カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

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アユ―ンの家を訪問(足踏み脱穀器を見に行く

10月14日から22日までの8泊9日間、バラングル村の我が住処を村串静江さんに預けていたが、留守の間、静江さんはジャムシェールと多目的ホールと仕事部屋の窓拭きも含む大掃除をはじめ、私が頼んだ仕事以上のことをやってくれていてほんとうに助かった。小犬のハナはまたひとまわり成長していた。
―日本食三昧―
私はカラーシャ谷にいる時は日本食をほとんど食べないが(ないものねだりはしない。)、このところ、9月にいらした津田さんたちや本間さん、そして東京やイスラマバードの友人にいただいた日本の食料品が、食料保存に使っている大鍋2つに入りきれないほどになり、それをながめては豊かな気分に浸っている。しかし、せっかくあるものなんだからそれを味わってさらに豊かな気持になろうではないか、静江さんも日本を離れて2ヶ月近く経っているので、そろそろ日本食を食べたい頃だろうと思い、昼食は日本食あるいはそれに近いものを2人で作って食べている。
五目寿司。お味噌汁。野菜スープ。ボンカレー。ほうれん草のゴマあえ(ほうれん草とゴマはチトラール産。でもゆで方と日本の醤油が決め手なのです)。キャベツと玉ねぎの玉子とじ(これも炒め方が決め手)。いやあ、おいしい、おいしい。日本の食文化を背負っていてよかったと感謝してます。

―アユ―ンの家を訪問(足踏み脱穀器を見に行く)―
 ジャムシェールが紙漉き用のパルプを石うすでついている作業をたまたま見たアユ―ンの知り合いが、「手でつくのは大変だから、足を使ってつく脱穀器でやればいいじゃないか。」と言ったのがきっかけで、イード祭最終日の10月26日に、静江さんと一緒にその知り合いの家に行くことになった。後で同じものを作ってもらわなければならないので、ジャムシェールも一緒に来てもらう。
 丸太運搬の運転手をしているこの知り合いは、仕事柄しょっちゅうルンブールに来ているが、彼は大のタラ(地元の焼酎)好きで、酔っ払った目をした彼をカラーシャの家でよく見かける。もちろん彼は回教徒であるが、カラーシャの酒の大半は回教徒に消費されているといっても過言でないくらい、この辺りの回教徒は酒を飲む。
この人の家に行ってみてびっくり!広い芝生の庭とベランダのついた客室はサウジアラビアやペシャワ―ルから買ってきたという洒落たソファー、ベッド、絨毯、カーテン、シャンデリア、壁掛けなどで飾られ、ケーブルテレビや電話もある。家族が住む部屋や台所も大きい窓から光がよく入り明るくてとても清潔でゴミ一つ落ちていない。この辺では豪邸とも言えるだろう。「こんなきれいな家に住んでいるのに、なんで(汚い)ルンブールに行くの?」と冗談を言ってやったら、「タラのため。」と本人ニヤッと笑う。
 こういう酒好きの彼だが、妹さんは高校卒業の後、ソーシャル・ワーカー(民生委員)の9ヶ月コースも終了したなかなかのインテリで美人のお嬢さん。ふだんはお茶のカップも洗わないけど、母親たちが親戚の家に行っていないので、彼女が私たちの昼食を作ることになったらしい。回教徒の家なので、ジャムシェールたちは家族の部屋に入れないが、静江さんと私は家族の居住場所に案内され、女性たちの団欒の場である台所に座って、妹さんが料理する様子を見学しながら、おしゃべりをして過ごす。
 2時間かけて作られたお御馳走は、チキンカレー、トマトオムレツ、里芋と山羊肉の煮もの、豆入りジャポニカ米ご飯、厚いチャパティ、トマトチャツニと豪華版。どういう味付けがいいか妹さんが前もって訊いてくれたので、油っぽくなく、辛くもなくて、とてもおいしかった。
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 足踏み脱穀器
 脱穀器は思っていたよりもシンプルな道具で、これだったらジャムシェールも作れるだろう。しかし逆に足と腰が疲れそう。
 
