カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

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村に戻って



2009年4月5日
 チトラールで1泊して静江さんを待つが、雲が多くてフライトは欠航。天気予報ではこの先5日間は天気が悪いということなので、イスラマバード空港(ベナジール・ブトー空港)の近くのホテルに泊まっている静江さんに電話して「申し訳ないけどチトラールのホテルで5日間待っていてもしょうがないので、先にルンブールに行く」と断って、バラングルの我が住処へ4ヶ月ぶりに戻ることにする。
 谷までの同乗のカラーシャ娘3人は、アガ・カーン・ファウンデーション(NGO)に呼ばれて、「Women's Right(女性の権利)の会合」に出席してきたという。3人のうちの1人は高卒の人妻、後の2人は高校生。神の前では不浄の身とされているカラーシャの女性が、女性の権利を話し合う会合に出席する時代になったんだ、と複雑な思いで彼女たちの会話をきいていると、「今日の会合には一人としてきれいな女性がいなかったよね」「男性が一人いたけど、彼は誰だっけ?」「彼は担当官の夫だよ」といったぐあいで、女性の権利とはほど遠い内容。カラーシャに民主的な女性の権利が話し合われ施行されるのは、まだまだ時間がかかりそうだ。

2009年4月21日
ライブラリー
 今年の冬、1月から2月までの学校の冬休みの間、ジャムシェールとヤシールがライブラリーを開いてくれていた。ルンブールに着いた翌日にさっそく開いたライブラリーで、「冬の間読んだ本の中でおもしろかった本は何?」と子供たちに質問してみる。恥ずかしいのか何なのか、本の名を全く言えない子供がけっこうな数いたが、3~4冊の本の題名をすらすら言う子供も3割。学校の教科書を持ってきて、おさらいをしていた子供もいたらしいから、ま、留守の間、ライブラリーを開けてもらって正解だったということだろう。
 カラーシャは自分たちの言語を持っているが、文字はない。キリスト教関係の言語専門家が、カラーシャ語の辞書を作るときにカラーシャ語アルファベット化したのに基づいて、カラーシャの有志2人が、カラーシャ語の日常生活の簡単な文と祭りの歌を集めた2冊のハンドブックを出版したのを昨年からライブラリーに置いていた。その本が今年になって、上級生の人気になっている。ヤシールもその本の読み聴かせをしているが、やはり、自分たちの言葉というのは親しみがあるだけ興味も強いようだ。 

 留守中のライブラリーではDVD上映はやらず、私が戻ってから始めた。そしたら、DVD目当てだろう、ライブラリーは満員状態になったりしたが、雨が降り続いて発電所の水路に泥水が溜まり、昼間は発電を止めるようになり、DVD上映ができなくなったとたんにライブラリーに来る子供が減ってしまった。DVD鑑賞が主で読書がついで、ということになると本来の目的が違ってくるので、やり方を考えなければならない。

ハンディクラフト活動 
 昨年のハンディクラフト隊の健在で、娘組ではリーダー的存在のグリスタンに、これまで私がやっていた山羊のコースターの裁断を彼女にやってもらうことにする。グリスタンは中学まで出ているから、鉛筆の持ち方、物差しの目盛の読み方がわかるので、やり方を説明したら、意外とすんなりやり始めた。昨年だったら、「私は無理だよ。できないよ」といってたのに。初めてなので多少サイズのムラがあり、時間もかかりはするが、なかなかいいスタートだと思う。
 静江さんが昨年我々が作ったクラフトをサンプルとしてたくさん買い求め、日本でお友達に見せてまわって、注文をとってくれたので、まず、その注文の品を静江さんが帰国する5月の終わりまでに作らねばならない。5月半ばのジョシの春祭りのために、女性たちは自分たちの民族衣装を新調するのに忙しい中でやってもらわなければならないので、ひとつ気合いを入れて頑張ってもらおうではないかというときに、葬式があり、村の女性の大半は喪に服すことになり、出足をくじかれることになったが、人の死も自然の摂理だから仕方がない。
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 写真:コースターの裁断をするグリスタン

葬式
 村に戻って3日後に、ダジャリの父さんが亡くなった。ここ数年、年齢のこともあって(明確に何歳かは不明だが、80歳くらいか?)弱っていたので、老衰のようなものだろう。ジャマットの伯父さんで、カラーシャでは叔父も父親と同じような関係なので、私も何年間か叔父家族と同じ家に住み、食事を共にしたこともある。私が作業室に離れて住むようになってからも、ダジャリの父さんはうちの庭先や門の辺りで昼寝やひなたぼっこをしていたので、いつも目に見えるところに存在する近しい人だった。
 今回も私が日本から戻ってきて挨拶に行くと、「おお、元気で帰ってきたんか。よかった、よかった。」と寝たままであったが、私を認識してくれた。その夜に意識不明になり、翌日息を引き取り逝ってしまった。静江さんがイスラマバード空港で席を譲ってくれたおかげで、叔父ちゃんに最後の挨拶ができて、ほんとうによかったと思う。
 その静江さんは、ずっと天候不順で私より遅れて6日後の4月10日にチトラールに到着、その夕方に村に入った。6日間、イスラマバードのホテルに釘付けだったろうから、さぞ、たいくつしていただろうと申し訳なく思っていたが、パキスタン人のご主人を持つ日本人女性のお宅に5日間お世話になっていたそうで、カラーシャとはまた違うパキスタンの生活を垣間みることができて、楽しく過ごしていたときいて、こちらも安心した。


