カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

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日本の昔話は人気がある。



 1月2月は学校の冬休みで多目的ホールのキラン・ライブラリーは午前中オープンしているが、2月に入ってからは来る子供が少なくなってしまった。雪ゴルフとクリケットに目移りしたようだ。それでも毎朝十数人やってくる。
 最近の私は多目的ホールの机に座り全体的な監督をしながら、バズバン(ビーズの腕輪)作りに忙しく、たまに本を読んであげたりするけれど、ほとんどジャムシェールに任せている。彼が小さい子たちに英語のABCとウルドゥー語のアーベーを教えているが、2ヶ月経っても、相変わらず「エー、ダブュリュー・ピー、エル、イー、エープル。シー、エー、ティー、キャット。」などと同じことをやっていて、単なる口の運動と時間つぶしでにしかなってないではないかと思うこともある。(エープルはパキスタニ発音だからアプルと教えるようにジャムシェールに言うが、どうしてもエープルになってしまうようだ。それにスペリングは大きくなって覚えればいいから、初めは身の回りの必要な言葉を教えればいいのに、小学校でそうやるのだろう、スペリング付きで本に載っている単語をただ声を出して言っている。)
 しかし感性と想像力を養うという面では確実に貢献していると思う。毎日ABCの勉強の後に、ジャムシェールが紙芝居や物語本を読み聞かせているが、紙芝居はやはり人気がある。美穂子寄付金により贈られた「浦島太郎」はもう何回も繰り返しやっているのに、今も「タローをやって」と子供たちからリクエストがくる。ICLCの田島伸二氏作の紙芝居「山に木を植えよう」もまじめなストーリーなのに声がかかる。
 今朝はパキスタンで出版されたウルドゥー語版「サルカニ合戦」がリクエストだった。昨日ジャムシェールが読んできかせたばっかりなのに。おかしいのは、カニという言葉がカラーシャ語にないので、ジャムシェールはカニのことをゴイック(虫)と言っていた。私が「それは虫じゃないよ。英語でクラッブといって、海にいるんだよ。魚と同じく食べられるもので、日本人も西洋人も食べるんだけど、けっこう値段が高い。」と教えると、「エー!食べるの?」とみんな目を丸くして驚いていた。
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 写真:すっかり雪が解けた村の広場でクリケットを楽しむ子供たち

2月23日 
3月初旬にこちらにやって来る村串静江さんに最終連絡のためと、DVDプレーヤーのために、明日チトラールの町へ行くことにする。しかし時の経つのは速いものだ。ついこの前帰国する静江さんをチトラールまで送りに行ったと思っていたのに、もう彼女が来る時期になってしまった。静江さんには3月後期から私が帰国している間、「多目的ホール&作業室」の管理と、今やすっかり大きくなったハナの世話をお願いすることになるが、彼女は日本でもお友達や知り合いの方々に「多目的ホール&作業室」の活動についての広報を積極的にやってくれて、ほんとうに感謝している。
考えてみれば、DVDプレーヤーとテレビはチトラールで静江さんと一緒に買っている。冬の間、大人たちの学習会で多いに活用しようと思っていたが、トラブルだらけで今だ使っていない。(使えない)どうも静江さんが来るのを待てという深い意味があるのかも知れない。なんて思って笑い飛ばさないことには、この不条理な「品物は売ったら最後、売った物が悪かろうが、壊れていようが、売った店には責任ない。それは買った者の運が悪いのだ。」という考え方にはついていけない。

 2月にもう1度大雪が降るのではないかと危惧していたが、小雪が舞った 村でのニュースは、3年前だったか、私のホームページの便りでも紹介したが、ボンボレット谷に嫁入りしたジャマット・カーンの姪が、うちの村の上流に住む男性のもとへアラシン(駆け落ち婚)したことだ。上流の男性は彼女がボンボレットに嫁ぐ前から嫁に来るように言っていたのに、当時はイエスと言ってもらえず、今になって悪態をつくボンボレットの夫に耐えられず、姪はこちらの男性のところに来たようだ。ボンボレットの夫は彼女の実家に合計3~4万ルピー現金を贈っているので、新しい夫になる男性はその倍を前の夫に払わなければならない。6~8万ルピーもの現金を普通のカラーシャが持っているはずはなく、その男性は家の周りの畑を売ることになった。(彼は遠い上流に別の広い土地を持っているので問題ないというが)土地を誰が買うかを含めて、このアラシンの話は1週間ほど村のトップニュースだったが、近々、前の夫の一族が倍返しの贈り物を受けとりにくると思うが、その時もまた村中が盛りあがることだろう。