―カラーシャ・ドゥーラを訪れる― 
10月30日、ドキュメンタリー番組の用事もあってチトラールに行くことになる。前日サイフラー・ゲストハウスに泊まった、アフガニスタンでNGOの仕事をしているという日本人のチャータージープに乗せていただく。
チトラールに行く途中、NGOの方とボンボレットにまわって、ギリシャ人NGOが建てたカラーシャ・ドゥーラ(カラーシャの家という意味だけど、カラーシャの家の千倍大きい規模だ。)を見学する。ここには一階の左半分に博物館、右半分に保健所、2階には学校、セミナー部屋、3階に図書室と講堂がある、総合コミュニティ・センターだ。3階のベランダにはブドウ棚が作られていたりして、カラーシャとギリシャの建築様式を取り入れたとても美しい建物だ。
博物館は昨年完成間近の頃に見せてもらったことがあり、建物や展示のセンスの良さに感心したが、その後さらに展示品も充実していて素晴らしい。オープン後は州政府の運営に委ねられていて、カレッジを卒業したカラーシャの青年が案内役で待機している。入場料は9月までは外国人300ルピーだったが、今は100ルピーになっている。100ルピーだったら、バックパッカーも払える値段だから、カラーシャ谷を訪れる人はぜひ足を運ぶといい。
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 カラーシャ博物館
2階のカラーシャ小学校は4教室あり、58人の生徒が3人日のカラーシャ教師の指導で勉強していた。教室の黒板も広いし、窓が両側にあるので明るい。生徒たちは椅子に座りりっぱな机に本を広げて勉強している。全生徒には制服が支給され、男の子は紺のシャワール・カミーズ、羽のついた飾りが付けてある白いチトラリ帽。女の子は黄土色と深緑色という地味な色合いの模様が入っているカラーシャ・ピラン。全員にセーターも支給されている。給食もあるという。私立学校みたいに贅沢な環境だが、これもギリシャ人NGOの援助である。
今、ギリシャ人NGOはブルーン村専用のバシャリ(女性のこもり小屋)を建築中だが、その予算は13万ユーロというから1500万円近い莫大な金になる。わずか人口400人の村の中で、女性たちはいつも妊娠しているか、授乳している状態が多いので、生理や出産でバシャリを使う女性は常時3~8人いるかいないかである。このバシャリ建設に関しては、ちょっと援助を与え過ぎではないかと思う。元来、バシャリはカラーシャにとって家の延長の場所で、カラーシャ自らが建ててきたものだから、カラーシャが先頭となってやるべきなのだ。質の良いものを造ってあげたいという気持はわからないわけではないが、1500万円の予算があれば、私たちが造った水力発電所が2つ以上建つことを考えてもらいたい気がする。

お知らせ
ブログ便りのコメント欄に投稿される方にお願い。
コンピューターが得意でない私、実はコメントをいただいても直接ご本人に返事をすることができないのです。(メールアドレスがわからないので)それでなんでしたら、コメント欄に書き込まないで、私のメールアドレスにメッセージを送っていただければ、返事を送ることができますので、そちらにお願いしたいのです。
私のメールアドレスは akkowa25@hotmail.com です。よろしくお願いします。

