード休日の最中に来てくれたアジズ技師は、今回の約束の日の12日は別の用事ができて、来てもらえず。しかし、発電所の中のセメント塗り、扉設置、タンクの網設置、外の電信柱設置の作業は進んでいる。いたるところで、セメントを予定よりはるかに使っていて、サイフラーは「買っても買ってもセメントが追い付かない。」と言う。電柱立てにあたって、私も、多目的ホールのために費用をかけて運んだ砂利や砂をセメントに混ぜるために提供する。

11月14日
 この発電プロジェクトの会計を監査する公認会計事務所に連絡する件、多目的&仕事部屋のための電線、蛍光灯、窓のガラス、水道管などの購入のためにチトラールへ行く。朝6時に起きて、7時からジープを待つが、三つの神殿建設が進行中で、ジープはそのための木材運び、石、砂利、砂運びで、乗客を乗せてチトラールまで行くジープがなかなかない。ようやく8時半ごろ病人を連れていくために、ジープが来る。チトラールには11時過ぎに到着。
 火の気のないチトラールの安ホテルは、底冷えがするほど寒くて、早いとこ用事を済ませて帰りたいものだ。

11月15日
 午前中、このブログ便りを更新するためにパソコン打ち。多目的&仕事部屋の窓ガラスのためにガラス屋、配電のために電気屋などを回り、マウンテン・インで朝打ち込んだブログ便りの更新を試みるが、どうしてもつながらずあきらめる。ジープをチャーターして買ったものを積み込んで、ルンブールに戻るところに、アジズ技師を見つけ、一緒に乗せて夕暮れ時谷に戻る。

11月16日
 発電所の壁のセメント塗りの作業を見てから、村のジェシタック神殿に柱を立てる作業を見に行く。30~40センチ幅の木彫りの柱の上に、馬の頭の柱頭を乗せて梁に立てるわけだが、これがなかなかうまく行かずて、男衆7~8人いてもこずっている。先日、数トンの重いタービンや発電機を非常に困難な状況の中で設置するのを見た後は、たった柱一本立てるのに時間をかけているのが、なんだか腑抜けのように見えてしまう。その後、多目的&仕事部屋の窓ガラス設置。しかし、ランチを食べて、ああだこうだしていると、あっという間に暗くなり、窓ガラス設置は明日に持ち越し。

11月17日
 午後1時半まで窓ガラスの取り付け。付けてみて、4枚のガラスがお金は払ってあるのに、もらってないことがわかる。その後、ほうれん草入りマギーヌードルのランチを取り、ついでにほうれん草のクルミ&マヨネーズ和えを、アジズ技師の夕食の差し入れのために作って3時半。
 アジズ技師と人夫たちは電柱の作業。

11月18日
 日が照ってきたので、早めに髪を洗おうと、下の家にお湯をもらいに行くと、先日と別の、嫁に行って実家に初めて戻る行事のために、ダジャリの嫁さんがアウを焼いていたんで、薪くべの手伝い。薪を取りに上流に行ったおばちゃんが戻ってきたんで、トイレで髪洗い。ぐっしょり濡れた服の襟元と髪を乾かすために再び下の家に行って、交代しておばちゃんがアウを焼いているのを手伝いながら、髪と服を乾かす。その後服、シーツなどの洗濯をしたら1時半。
 ランチの後、アジズ技師たちが電柱に電線を張る作業を見に行く。作業人が木に登って電線にひっかかる木の枝を斧で落している。アジズ技師は電柱に登って、安全ベルトをつけてぶら下がりの体勢で作業をしている。電柱に取り付けた電線を、作業人数人で力いっぱい引っ張るわけだが、彼らは軍手をしているわけでなく、強い風と乾燥した空気の中、手が切れて痛そう。
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 写真:電柱にワイヤリングする作業をするアジズ技師

11月19日
 朝ジャムシェールについて来てもらって、シーガラのムニールの家に行く。ムニールの畑の端にトランスファーマーを設置するのを、彼の父親シャー・ジュワンが1度オーケーしたのに、トランスファーマーの台を作った後になって、だめだと反対しているというんで、説得する任務を預かったわけだ。父親はペシャワールに出たばかりで留守で、息子のムニールに話したら、快く承諾してくれた。
 多目的ホールに作る「キラン図書コーナー」の本棚のための材木を、アユーンで平板にしたのが届く。最近はずべての物価が上がり、運賃だけで往復3650ルピーも取られる。