 
***
2009年4月4日
 昨夜、イスラマバード空港で静江さんと再会して、空港近くの宿で仮眠。今朝、空席待ちの切符で空港に行ったが、昨日のフライトが欠航だったので、国際線乗り継ぎの静江さんの席は取れたが、私の席はとれなかった。でも、チトラールで用事を済ませられるよう、静江さんが席を譲ってくれて、私は一足先にチトラールへ。
 チトラールは寒い~涼しいの間ぐらいで、身が引き締まる。チトラールにもイスラム法が施行されると新聞に書いてあったときいたが、こちらの人たちはそんなことはないというので、少しほっとする。バザールの物資もアフガニスタン経由で運ばれてきていて、思ったよりも品数がある。
 スタッフのジャムシェールが迎えにくるが、静江さんを待つためにマウンテン・インに泊まるので、村に帰す。マウンテン・インのベランダで、手入れされている広い庭や後の雪の残った山々を見ながらお茶を飲んでると、昨夜のホテルの千倍も優雅な気持ちになる。しかし、食事となると、いつもランチをとるゴラム食堂が「チトラリ風ごはん定食」を作ってなかったので、とたんに状況が困難になる。「脂っぽい肉入りごはん定食」を食べに女1人でアフガン食堂に行くのもかったるいしで、ランチはビスケットと水。昨夜からきちんと顔を洗ってない上、空気がものすごく乾燥してるので、いやいや鏡に映る自分の顔を見たら、うるおいがすっかり消えて、ショボショボおばさんになっていた。あーあ、チトラールにもどってきたんだなと実感。

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チトラールは緊張感なし

2009年4月4日
 昨夜、イスラマバード空港で静江さんと再会して、空港近くの宿で仮眠。今朝、空席待ちの切符で空港に行ったが、昨日のフライトが欠航だったので、国際線乗り継ぎの静江さんの席は取れたが、私の席はとれなかった。でも、チトラールで用事を済ませられるようにと、静江さんが席を譲ってくれたので、私は一足先にチトラールへ。
 チトラールは寒い~涼しいの間ぐらいで、身が引き締まる。チトラールにもイスラム法が施行されると新聞に書いてあったときいたが、こちらの人たちはそんなことはないというのでほっとする。バザールの物資もアフガニスタン経由で運ばれてきていて、思ったよりも品数がある。
 スタッフのジャムシェールが迎えにくるが、静江さんを待つために今夜はマウンテン・インに泊まるので、彼は村に帰す。マウンテン・インのベランダで、手入れされている広い庭や、後の雪の残った山々を見ながらお茶を飲んでると、昨夜のホテルの千倍も優雅な気持ちになる。
 しかし、食事となると、いつもランチをとるゴラム食堂が「チトラリ風ごはん定食」を作ってなかったので、とたんに状況が困難になる。「脂っぽい肉入りごはん定食」を食べに女1人でアフガン食堂に行くのもかったるいしで、ランチはビスケットと水。昨夜からきちんと顔を洗ってない上、空気がものすごく乾燥してるので、いやいや鏡に映る自分の顔を見たら、うるおいがすっかり消えて、ショボショボおばさんになっていた。あーあ、チトラールにもどってきたんだなと実感。
 もう一つチトラールに戻ってきた実感は、インターネットの状況だ。なかなかつながらないし、つながってもすぐ切れたりするのは前と同じ。今やってるこのブログに写真を入れるのも、エラーばかりで諦めざるを得ない。せっかく弟からもらった小さなデジカメで、楽に写真が撮れるというのに、残念ながら写真を公開できない。

外に出てみる

2009年4月2日

 イスラマバード滞在の始めの3日間は自重して、ファウジアの家でじっとしていたら、すっかり運動不足で体ががちがちに凝ってしまった。
両替などの用事で外に出ないわけにもいかないしで、日パ旅行社の恵子さんに電話して様子をきいたら、「ヨーロッパ人の家族は国に帰されているけど、日本人家族はここで普通に生活してるよ」というんで、おとといから外に出かけている。
 人口のバブルの街ドバイ、排気ガスの街ペシャワールからイスラマバードに来ると、イスラマバードはきれいだなと思う。2階建ての豪邸の庭から咲き乱れる花々を見ながら、新緑の葉をつけた街路樹が影を落とす歩道を歩いていると、何と贅沢な環境の街だろうと思ってしまう。しかし、都市開発で、あちこちの自然の野原や木々が、意味なく切り倒される、毎日の停電、水不足などの問題を知ってしまったら、定住したいとは思わないが、とにかくパッと見は街全体がグッド・ルキングなのである。
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写真:滞在先の近所の家並み


 環境保護活動家のドイツ人ヘルガさんに久しぶりに会った(ファウジアの姑さん)。この数年、眼や踝の手術をして、体の修繕がやむを得ないお年ではあるけど(私も股関節の修繕をしたもんね)、相変わらず積極的に外に出て活動されているようだ。彼女がフンザ地方に紹介した、ソーラーで動くドライ・フルーツの機械の話をきいたので、うちの2階のベランダにぜひ設置したいと思っている。その機械でドライ・フルーツを作ると、ハエやゴミがつかないばかりでなく、乾燥する速さが非常に短縮できるという。それに、アンズやクルミの油を作るソーラー機械もあるらしい。
 ドライ・フルーツ作りと油作りは、私も前から暖めていた地盤産業なので、ぜひどうにかを形つけたいものだ。ドライ・フルーツの機械は1台6万ルピー(ラホールでの価格)するらしいが、まず、村の若者を連れてフンザに行って実際使っているところを見学したいものだ。
IMG_2115.jpg
写真:ソーラーのドライ・フルーツ機
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