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バニヤンの大樹の残骸とドキュメンタリー・フィルム

 10月20日、イスラマバードの用事が済んで、チトラール行きの飛行機に乗るためにペシャワ―ルに向かおうとしている日の早朝、焼け落ちたままになっていたE―7のバニヤン大樹の残骸が、ファジアの家の前にトラクターで運ばれてきた。この樹齢千年を越すとも思われる大樹は2003年に何者かによって火をつけられるまでは、仏教徒やヒンドゥー教徒の崇拝の対象となっていて、そばに立つ小さな祠に素焼きの燈明皿に火を灯して、祈りを捧げられていたという。その祠も今やめちゃめちゃに壊されてしまっている。
 写真下:ファジアの家の前に運ばれたバニヤン大樹の残骸
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写真下:今年2月の状態 
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 焼けたすぐ後は、枝は折れていたもののまだ主幹が立っていたので、その時点で手を打てば、もしかすると全壊は避けられたのかも知れない。実際に幹から若葉が生まれているのを私は今年の2月に見て、写真にも撮っている。しかし、朽ちる前にどうにか保存してくれるよう、中国人の仏教徒、あるいはファジアたち平和活動家による再三のリクエストに市の責任者は全く耳を貸さず、ずっと放ったらかしの状態だった。
どんどん朽ちていくばかりのバニヤンの残骸に心を痛めたファジアは、市の責任者に許可をもらって残骸を引き取ることにした。残骸の一部に仏陀の顔(あるいは目だけでもいいが)を刻んで保存したいというのだ。邪魔だから誰かが引き取るんだったらちょうどいいと思ったのか、意外とすぐに(1日で)許可が下りたという。朽ちてほとんどなくなりそうだと思っていたが、こうやって広いところに運んでみると、まだまだ存在感は漂っていて、このままオブジェとして置くだけでもいいと思ったりする。ただ虫食いが激しくて、中がふかふかのパルプ状態になっているので、腐っていくのを止めることができるかどうかが課題である。
ペシャワ―ルに出発する段になって、ファジアの妹のサマーから電話がある。彼女が今取り組んでいるドキュメンタリー・フィルム(宗教の側面からとらえた人権問題)に使うので、大樹があった現場の前で私にインタビューさせてほしいというのだ。仏教徒の私からコメントを取りたいらしい。私でよければと、サマーと一緒に現場に向かう。ところがいつも通っていた大樹のもとに続く道がどういうわけか見つからず、仕方なしに近くに建つ大きなマドラサ(イスラム教義を教える宗教学校)から入ることにする。女二人連れの我々を見てすぐに門番のじいさんがやってくる。うまい具合にじいさんはサマーと同じパシュトゥー人で、サマーがパシュトゥー語で話しかけると、最初の不信感は少し消えたもよう。大樹跡の場所まで距離はないものの、その間は今年の雨でさらに野生のジャングルになっており足場が悪い。ファジアのところに持っていったばかりだったので、少しの枝が残るばかりになっていたのは当然だが、ここに十数人の大人が手をつないでやっと輪になるほどの大樹が存在していたという手がかりはほとんど消滅してしまっている。
 後でサマーが話してくれたことは、一緒についてきた門番のじいさんが、さかんに私の行動を不思議がったということ(サマーが演出したものだけど)。「どうして、この日本人はわざわざ朽ちた木を見に来たのか。こんなもの何の価値もないのに。こんなものを大事に思うのは全く馬鹿げている。だからカフィ―ル(不信心者)なんだ。あんた(サマーに向かって)ムスリムならこの日本人にちゃんと教えてやれや。早くイスラム教に改宗しなとな。」このじいさんの登場は台本になかったものだったので、サマーからすれば棚ボタモノ。どういうふうなドキュメンタリーになるか、テレビ東京のドキュメンタリーだけでなく、こちらの方も楽しみだ。ちなみにテレビ東京の放映は、第1候補が11月4日(土)だということです。お見逃しなく!(ああ、恥ずかしい!)

