カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

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5日間で葬式3件


06年6月10日~15日 
 村に戻ったその晩、この界隈で一番の長寿で(みんなは125歳だったと言うが?)、1ヶ月以上寝込んでいた老人が亡くなる。この老人は改宗していたため、埋葬方法はムスリム式だったが、カラーシャの親戚が多いので、牛と山羊が捌かれて、葬式参列者にカイーと肉塊と小麦タシーリの食事が出される。1日目も2日目の夜も親戚や近所のカラーシャたちは遺族の家に集まり、話をしながら夜を明かす。
 カラーシャの葬式ではないから(自分の仕事をしてもよい)、夜は部屋で、ワジール・アリが語り部コシナワスの話を手書きでテープ起こしたものをパソコンに打つ作業。ところどころ疑問の個所があり、2話打ち込んで中断。村に戻った2日目の夜はずっと気になっていた「ルンブール福祉文化開発組合」の日本語パンフレッド作り開始。
 6月12日の昼間、手織りのカラーシャ・ショールや手織りの小物類を入れていた長持ちを開けてみると、底の方がカビだらけ。陰干しや洗濯でお昼近く。ヤシールのベランダでシュモンを織っていると、昨年も来たという英国大使館で働く女性が立ち寄る。多目的ホールのことをきかれたので、現在の状況を説明。「時間がないので多目的ホールの中は見ないけど、活動に使って」と千ルピー寄付してくれる。お礼にグリスタンが作ったビーズの腕輪をプレゼント。
ここんところ、股関節の調子がわりあいよいからと、平板のカンナかけを久しぶりにやってみる。しかしカンナの具合も股関節の具合も今一つなので、すぐ止める。午後4時から8時半まで夕食も忘れてパソコン作業。どうも風邪を引いたようで、悪寒がする。
寒いのでジャンバーを着てヤシールのところへカフワ・チャイ(緑茶)を飲みに行く。チャイを飲んでいるところへ、ヤシールの母さんの甥が、「チトラールの病院に入院していたおばちゃんが亡くなった」という知らせを持ってくる。
亡くなったのはボンボレット谷に嫁いでいたヤシールの母さんの妹で、ジャマットの従兄妹でもある。つい先日妊娠8ヶ月で赤ん坊を死産させた後容態が悪くなったが、バシャリから病院に連れていく男性がおらず(夫は夏の放牧場で何も知らなかった)、5日間放っておかれた。親戚がやっと病院に連れていき、輸血を3度行って持ち直したという話はきいていたが、まさか亡くなるとは思いもしなかった。まだ30代の若さだったのに残念でならない。
6月13日朝8時半、語り部コシナワズはじめ村の人たちとボンボレットへ。葬式はジェシタック神殿で行われていた。若くて亡くなった死者の周りではみんな涙、涙。午後には、2年前に改宗した川向こうの老人が重態ときき、イスプレス(義理の伯母)と一緒に面会に。一ヶ月前から意識がなく、薄目を開けて荒い息を吐いていたこの老人は、この夜息を引き取った。
6月14日、6時半に起き、チャイを飲んで神殿に行くと、すでに遺体は埋葬に持っていかれていた。カイーとプレチョーナ、肉塊、小麦タシーリの定番の食事がもてなされるが、天寿をまっとうした死者の葬式ではないので、食欲がわかない。食事の後、夜に亡くなった老人の家にお悔みに行く。この老人が改宗していなかったら、これから2泊3日、歌を歌い、踊りを踊り、山羊をさらに20~30頭犠牲にしなければならなかったところだ。
6月15日。6時前に亡くなった女性のためにクシューリック・イステック(墓場の手前で、小さいタシーリとチーズを供える儀式)を済ませて、ルンブールの人たちとルンブールに戻る。ジープがなくて、ダットサン(ピックアップ)の荷台に乗ってチェックポストまで、チェックポストからは後で来たジープの荷台に、足の踏み場もない満員状態の中でガタガタ揺らされ、日に照らされ、土埃を被りながら久しぶりのワイルド・ライド。ボンボレットに行ってから股関節の痛みがひどくなったので、天満先生からいただいた鍼(2ミリほどのもの)を打ち、風邪の漢方薬も飲む。

6月15日~18日 ―谷での日常生活―

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写真:バラングル村で
考えてみると、今回日本から戻って初めて日常生活がスタートしたのではないだろうか。足の痛みよりやる気の方がまさって、ボンボレットの葬式から戻った2日間半は、昼間は大洗濯、ミシン縫い(古い服の修理)などの雑用、早朝と夕方から夜にかけては、ルンブール福祉文化開発組合の日本語のパンフレットを完成させる、注文していた本棚と展示棚が出来上がってきて、進展と充実を感じる。
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ペシャワール・イスラマバードとんぼ帰り記