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バスン・マラットとベラバシ

年が明けてから晴天が続いて春も間近ということで、1月29日にバスン・マラット(春の生け贄)が山羊と牛を犠牲にサジゴールで行なわれた。(例年は2月の後半に行なわれる。)
その翌日にはベラバシが早々と行なわれた。ベラバシも例年は雪と雨が続く冬の後半から初春にかけて行なわれる。バラングル村の各世帯で牛1頭を買い、天候が回復するよう神に祈願する行事で、犠牲になった牛の肉は各世帯に平等に分けられる。今年は8千ルピーで牛を買い、57世帯分に分けられた。(1世帯140ルピー払うことになる。)私にも独立した世帯ということで肉が分配された。どこの村にもへそ曲がりの家があるようで、2軒の家が肉の量が少ないと受け取るのを拒否したので、リストを作って配分作業をボランティアでやったヤシールが、余った2軒分の肉も引き取った。(もちろんお金も払う。)村の人たちは「神に祈願した価値あるものを、量が少ないと拒否するなんて、罰当たりだ。」と笑っていたが。
捌いたばかりの新鮮な肉、ハナ以外家族がいない私は、肉の部分をサイコロ・ステーキ風にフライパンで焼き、骨の部分をスープにして、ワインを飲みながら、久しぶりの御馳走に舌鼓。神さまが祈願がきいてくれてこのまま晴天が続いて春が来てくれますように。
*写真を入れようとしましたが、またまた入ってくれません。写真なしですみません。



バスン・マラットとベラバシ
年が明けてから晴天が続いて春も間近ということで、1月29日にバスン・マラット(春の生け贄)が山羊と牛を犠牲にサジゴールで行なわれた。(例年は2月の後半に行なわれる。)
その翌日にはベラバシが早々と行なわれた。ベラバシも例年は雪と雨が続く冬の後半から初春にかけて行なわれる。バラングル村の各世帯で牛1頭を買い、天候が回復するよう神に祈願する行事で、犠牲になった牛の肉は各世帯に平等に分けられる。今年は8千ルピーで牛を買い、57世帯分に分けられた。(1世帯140ルピー払うことになる。)私にも独立した世帯ということで肉が分配された。どこの村にもへそ曲がりの家があるようで、2軒の家が肉の量が少ないと受け取るのを拒否したので、リストを作って配分作業をボランティアでやったヤシールが、余った2軒分の肉も引き取った。(もちろんお金も払う。)村の人たちは「神に祈願した価値あるものを、量が少ないと拒否するなんて、罰当たりだ。」と笑っていたが。
捌いたばかりの新鮮な肉、ハナ以外家族がいない私は、肉の部分をサイコロ・ステーキ風にフライパンで焼き、骨の部分をスープにして、ワインを飲みながら、久しぶりの御馳走に舌鼓。神さまが祈願がきいてくれてこのまま晴天が続いて春が来てくれますように。
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 写真:ベラバシの行事で、犠牲にされた牛の肉を分ける。

悪夢の再現―テレビとDVDプレーヤー


 このところジャムシェールの仕事がなくて(ちょっとした大工仕事はあるが、外が寒いので後まわしになっている)、つい先日、仕事がないから、玉子と玉ねぎとナイロン糸を谷の店で買い、帰りにバズバン作りを頼んでいた女性のところに行って出来あがったのをもらってくるように使いに出したら、半時間で戻ってくるべきところ2時間もかかって戻ってきた。しかも、頼んだ品物は全く持ってこず。「玉子が見つからず、店をまわっていた。やっと1個見つけて買ったけど、ポケットに入れてたら割れてしまった。」と渡したお金は玉子1個分減って戻ってきた。バズバンの女性もグロム村に行っていていなかったらしく、やっと今さっき戻ってきたが、2個目がもう少しで終わるから、それが出来たら渡すと言われたと、使いに出した意味がまったくない。子供の使い以下だ。「頼んだものが店になかったら、なかったと、どうしてすぐに戻って来ないの」と文句言ってやったが、その晩はこの件についていろいろ考えをめぐらせ、考えれば考えるほど腹が立って眠れなかった。
 彼には給料払っている。恩着せがましく言いたくはないが、その給料は大変な思いをして(友人たちの寄付金や、ハンディクラフト、写真集を売ってお金を作る。バズバン作りもその一つ)、あちこちやりくりして払っているのに、本人は天から降ってくるとでも思っている。チトラールまでジープ代とランチを賃金以外に払って頼むことも半分以上無駄だったり、違う物を買ってきたりと手伝いというより、損失のためにやっているのではないかと思ってしまう。もちろん本人はそういう自覚はないのだが。