静江さんからの便り

06年10月21日

今回のブログは、9月4日に今年2度目のバラングル村滞在中の村串静江さんが、先日静江さんと一緒に訪問された後、すでに帰国されている助産師の津田さんに送信した手紙を公開させていただくことにしました。今や私の片腕以上の存在である静江さんの村での生活、多目的ホールの関わり方がよく理解できることと思います。
      *****
津田万寿美様
 お元気ですか?体調はいかがですか?旅の疲れは取れましたか?万寿美さん達は何事もなく予定通り成田に着きましたか?
 3人ともカラーシャの村での初めての滞在を楽しんでいただいたようで、うれしく思っています。万寿美さん達スーダ・ウシテウォオ(助産師)とカラーシャ・イストリージャー(カラーシャの女性)とのミーティングは多目的ホール完成後の記念すべき第1回目の活動となりました。ありがとうございました。来年もバカンスと何かの活動を兼ねて来ていただけるものと、晶子さんともども期待しています。今度は今年来れなかった緑さんもぜひ・・・

 別れ際に皆様からいただいたアメリカ・ドルは、さっそく雨漏りしていた屋根の修繕費用に使わせていただきました。とても助かりました。残金は多目的ホールでの大人たちとの学習会の費用(視聴覚資料の作成等)にと考えてキープしています。お預かりした責任として、使途については後日報告するつもりでいます。遠い所まで来ていただき、寄付までいただいて恐縮しています。ありがとうございました。
 9月17日、イスラマバードで万寿美さん達を見送った時には体調を崩していましたが、いただいた白飯と味噌汁の素に救われて、翌日にはすっかり元気になりました。翌日の夜に成田から到着する友人(元バックパッカ―。30歳位の若い男性。バラングル村に長期滞在歴あり)と9月19日に村へ向かうつもりでしたが、何と飛行機(PIA)がまる1日遅延。結局暑くて何の楽しみもないイスラマバードとラワルピンディに計4泊。(津田さんたちと2泊、さらに2泊)9月20日の朝の乗り合いバス(コーチ)でラワルピンディーを発ち、途中で乗り換えてディール泊。9月21日にチトラールから涼しいルンプール谷へと11日ぶりに帰り着きました。その友人に荷物を持ってもらったり、食べ物を買ってきてもらったり、色々と世話になりながら、やっとたどり着いた感じ。さすがに元バックパッカ―のお兄さんは頼りになりました。
 
 今日は10月13日。こちらに帰って来てからもう3週間以上過ぎたことになります。こちらはもうすっかり秋らしくなり、ズボンの下にはタイツと厚手ソックス。セーターも着用。夜は冷えるので、寒がりの私は時々部屋のストーブに薪をくべてもらっています。村での日常生活は相変わらず洗濯のみ。好きな時間に多目的ホールに行って、ライブラリーに来ている子供達の様子をながめたり、ちょっと手伝ったり。晶子さんとあーだこーだと今後の活動について夢を膨らませたり、現実の難しさに夢しぼませたり。仕事らしい仕事は会計担当として帳簿の整理をしたことです。
 ハイキングには2回行きました。1回目は村に戻って8日後、9月29日にまたサンドリガーに、ゲストハウスの娘グリスタンと。万寿美さんたちと登ったサンドリガー・コーン(頂上)までではなく、途中の夏の耕作地までの往復。足慣らしにちょうどよいエクササイズになりました。2回目はその10日後、10月9日~10日に1泊2日のミニトレッキング。サンドリガー・コーンを含む3つのコーンを結ぶコースで、眺望の良さは抜群。カラーシャ3つの谷と山羊の放牧地の位置関係と地形の様子がよくわかるのでとても楽しめました。
 明日、10月14日から晶子さんが用事でイスラマバードに出かけます。1週間から10日間ぐらいかかる予定だそうです。その間の多目的ホール&仕事場の留守を私が預かることになりました。午前中は7時45分から正午までは晶子さんが手伝いのために雇っているジャムシェールに仕事の指示をする、または一緒に仕事をする。午後は1時半から3時半までライブラリーに顔を出して、個人の読書カード作りなどの手伝いをする予定です。
 2003年に仕事をやめて以来、時間通りに出席したことがない私なので、大いに緊張しています。おまけにジャムシェールはカラーシャ語と片言の英語、私は両方とも片言。今日もジャムシェールはペンキ塗りの仕事をしていて、晶子さんからペンキの溶き方や塗り方、用具の後片付けまでつきっきりで教わらなければならなく、ちょっと誉めたら調子にのって、余計な所まで塗ってしまい、またそれを落とすのに一苦労。どうなることやら・・・。