6月1日~2日
 静江さんとペシャワールへ。シュバ・バザールのローズ・ホテルにチェック・イン。40度の暑さと街のスモッグで外に出る気がしないが、ヘナを日本に送る用事があるので、リキシャでチョーク・ヤドガールに繰り出す。ヘナの荷造りのためにビニール袋、テープ、ひも、マジックペンなどを買い、両替屋で換金してから、ピープル・マンディのへナ卸屋さんへ。2~3年ぶりに来たので、店の作りも店員のおじさんも代わっている。でもすぐにペプシを出してくれて、愛想がいいのは同じだ。
 ヘナを日本の友人に送り、友人が知り合いに売り分け、そこから出る利益を折半したものがパキスタンに来てからの私の収入源である。輸出規制が厳しいので、一度に9キロの小包を2個送るのがせいぜいで、しかもこのところインドからのヘナが日本に出まわってきているので、そうどんどん売れるわけではない。それでも日本に帰国した時の滞在費になるので多いに助かっている。(もっとも弟家族や両親のところでの居候なので、帰国時の生活費はほとんどお世話になってる状態で、かかる費用は交通費と交際費が主だが。)
 夕食は、弁護士のカリッド・カーン氏とその友人、静江さんを誘って中華料理店で。カリッド・カーンさんは私たちが法廷結婚をした際に尽力してくれた昔からの友人である。今回はジャマット・カーンとの問題についての相談をする。
 
 翌朝は静江さんとハヤタバードにあるナショナル・ブック・ファウンデーションNWFP州本部に、ペシャワール刑務所のキラン・ライブラリーの進行についてきくためと、私のところのキラン・ライブラリーへの本を購入するためだ。刑務所のライブラリーの建物は州政府とICLCが半々の費用で建てているが、先日建築が始まったばかりなのに、もう3メートルもの高い壁が出来あがっているという。刑務所の中でたくさんの人手があるからと思われるが、一つの本棚ができるのにも長い時間がかかるルンブール谷と比べると少しうらやましくなる。
 うちのキラン・ライブラリーへの本選びがけっこう時間がかかり、(選ぶといってもウルドゥー語がわからないので、ファウンデーションのムラッド氏に選んでもらったものを、絵をみたり、内容をきいたりして最終選択するのだが。)子供用のウルドゥー語の本はたいていが表紙も中の紙もぺらぺらで、すぐ紙くずになってしまいそうなものだから、まずビニールでカバーを作るのが優先だ。
 午後、ペシャワール会の病院を訪ねる。会費を納めるためと、薬のことに関してききたいことがあったからだ。久しぶりに藤田さんにも会うことができ、病院のランチを御馳走になりながら、坂尾さん、川本さん、村井さんたちとも話ができてよかった。
 夕方近く、知り合いの事務所へ顔を出して、ホテルへ戻る。

6月3~6日
 イスラマバードへ静江さんと。カラチ・カンパニーのホテルに泊まる。しかし午後から夜まで長い停電で、ベッドで横になっていても暑いし大変。電気がついていた斜め向かいのホテルで夕食をする。「1-10ヌードル・スープ」を頼んでから、後になってそれは「ワンタン・ヌードル・スープ」のことだと気がつき、静江さんと大笑い。その1-10すーぷも、チキン・ベジタブルも中華風であっさりしていておいしかった。

6月4日
 夜10時半のPIA便で帰国する静江さんのおごりで、日パの恵子さんを誘って、昼食は韓国料理屋さんへ。冷麺、チジミ他たくさんの韓国メニューは日本で味わえない韓国の家庭料理で美味である。しかし値段もそれ相当するんで、一大決心しないと行けないところだ。
 静江さんはタクシーで空港へ。後で静江さんに日本に電話してきいたら、運転手に「カシミールから来ていて貧乏だから、金を援助してくれ」とせがまれたらしい。おまけに私が成田から宅急便で送るよう頼んだヘナ5キロも出国の時にこれは何だとひっかかり、リュック全部開けられるはめになり、その上、出発が3時間も遅れたというから散々だったようだ。静江さん、ごくろうさま。これに懲りず、また9月に来てね。

6月4日
 朝、郵便局でヘナの小包を送る。ヘロインなどの麻薬物と間違われやすいので、近年は粉のものは(スパイス、紅茶も)送るのが困難になってきている。ヘナも粉なので、郵便局員から「税関で文句つけられても知らないよ」と言われる。その後、イスラマバードのナショナル・ブック・ファウンデーションへ。コンピューター・セクションのショーカット氏はICLCのパキスタン支部代表であり、私のところのキラン・ライブラリーの本選びを手伝ってもらう。
 本で重くなった荷物と共に、ファウジアの家に。ファウジアはドイツ、ミュンヘンで開かれた「世界の子供アート・フェスティバル」に子供共々招かれて、2日前に帰ったばかりだ。アフガニスタンでアンチ・ドラッグの仕事をしていたご主人のティミーもこの日帰ってきて、廊下はスーツケースや荷物でいっぱい。

6月6日
 半地下の客室はイスラマバードにしては涼しいが、これまでの移動の疲れがでたのか、パソコン作業をする気がせず、メールをチェックしただけで、ぐだぐだして過ごす。夕食は恵子さん、吉田さんと餃子屋さんへ。こちらは韓国料理屋よりぐっと安くて、安心して食べられる。ビールも飲んでお腹ぱんぱん。

6月7~8日
 ペシャワールへ戻る。フィダ氏のオフィスにノートパソコンを持っていって、インターネット・カードでEメール作業。藤田さん、ブック・ファウンデーションのムラッド氏に電話。明日のフライトの切符を買いにPIAに行くが、前の日2便とも欠航したので本日はいっぱいだと言われたが、ひょっとして1席ぐらいあるかもと2時間半待つ。しかし席は取れず、ウエイテイングの切符でがまん。

6月9日
 最後の席が運良く空いて、第1便でチトラールへ。ペシャワールからチトラール着くと、全域エアコンという感じで、涼しく空気が澄んでいる。ルンブール行きのジープが見つからないが、ジープをチャーターしても谷に帰りたい。 

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