 腹立つことで思い出した。思い出した。この件はジャムシェールの問題どころではない。昨年プリンターのカートリッジのことで、損をした上に喧嘩までふっかけられ、泣き寝入りのまま非常に気分悪い思いをしたことがあったが、今度はテレビ&DVDのことでその悪夢が再現。前々のブログでもふれているが、まず、1)買ってすぐにテレビの映像が出なかったので、10日後私がチトラールの店に行き、接続コードを変えてもらう。2)すると映像は出たが、カラーが出なくて白黒のみ。3)カラー・システムがオートに固定されていてPALにならないので、カラーにならないようなので、固定を解除するためにはどうしたらいいか質問の手紙を店までサイフラー議長に託す。しかし「カラーが出ないのはカラー・システムを動かしたらいい」という返事。動かせないからきいてるのに。4)再び、同じ質問の手紙をジャムシェールに持っていってもらう。やはり、カラー・システムを変えろという返事。5)今度は私がチトラールに行った際に、テレビのリモコンを持って店に行く。店主は自分はコンピューター内臓の機器に弱く、息子がよく知っているので、息子のいる夕方4時から5時頃においでというので、4時半に行ってみると店は閉まっていた。この件のために、チトラールに泊まることになる。6)翌日店に行くと、私のリモコンで店にあるソニーのテレビのカラー・システムを変えることができたので、テレビに問題があるだろうという。テレビを店に持ってくれば無料で直すという。あの重いテレビを雪道の中、運んでくるのは大変だから、店の息子にルンブールに来るよう言うと。「それだと修理代を1200ルピーもらうことになる。直らなくても500ルピー請求する。」という。横にいたジャムシェールが「そんな1200ルピーも払うのは馬鹿げている、自分が運んで持ってくる。」と言う。7)後日、ジャムシェールが多目的ホールに置いてあるテレビとDVDプレーヤーをジープの助手席に乗せて、特別運賃を払ってチトラールに持っていく。同じ日にジャムシェール戻ってくる。リモコンの操作の問題だったらしい。これですべてOKということで、テレビとDVDプレーヤーのパワーを入れてみる。しかしテレビはオンになるが、DVDプレーヤーの方はどうしてもパワーランプがつかない。それまでずっとテレビに問題があったが、DVDプレーヤーは接続コード以外は大丈夫だったのに。とにかく電源が入らないことにはどうしようもない。8)ジャムシェール、DVDプレーヤーを持って再々度チトラールの店へ。夕方ジャムシェール手ぶらで帰って来る。店主いわく、「ルンブールの電圧が強過ぎて、プレーヤーが焦げてしまっている。修理するのに300ルピー払うよう。」冗談ではない、今回テレビとDVDプレーヤーを買うときに、電力を安定させるステビライザ-も、DVDプレーヤーとあまり変わらない値段でこの店から買っているのだ。テレビとDVDプレーヤーはこのステビライザ-を通じて電気がきている。もし電圧が高くて焦げたなら、ステビライザ-に問題があるということになる。それに同じ状況にあるテレビは焦げついてない。これはどういうことか。あきらかにDVDプレーヤーが不良品ということである。9)修理に2日かかるということだったので、3日後、店主に丁寧な文面でこちら側の状況を説明し、DVDプレーヤーを別なのに代えてくれるか、そちらの責任で修理していただけると大変嬉しく思いますという手紙をジャムシェールに持たす。常識ある人間だったら、手紙を読んで責任を感じるだろうから、今度こそテレビとDVDプレーヤー両方OKで、今晩は私が持っているただ1枚のDVD映画「フェリーダ」を大きいテレビ画面で観ようかしらんとわくわくして待っていたら、チトラールから戻ってきたジャムシェール、またしても手ぶら。「店主がペシャワ-ルに行っていて、息子は別なDVDプレーヤーが欲しいんだったらお金払えという。店を紹介したアズハールも店につれていったが、彼も息子とは話のしようがないと言って、力になってくれなかった。」とのこと。
 ということで、9回チトラールの店に出向いているわけだが、未だに買ったテレビとDVDプレーヤーで1度も映像を見てない。機器の代金以外に9回のチトラール往復で数千ルピーの経費を使っている上に、下手するとカートリッジ事件と同じく壊れたDVDプレーヤーはこちら側の損失(運が悪かった)として諦めなければならないかもしれない。こんな理不尽なことがあっていいのだろうか。今の日本ではまずあり得ないだろうが、パキスタンのチトラールでは大ありのことなのだ。腹立つけれど、怒れば怒るほど泥沼に入り込んでしまって最終的によけいに損するのはこっちの方だから、事故に会ったと思って今回も泣き寝入りすることになりそうだ。しかし悔しい。
 不愉快な話題につき合わさせて申しわけありませんでした。おかげで私は少しすっきりしました。