11月20日
 切り落しの不要な板で、戸棚の横板作りなど。その後沐浴、洗濯で2時すぎ。キャベツとツナ炒めをパスタで遅いランチ。アジズ技師の上司バーバルが家族と共に来て、発電所を見に行ったというので、今晩はバーバル一家もサイフラーのゲストルームに泊まるのだろうと、夕食の差し入れを持っていくと、」アジズも含めてみんな帰ったという。本来ならば、我々のプロジェクトを優先して、すべて完了するまでアジズ技師は村に留まる予定だったが、別の発電プロジェクトでいざこざがあり、アジズが呼ばれたということだ。あと少しで終了だったのに、何とも残念。

11月21日
 寒くなったが、部屋の中は6~8度だから、東京の冬と変わらない。多目的&作業部屋で、黒板を取り付けたり、本棚の足を切ったりの大工作業のまねごと。
 気になっている、トイレの床と壁のセメント作業の件をサイフラーに相談すると、発電所の仕事をしているパラワンを明日貸してくれるという。
 サイフラーは、メーターなどの残りの器具を持ってくるために、明日チトラールに行くというので、ペシャワールの公認会計事務所に連絡して、早いうちに発電プロジェクトの査定と経理チェックに来てもらうよう頼む。ガラスの不足分の件も頼む。

11月22日
 木彫り、水道管取りつけ等たいていの仕事ができ、カラーシャの中では技術屋のパラワンが、セメント作業に来る。助っ人に暇そうにしているアリママットを雇おうかとも思ったが、兄のジャムシェールほどには役には立たず、だいたいぼーと突っ立ってるか、しゃがんでいることが多いので止める。床のセメント塗りは午後2時ごろに終わる。その後、ジープがあったので、パラワンの先導で数人の男を連れて、外のトイレ浄化槽のふたになる石を取りに行く。しかし、せっかくシャリアールが6フィート以上もの大きい石を道端まで運んでくれていたのに、誰かに壊されていたという。代わりにそばにあったやや大きめの石を二つ持って来てくれるが、あと二つほど石が必要ということ。

11月23日
 パラワン、トイレの壁のセメント塗り。期待したより仕事が遅く、1日中かかった上に、「前におおざっぱに塗ってあった下のセメントが焼けていて、今日上に塗ったセメントの水分を吸い込んでしまうので、うまくセメントがくっついてくれるかわからない」と頼り気ないことを言う。
 先日ジャムシェールに頼んで、アユーンの大工に1番目の本棚を注文していたが、アユーンに行って帰ってきたジャムシェールは、「注文のものは、横4フィートでりっぱに出来ている」という。「何、4フィート?私は180センチ(6フィート)で頼んだんだよ。そのためにちゃんと設計図も渡したじゃない。どうして、勝手にサイズを変えるわけ?何のためのオーダーメイドよ。」と私は怒るが、出来たものはどうしようもない。
 チトラールから戻ったサイフラーは不足分の4枚のガラスを持ってきてくれたのはよかったが、これもサイズ違いで縦が10センチも短い。ちゃんとサイズを書いた紙も渡してこれだ。ということで、今日は頼んだ仕事がすべて上手く行っておらず、失望とフラストレーションの日であった。

11月24日
 パラワン、トイレの穴の石を探してくる。それをサイフラーが、ちょうど神殿の土盛り共同作業(ヤール)で大勢集まっている男衆のぶらぶらしている輩に声をかけて、ジープで運んでくれる。しかしまだ完璧にふたを被うには至らず、あと1枚の石が必要ということ。ヤールのために2頭の山羊が捌かれる。村の家々にもカーイ(肉汁に小麦粉を混ぜたもの)が配られる。
 ハン・サリック(神殿にジェシタックを入れる行事)を行うためのミーティングがタジママットの客室で開かれる。各家チーズを5キロ、ギーを4キロ、それに山羊1頭と小麦粉15キロを差し出す。チーズとギーがない家は1900ルピーを寄付するなどが決められる。
 さらに電気のためのミーティングが開かれて、後々のメインテナンスのために、電気を付ける家は事前に500ルピー支払うことが決められる。今年は発電所や神殿建設などのプロジェクトが多くあった上、松の実も昨年よりも倍以上の価格で売れ、ほとんどの家がけっこうな現金を持っているはずだ。今後、発電所の機械の修理が必要な場合に、寄付をつのってもすぐに集まらないことはわかっているので、今、電気を付ける前に、メーターと引き換えに500ルピー集めるわけだ。ハンサリック1日で1900ルピー払うことを考えれば、電気はこれから毎日、20年間にわたって使うわけだから、圧倒的に安いといえるだろう。