 留守を預かるもう1つの意味は、子犬の「ハナ」の世話のために晶子さんの家(彼女は仕事場で寝泊まりしている)に泊まるということです。動物好きの私としては、嫌だと言いながら楽しみの方が大きいのですが、何しろまだ赤ん坊なので、果たして夜静かに寝かしてくれるのか、どうなることやら・・・

*****
(わだ晶子)ハナちゃんの説明をします。ドキュメンタリーの撮影にきた加藤さんたちがペシャワールに出発する朝、チトラールの宿の前でふるえて鳴いていた子犬です。ちょうどその前の晩の主なる話題が、加藤さん宅のペット犬の話だったので、頭の中がいつもより深く強く「犬」についてインプットされていたこともあります。またスヌーピーとよく似た姿形のちっちゃいハナちゃんがとてもかわいらしかったというのもあるでしょう。普段、のら犬なんて避けて通るはずの私ですが、つい抱き上げてしまいました。ハナを膝に乗せてマウンテン・インのレセプションに座っていると、すっかりなついてスヤスヤと寝入ってしまいました。
 メスだから育てるのに大変だと、いったんは外に放したのですが、午後になってルンブールに帰るという時に、再びハナちゃんが鳴いて現れたのです。ちょうど断食月の初日で、自分が食べれないのに、ちっちゃな野良犬に餌をくれる人間はいないだろうから、このまま飢え死にするかもしれないという思いと、どっちにしても番犬は欲しかったし、メス犬という問題はそのうち避妊手術をすればいいやという一瞬の決断で、家に連れて帰ることにしたのです。
 うちの飼い犬になった翌日に、静江さんとシャンプーをしてやりましたが、すごいすごい、何がすごいって、あの小さい体にノミが数千匹いたことです。シャンプーしただけでは取れず、その後毎日静江さんがノミ取りをしてくれて、今ではほとんどノミはいないようです。わずか20日足らずで、すっかりやんちゃになって、体も倍近く成長しています。それでもまだ小さくて、誰かがこの犬の番をしなければならない状態だから、静江さんに世話になることになったのです。はやく大きくなって、番犬として活躍して欲しいよ。
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静江さんとハナちゃん(来てから1週間目)
*****


それでは、またお便りします。
10月13日 バラングル村 サイフラーゲストハウスにて
静江


お知らせ

―キラン図書館の報告―
8月28日にオープンしたキラン図書館は、9月30日までに25日間午後2時から4時まで開館した。利用者は全部で40人。そのほとんどはバラングル村の子供たちだが、グロム村の子供や高校を卒業した若者たちも来ている。1日平均で15名、述べ378名が利用した。9月の中旬からはクルミの収穫が始まり、収穫した後に木に残って落ちたクルミを拾い、それを店屋に持っていってお菓子と交換するのが子供たちの大きな楽しみなので、この時期ぐんと利用者が減ったのは仕方がないだろう。おもしろいのは、学校に行ったことがなくて、字が読めないのに、字を読める友達を連れてきて友達に読んでもらい、一緒に声を出して本を読んでいる若者もいることだ。彼は20歳ぐらいだが、突然本を読む楽しさに芽生えたという感じで、熱心な利用者の一人である。