春に向かって



1月の生活
07年1月25日
 カラーシャの大寒(ゴナ・チラ)の期間の最終日で、例年なら冬の峠にあたる1月24日の朝外に出てみると、それまでずっと晴れていた天候がくずれてどんより曇り空。いや、地面をみたら、戸口の前の石畳がじっとり濡れているではないか。「雨?」そう。小雨が降っていたのだ。最も寒い日であるはずなのに、雪でなくて雨なのだ。雪は12月にどっさり降らしたので、もう春にしようという天の神様の意志なのだろうか。寒さが大敵の股関節痛持ちの私は、春、おいで、おいでと大いに歓迎するのだが、しかし片や冬がこんなに早く終わっていいのだろうかとも思ってしまう。
 1月に親から送ってきた健康雑誌に股関節痛に効く体操やもみほぐしの特集が載っていて、それを見ながらあまりムキにならない程度にやっているが、初めはびりびり痛くて苦痛以外何物でもなかったのが、やっているうちに少しずつ楽になり、太ももに力も多少入るようになった。
体調がいいとやる気も出てくるのは当たり前の話だ。冬場、私は7時から7時半の間に起きる。体を冷やすなとたくさんの方に忠告されているので、最近は着膨れおばさんを心がけている。上に5枚、下に4~5枚、靴下2枚となると服を着るにも時間がかかってしまう。それからストーブに火を入れるわけだが、これも、組んだ薪の下に置いたつけ木にマッチで火をつけたら、すぐにゴアーと炎が上がってくれることはめったになく、だいたいはなかなか火がついてくれない。火がついたと思ってストーブから離れる1度ついていたはずの火が消えていたりする。ライブラリーに置く火鉢の炭作りも考慮して薪をくべなければならない。(炭には堅いカシの薪がよろしい。)そういうことで着替えと火をつけるのに30分費やす。
ストーブのそばでラジオ体操をしてから、湯たんぽの湯で顔を洗い、おさげを結い直し、ミルクティーを作って飲みながら、犬のハナと私の朝食のためにパンケーキもどきを焼き、あわただしく朝食を済ませるともう9時近く。と、外ではもうライブラリーにやって来た子供たちがわいわいがやがや。
ライブラリーは9時半からと言ってあったのに、子供たちはどうしても早く来るので、今は9時に多目的ホールのストーブに火を入れて、9時ちょっと過ぎにオープンにしている。
多目的ホールのストーブは大きくて暖かいので、私もそっちに行ってデスクで仕事をする。合間に子供たちにわからない字を教えたり、本を読んであげたりする。子供たちは11時45分に帰り、ジャムシェールと後片付けしたら12時。
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 写真:ライブラリーの風景

12時から昼ご飯の仕度をして、ハナとランチを食べると1時半。その後は最近熱中しているビーズの腕輪(バズバン)作りの続きをする。2時からジェムシェールが来るので、彼の仕事を指示して、私はバズバン作りをしたり、パソコン作業したりする。ジャムシェールを帰して、さて少し横になって本でも読みながらリラックスしようかという時に、それまでストーブのそばで足を投げ出して寝ていたハナが外に散歩に行こうと耳元でワンと吼えたり、手にじゃれついたりするのでリラックスをあきらめて、ダジャリやマシャ-ル、ヤシールの家まで散歩に行くことになる。ヤシールの家に行くと私だけでなく、ハナまで夕食をごちそうになって、帰りにハナのおみやげ(肉の骨)までもらってくる。夜はまたバズバン作り、パソコン作業をし、週に1回、夜に沐浴と髪洗いをする。寝る前に股関節の運動をして、11時頃布団に入り、必ず本を読んで眠りにつく。11月半ばから湯たんぽを毎晩欠かさず使っているので、寝床は温かく快適だ。
これが私の今年1月の生活だが、このまま暖かくなっていって、地面の雪が解けると、もう少し外にも出歩きたいと思っている。(凍った雪道ですべって骨折でもしたら目も当てられない。)