11月25日
 7時ちょっと過ぎに起きあがり、湯たんぽの湯をトイレに持っていて顔を洗い、ベランダで壊れストーブに小さな火を焚いてお湯を沸かして、ティバッグとミルクパウダー、ジンジャーでマグカップ2杯のチャイとビスケットの朝食。(これはカラーシャの朝食ではありませぬ。最近の私の朝食メニューです。)今日は自分の誕生日だから、後でお酒を飲む予定なので、関節痛の薬は飲まない。トイレの周りに散らかっているクズ薪でお湯を沸かして、増田さんご夫妻から送っていただいた高価なサポータータイツ他の洗濯。
 ジャムシェールが例のミスサイズの本棚を運んでくる。何と、幅のサイズを狭くされたばかりでなく、高さも全く無視され、倍以上の高さになっていた。つまり、私は幅180センチ、高さ70センチの平たいものを頼んだのに、できてきたのは幅も高さも同じくらいのものだった。しかもよけいなカービング付きで。まあ、これはハンディクラフトを展示するのに使えるから、怒るほどのこともないけど、もしも狭い空間にぴったり納まるようにと注文していたものならば、喧嘩してでも作り直してもらわねばならなかったところだ。
 キャベツをたくさん入れたマギーヌードルとワイン、コップ1杯のランチ。誕生日だから、ヤシールの母さんからアンズ焼酎を500ルピーで購入。しかし、サイフラーの家では、4時ぐらいから、夏に嫁に行った姪のサビグルを実家に呼ぶ行事が始まり、人がたくさんで、ゆっくり酒を飲む雰囲気でなくて、味見しただけ。この娘(姪)を実家に呼ぶ行事にかかった費用は160キロの小麦、55キロのチーズが実家側、相手の婿側は80キロの小麦粉、クルミ15キロ、嫁側の贈り物としてライフル銃を含めた水鍋、鍋など73点、現金1万2千ルピーだった。これは最初の贈り物で、2回目3回目にも婿側から同じような贈り物がある。

11月26日
 朝7時前は単なる曇り空だったのが、だんだん雲行きがおかしくなり、みぞれが降り始めて、ついに雪になる。多目的ホールに黒板を取り付ける作業、セメントの水やりなどをしてからブランチ。スープストックでオニオンスープを作って、それに昨日サビグルの行事でみんなに配られたクルミパンをちぎり入れて煮る。こうして食べると、堅くて冷たいクルミパンもおいしく食べられるし、スープも一段と濃くが出る。
 外は雪、家の中は暗くて何もできず。早く電気がついてほしい。おととい戻る予定のアジズ技師は今日も来ず。

11月27日
 雪は8センチほど積もっていて、屋根上では雪かき作業。ちゃんちゃんことオーバーコートを着込んで、ベランダでチャイを飲み、さらに昨日のスープに(クルミパンを食べた後に残ったスープ)おもちを入れてお雑煮風。なかなかいける。道は危ないし、家の中は暗いし出、今日も一日何もできず。
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写真:雪のバラングル村
11月28日
 雪は上がるが雲が多くてぱっとせず。新しいトイレの戸が閉まらないので、カンナ、紙ヤスリを使って修理する。使えないものを使えるようにするのは、なかなか気分的によろしい。雪でジープが通らなくなっているかと心配するが、アユーンからジープが2台来たので大丈夫らしい。このまま雪にかこつけて村にこもっていても、何の進展もないので、明日チトラールに行くことにする。