span style=font-size:large>―私たちの活動がテレビで放映されます。―
 9月半ばから10日間は、古い知り合いの仲間のディレクターとカメラマンが私の活動軌跡を撮影するために滞在。何故日本人の私がここに住み着くようになったのか、その原点をドキュメンタリーの映像にするということだが、果たして現在の日本人に理解ができるような映像になったかどうか、私も当事者として興味あるところだが、でも自分の顔や声をテレビで見たりきいたりはしたくないものだ。特に撮影時は忙しいのが重なり、持病の股関節痛が増して、足をひっこひっこ引きずって歩いているのが顕わで、ちょっとカッコ悪い。これを見たら、家族や友達がまた心配するだろうなと、逆に心配したりして。
 この番組は11月のいずれかの土曜日の午後に、テレビ東京の「ザ・ドキュメント」(30分番組)で放映されるそうです。私自身は見るのが恥ずかしいけど、私のルンブールにおける生活と活動、そして私の気持をよくとらえてある番組だと思うのでぜひ見てくださいね。もちろん私たちの活動の重要な助っ人である静江さんも登場します。

9月の報告

06年10月3日
 
―助産師さんを囲む集会―
9月4日、静江さんが今年2度目のルンブール訪問にやって来た。今回は静江さんの山友達である津田万寿美さんと彼女の仕事仲間の杉浦恵子さんと石若令江さん、静江さんの幼馴染、堀さんの息子さんのまさと君、そして画家の本間ケイさんという総勢6人のメンバーで来られた。
 津田さん、杉浦さんは札幌市の天使大学大学院で教鞭をとる助産師さんだ。石若さんも以前同じ職場で働いてらした助産師さん。大学4年生のまさと君は2年前にも静江さんに同行して1ヶ月間バラングル村のサイフラー・ゲストハウスに滞在したことがあるが、村のみんなに「また来るよ」と約束したので、大学卒業したら、大学院にいくにしてもその後就職するにしても、長い休暇は取れないだろうから、この夏休みが最後のチャンスだからとやってきたのだ。なかなか律儀な青年だ。本間さんは数年前に私の写真集の案内をインド関係のホームページで見て購入されたが、それ以来カラーシャの女性を描きたいと願っていらしたので、今回タイミングを合わせて静江さんたち一行に同行されたわけだ。
 村人との交流や山歩きでルンブールでの生活を楽しまれた後の9月9日の午前中に、日本の助産師さん、カラーシャの産婆さん、村の女性たちの交換会を多目的ホールで開いた。村の女性はこれから結婚する娘、結婚して現在妊娠中の女性を中心に声をかけた。
 集会は10時に始まるといってあったが、いずれの集会も時間通りに始まったことのないここでは、産婆のシャリワリカンのアーヤが10時半ごろ到着してから、女たちがぼちぼち現れ始め、全部で18人集まった。まず、津田さんたちの紹介の後、カラーシャ女性たちに自己紹介(名前と年齢、結婚何年、子供何人…私の年は何歳だろうとみんなにきく人が多かったが)してもらう。
 津田さんたちが、「日本では80年ぐらい前は結婚した女性は8人、10人とたくさんの子供を産んでいた。40年ぐらい前は4人ぐらいの子供を産むようになり、今では1人か2人しか産まないようになった。昔はみんな母乳で育てていたが、40年前ぐらいに粉ミルクを飲ませるようになった。しかし現在では粉ミルクよりも母乳が一番よいとわかり、母乳を飲ませるように指導している。カラーシャではどうですか?」と話をもっていくと、「私たちには母乳で育てる以外は考えられない。粉ミルクは高いお金を出して買わなきゃならないので、まず無理だ。」とカラーシャの女たちは口を揃える。
 土地に伝わる妊婦や経産婦の民間医療はどんなものか(炒った小麦、ごま、黒砂糖のお茶などを取る)、赤ん坊をぐるぐる巻きにするのは何故か、などカラーシャ女性の出産前後の状況がどういうものなのかを把握していただけたと思う。普段、集まりというと男ばかりのものだから、多目的ホールでの集会第一弾が女性の集まりだったのは、とても嬉しいような気がする。
 今後もJICA(イスラマバード)で作った出産する女性の手引き本や、子供にわかり易く説明した体についての本(イギリスで出版)など質のよい本を使いながら、母子健康についての集会を行っていきたいと思う。
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