バズバンとアンズの種の油作り
 そういうことで年が明けてからは12月とうって変わって昼寝もせずに忙しくしている。そういう中でもこのところはまっているのがバズバン作りだ。バズバンとはビーズの腕輪のことで、これはカラーシャの伝統衣装にはなかったものだが、10年前ぐらいから流行りだしてきて、今ではほとんどのカラーシャ娘が腕に付けている。私はビーズのものよりも織物の方に興味があったので、これまで娘たちが作った腕輪のボタン付けの仕上げをするくらいだった。しかし私が寝泊りしている作業室には織機を置く場所もなく、織り仕事はお預けになっている今の状況の中、場所も取らずに手軽にでき、また娘たちに進んで外注に出せるのはバズバン作りだと思い、昨年秋から少しずつやり始めていたのだが、それに火がついて最近は他の仕事をおっぽってこのバズバンの試作品作りをやっている。
もう一つ年明けてトライしたことはアンズ油作り。カラーシャの谷にはアンズの木がたくさんある。実は天乾しして冬の食料として、あるいはタラ(焼酎)の材料としてきっちり利用される。アーモンドの小型版のような実の種は、苦くないものは割ってその場で食べたり、糸でつないで長いレイにして祭りの時や客への贈り物に使われる。しかし苦い種は捨てられる。
私は前から何も利用されていない苦い種をもったいないと思ってみていた。アンズ油はサラダ油によし、髪油によし、皮膚病によしと大変に価値のある油ときいている。関節痛に効く漢方薬にもアンズの種の粉が入っている。ギルギット地方ではアンズ種から油をとり、ツーリストにも売っている。カラーシャでもアンズ油を普及させたい、余剰のものは現金収入源のために売ればよいではないか。
それで、おととし油を取ってみようとうちのアンズの実を乾した後の種を捨てないでとっておいた。それがそのままになってあったのを思いだし、ジャムシェールに種の殻を割ってもらうことにした。しかし午後の仕事の2日間を費やしても両手いっぱいにもならない。これは慣れた女性にやってもらおうと、マシャ-ルのアーワ(おばあちゃん)に頼んだら、一晩で頼んだ分全部(両手3杯ぐらい?)やって持ってきてくれた。
カラーシャの油取りの方法は、種を石でつぶし、手でよく練って油を搾り取るわけだが、ヤシールの家に行った時、油取りの話をしていたら、ちょうどおしゃべりに来ていたナシールのアーヤが「あら、うちに油取りのマシーンがあるから使ったらいいよ。あれでやれば簡単だよ。」と言ってくれたので、そのマシーンとやらを借りた。なんのことはない、マシーンとはハンドルを廻して肉をミンチにしたり、果物をジュースにするグラインダーだった。種を入れて絞れば油になるならやってみようとジャムシェールがハンドルを廻すがハンドルの固いこと固いこと。私がマシンを押さえ、ジャムシェールが全力を傾けてやっと少し動く程度だ。(使った後に洗って掃除しないから歯車がこびりついているからだ。)1時間以上かかって絞り終える。油はほどんど出ず、ひき肉状になった種が直径15センチのボールにちょうどいっぱいになった。
2日後ジェムシェールに油を取り出してもらう。別のボールに材料の半分を入れ、少し湯を加えて手で練り混ぜ合わせるわけだが、これがまたけっこう時間がかかる。しかしながら1時間やっても油はまったく出てこない。近所の家にききにいったら、塩を混ぜなければならないことがわかった。でも塩を混ぜてさらに練っても油は出ない。2~3年前の古い種だったから乾燥してしまって油が出ないのだろう。それでもこね混ぜたペースト状のものを顔や足に塗ってマッサージすると肌がつるつるになるので、マッサージ用に使えるからいいやと諦めていたら、ジャムシェールのアーヤが再度やってみてくれることになった。そしたら1時間もしないうちに油が30ccぐらいとはいえ摘出されたではないか。私が材料をただ手で絞ったら白く濁った汁がでるのに、出た油は透明に透き通っている。塩も片手いっぱい使ったというが、油には塩の味はしない。ジャムシェールのアーヤはやせていて力もそんなにないのに、どうやって油を摘出させたのか、なんだか魔法のように不思議な話だ。

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 写真:試作中のバズバン
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