11月29日
 凍結した道の上を、ドライバーはボロジープをうまく操作して走らせ、ルンブール谷を出る。もっとも雪は下流のコットデッシュで完全になくなっているので、思ったほどではない。
 チトラールに着いてすぐに公認会計事務所に連絡する。担当者はアフガニスタンに出張していたので、つかまらなかったようだ。1週間以内にプロジェクトのチェックに来てくれるよう頼む。どうやら12月6日(飛行機の席が取れたらばの話だが)に来てもらえそう。
チトラール地方の発電所建設に引っ張りだこのアジズ技師も、チトラールでつかまえることができ、明日現場に来てくれるということ。彼がくれば、数日後に電気がつくことになるだろう。







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05年10月18日~11月4日


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 写真:秋のルンブール谷

10月18日
 チトラールのマウンテン・インで地震見舞いのメールの返事に明け暮れている時に、サイフラーが顔を出す。「今朝、発電所のトタン板の買い足しと、機械の件についての連絡のためにチトラールに来た。今こちらの技師たちがタキシラのタービン工場にいるが、あさっての夕暮れに、タービンと発電機を2台のトラックに積んで、ルンブールに直行するという話だ。ラマザンでお腹空かして到着するだろうから、技師と運転手で4人分の食事を用意しておかねば。」とサイフラーはバザールで鶏3羽、野菜を買い込む。
 2日後に機械が到着して、翌日から技師が発電所に設置する作業に取り組んでくれれば、10月中におおまかな仕事は終了するだろう。これでどうにか期日に間に合うかもと一安心。

 トタン板と鶏を積んだジープでルンブールに戻るが、ボンボレットのクラカル村の親戚のおじさんが亡くなったので、すぐにカラーシャ衣装に着替えてボンボレットへ。調子が今一つなので、葬式の踊りにも参加せず、早めに近所にあるうちのおばちゃんのバーヤの家に引き上げて、夜の9時には離れの客室のベッドに入る。しかし、客室のもう一つのベッドに二人の若い娘がいて、なんやらかんやらしゃべっていて、さらに酔っ払った男が入ってきたりで、とても寝付けない。しまいには娘の一人は出て行き、若い男が入ってきた。そして娘はさっさと帯を解いてベッドに入ってしまった。男も一緒にベッドへ。
 彼らは多分夫婦なんだろう。でもクラカルは進んでいるのでひょっとして、恋人同志なのかもしれない。葬式の時もお営みをするんだろうか。若いから二人でくっついているだけで、その気になるだろうから、葬式なんて関係ないだろう。などと考えながら、私は寝ていることになっているので、布団を半分かぶって耳をらっぱにして息をこらしていた。二人はひそひそと何やら話ながら、時たまクスクスと笑い合っている。ほんの向こうの神殿で葬式があっているという感じではない。
 壁の向こうでは、翌朝にもてなす会食用の山羊の肉がいくつもの大釜で煮られている様子だが、これまた若い人たちが集まって、ま、寒いから火のそばにいるんだろうが、冗談言ってきゃっきゃっとはしゃぎ騒いでいて、私がこの村の住人だったら、起きて、「こらっ!あんたたち、人の葬式やってる時に、何をふざけあってんだ。あほんだら!」と叱りつけるとこだが、一応私は客だからね。結局眠りについたのは夜中だった。
10月19日
 「バーバ、ウシテ」と隣のベッドで寝ていた娘に起こされて、時計をみると7時。下の母屋に行くと、徹夜したうちのおばちゃんもいてチャイを飲んでいた。ここの家の奥さんはよく気がつく人で、私のために砂糖なしのチャイを作っておいてくれていた。「まだ埋葬には時間がある。神殿は寒いから、ここにいなさい。」と言われて、9時近くまでストーブのそばにいる。神殿から近いこともあって、弔い客が引きもきらずにやってくる。その度に奥さんはチャイやビスケットをもてなして忙しい。ふつうのカラーシャの家だと、もうひっちゃかめっちゃかになるところだけど、この家は整然としている。見ると、奥さんはビスケットの袋などのゴミが床に散らかると、すぐに拾い集めて、火にくべているのだ。別に当たり前のことだが、カラーシャでは珍しいことなので、妙に感心してしまった。
 神殿に行くと、人々は最後の踊りを踊っているところで、その後近親者の踊りがあって、遺体は埋葬場に運ばれていった。髪をほどいた女性たちが再び髪を結った後に、浄めのために手を洗う決まりなので、下の水路まで女性全員で行く。しかし、そこはゴミとウンコ場。これでは浄めどころじゃない。水道の水でどうして洗わないのだろうか。すっかり気分が悪くなる。葬式のフラッシュライトである肉とカイー(肉汁に小麦粉を混ぜたもの)の食事も、肉はぼそぼそ、タシーリ(平たいパン)も焦げているか、焼けてないかのどっちかで食べられず、ちょっとがっかり。
 せっかくボンボレットに来たから、ムサーシのアーヤやナジッブのアーヤに会いに行きたかったが、チョウモスに来るからと言い訳して、ルンブールの連中と一緒にまっすぐ家に戻る。

10月20日
 足の痛みは去らないが、風邪がほとんど治り、やる気が出てきたんで、多目的部屋のペンキ塗りを朝8時から午後4時まで、久しぶりにめいっぱい働いた。その代わり、予定していた髪洗いと洗濯は水道の水が来なくてできず。
 夕方に発電機とタービンが到着する予定だったが、明朝に延期になったという。

10月21日
 日本からの薬が終わったので、関節の痛みに効くといわれているパキスタン製のイブプロフェンを飲む。すると効き目があってびっくり(以前飲んだ時は感じなかったのに)。洗濯と髪洗いをしたかったが、機械が届くというんで、待っているうちに昼間は終わる。
 夕方になって、技師の一人が発電機と共に到着。タキシラからルンブールまで直行のはずだったが、アユーンから谷に入る道は自信がないと、アユーンで地元のジープに積み替えたという。もう1台のタービンを積んだダットサンはラワリ峠越えを嫌がって、ディールで引き返したので、別のジープに積み替えたが、それも力がなく峠越えができずにディールまで引き返したもようだが、それ以後連絡が途絶えているという。
 着いた発電機は見かけはそれほどでもないが、1.5トンもある。タービンはこれどころじゃなく、さらに大きく、さらにずっとずっと重いということだ。一緒にきたタキシラのダットサンの運転手が、暗くなると帰りの道がこわいからと言うんで、技師の人も早々と帰っていった。せっかくの肉のごちそうは無駄になり、私たちのお腹に納まった。しかし技師も運転手もムスリム。断食の中で、食事どころか水も飲まずに、力仕事をするのは生半可のことではなかったろう。

10月22日
 久しぶりに多目的ホール&仕事場のために大工さんがやってくる。大工さんの窓の網張りを手伝っていると、黄色い機体を積んだジープが上流に向かっている。アジズ技師がタービンを持ってきたのだ。すぐに私もビデオを持って追っかけ、タービンをジープから道路に降ろす作業の撮影をする。
 数トンもあるタービンを道路に降ろすのも、危険で骨の折れる仕事だが、ここから発電所まで、どうやって運ぶかがこれまた問題。人力で運ぶのは不可能だから、ジープで運ぶしかないということになり、急きょ、発電所までの道造りをすることになる。機械が発電所に入らないことには、設置できないので、技師はいったんガラムチャズマの自宅に戻る。彼はもう十日以上家に戻っていないという。

10月23日
 午後1時までペンキ塗り。昼食を食べて、発電所までの道造りの状況を見に行く途中、ボランティアで集まっていた男たちが「作業は終わったよ」と戻ってくる。こんなに早く、たった一日で道ができるのだろうか、それだったら、他にもたくさん道が必要な所があるからどんどん造ればいいのに、などと思いながら、できた道を見に行くと、「どこに道が?」という状態である。後で、「あれでほんとうにジープが通れるのか?」とサイフラーや村人にきくと、「いやあー、大丈夫だよ。普段だって、丸太を積みにもっと岩だらけの沢にジープは入っているんだから」と明るく答えるのだ。

10月24日
 あんなに簡単そうに言っていたが、やはり超重量の機械を積んで、障害競争の道を勇んで繰り出すジープは見つからず、アユーンのムニールのダットサンを頼むことになる。まず最初に発電機を運ぶと言うんで、しばらく私は反対する。「あの道なき道で、途中2箇所、川を渡るンでしょ。発電機は水に絶対に濡らさぬよう言われてるんだから、もしものことがあって川に落ちると、すべてがパアーよ。まず、水に濡れてもいいタービンを載せるべきよ。」しかし、「水はひざまでしかないんんだから、大丈夫、大丈夫。」 といつもながらの村人の楽天的思考回路の前で、私の提案は消されてしまった。
 まず、ジープ幅ぎりぎりの30度の斜面を10数メートル下りて、粉ひき小屋への水路の上を数十メートル走る。そこから45度の傾斜の即席道を低木が茂る河原に下りる。岩場の河原を走って橋の下をくぐって、川に突入する。ダットサンはその時点ですでに何度も左右に大揺れに揺れ、その荷台に載った発電機はその重さが信じられないくらいに踊りまくっている。それをまだ十代の少年二人が一生懸命押さえている。発電機をしっかりロープでしばってなかったことが悔やまれるが、私はビデオ撮影のために遠方にたたずんでいるので、今更どうしようもない。
 川に入ったダットサンは水の下の岩や石に阻まれてなかなか進むことができない。男たちが鉄棒でタイやを浮かしたり、車を押したりして、第一の川の横断クリアー。と思ったが、今度は川から陸に上がる急な斜面を登れない。タイヤが空回りするばかりだ。荷台の発電機はズズーと後方から飛び出しそうになり、遠くから見ていた私の心臓も何度も飛びだしそうになった。冷静にビデオの画面も見ていることができず、久しぶりのストレスの集中を感じた。第二の川の横断は第一よりもさらに難しく、どうにかこうにか発電所の前に到着して荷を下ろした時はほんとうにほっとした。
 タービンの運搬は重量はあっても、水に濡れても大丈夫ということと、二回目ということもあって、発電機の時ほどではなかった。力を貸してくれた男たちに拍手。しかしこのわずかの距離の運搬に5000ルピーも取られた。20051104182915.jpg

  写真:川を渡るタービン

10月26日
 天気悪し。外の仕事ができないので、クパーズの修繕。ついでにシュシュットも作り変えようと、縫い付けてあるビーズや貝を取る作業をして昼が終わる。技師を迎えにチトラールに行ったサイフラー、技師は別の現場に行くことになり、週末に来るという報告。サイフラーのゲストハウスに泊まっている客(イタリア人女性2人とフランス人女性1人)といろいろおしゃべり。イタリア人の一人は先生、もう一人は家具など木材の物のリペアー職人。フランス人の方はマウンテン・ツアーのガイドでご主人はエベレストに酸素なしで登頂、同じ年にK2にも登頂したという有名な登山家らしい。

10月30日までの間の昼間は、主にシュシュット作りに従事。
 
10月31日
 アジズ技師が来たので、発電所で作業見学。まず、タービンにくっつける水管を設置。この水管、角度とサイズをタービンに合わせるために、特注で丸2日間かかってチトラールで溶接したものだ。しかしフレンジの穴が合わず、サイフラーがまた溶接してもらいにアユーンまで持っていく。その間、怪物タービンを発電所の中に入れる作業をする。クレーンがついた鉄の三脚(レンタル料が高い)とテコ、丸太を使いながら、10人ほどの男たちが精一杯の力を出して、少しずつ動かしていく。この作業で12時。
 サイフラー水管の溶接を終えて戻ってくる。こんどはうまくはまってくれた。
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 写真:タービンを発電所に入れる。

11月1日
 昨日発電所の中に入れたタービンを、デザイン通りに設置する作業。三脚だけではおぼつかないので、屋根の梁に角材をまたがらせ、その下に柱を2本置いて強化して、タービンをぶらさげて、少しずつ動かして水管とはめ合わせる。タービンの下に鉄筋を入れてセメントでかためるための作業を、職人とパラワンが行う。4時半までかかる。
 一生懸命やってくれているアジズ技師に、イードお祝いとして、タバコ(本人へ)、ストッキング、匂い袋(奥さんへ)スポンジ入りボールと手袋(坊やへ)を渡す。
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 写真:設置したタービンの下を鉄筋を入れてセメントで固める

11月2日~4日
 メールのチェックやこのブログ便りの更新のためにチトラールに来ているが、たくさんのメールの返事がたまっていて、今日(4日)も泊まりになりそうだ。今日は断食明けのイード祭りで、町は静か。歩いている人たちはみんな新調の服を着ていて、数年前にパキスタン人の友達からもらったお古の服をもう3日も着ているこちとらは、ちょっと浮いてしまう。

 
小さい文字
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