カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

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ほのぼの暖かくなった話

09年6月15日
 日常生活に必需品であるトイレットペーパー(トイレでは私はアジア式に水も使うが、でも紙も使う。それに、ティシュペーパが普及してないこちらでは、トイレットペーパーで鼻もかむ。)、うちの村の店では18ルピーもするから絶対に買わない。しかしチトラールの町でもずーと12ルピーだったのが、昨年ぐらいから安くて13ルピー、ふつうで15ルピーになっている。
 2ヶ月前だったか、マウンテン・インの手前の小さな店、歩いていて店だということに気付かないような2畳ぐらいのセピアな店に、ピンク色のトイレットペーパーだけが妙に目立ってぶら下がっているのを発見。
 ちょうどトイレットペーパーを買う予定だったので、店の床にねっ転がっている、これまたセピアな店にふさわしい、童話にでてくる農夫みたいなおじさんに値段をきくと、「12ルピー」だと言う。「えっ、12ルピー?」しめた!おじさんは世の中の値上げの動きを知らなくて、ずっと前の値段のままで売っているのだろう。得した気持ちになった私は即座にぶら下がっているペーパーを全部(10個)買い占めた。悪いから、他に何か買ってあげようと店を見回すが、買ってもいいと無理矢理どうにか納得できる商品は、粒の揃わないピーナッツ(5ルピー)しかなかったので、それも2袋買った。
 それ以来、トイレットペーパーは他の店では買わずに、このおじさんの店で買うように心がけている。しかしこの店は、埃だらけの花弁のようなもの、古い機械のパーツのようなものなど、誰が買うのだろうというような物しかなくて、どうやって店が成り立っているのだろうか。しかも休日でもないのに、しょっちゅう閉店だったりして、なかなか謎めいている店でもある。
 前回にチトラールに来たときも、トイレットペーパーが欲しかったが、この店が開いてなかった。残りが少しあるからと買わなかったので、今回は店が開いているのを見て、即、おじさんに声をかけた。
「ケチャー アスス?(ご機嫌いかが?チトラリ語)」
 友達なのか、近所の人なのか、同じような田舎風のおじさんたちと世間話をしていた店のおじさんは、「ジャーム(機嫌いいよ)」と、友達のおじさんたちとにこにこ、こちらの様子を伺っている。
「トイレットペーパーはいくら?」ひょっとして、世の中の動きに気がついたのかもしれないから、一応値段を確認すると、「ジョシジュウ ルパア(12ルピー)」との返事。
 よかった!「じゃあ、これ全部ちょうだい。いくら?」ビニールに入ってぶら下がっているトイレットペーパー、今回は7個だ。おじさんは「いくらか、あんたが計算してくれ」とペンを差し出すんで、私は暗算で「84ルパアになるよ。」と私の手のひらに84と書いて見せる。
「ほら、100ルパア札で払うから、おつりちょうだい。16ルパアおつりだよ」と言ったけど、よく聞こえなかったのか、15ルピーのおつりを渡して、「これでいい?」とにこにこ顔で言うから、1ルピー少ないけど、でも他の店より少なくとも6ルピーは安く買ったんだから、「ジャーム(いいよ)」と言って引き上げた。
 その数時間後、バザールで他の買い物や用事を済ませて、再びおじさんの店の前を通ると、店の中のおじさんから声をかけられて、何やら手渡された。手の中には1ルピー玉があった。一瞬、「1ルピーぐらい要らないよ」と返そうかと思ったが、おじさんの正直なやさしい心を尊重して、「ありがとう」と受け取った。おじさん、そのままでいてね。こういうおじさんが今もいるチトラールのバザール、嫌いになれない。(ほんとは、商売を知らない店が多くて、いつも頭にきているけど)
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写真:お店に立つおじさん
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よくわからんトレーニング(パキスタンの典型的な支援プログラムの現実)

2009年6月8日

 今、午後7時。室温16度。6月だったら、都市部は猛暑でうだっているはずなのに、こちらはこの3~4日間天気が悪くて、すっかり冷え込んでいる。
 5月28日にチトラールで静江さんを見送り、5月11日から村のサイフラー・ゲストハウスに滞在していたムシバッタジー(バラングルー村が好きになり、ここのところ年に2度、日本からダイレクトで村を訪れている日本人元バックパッカー)も今朝村を去った。静江さんは来年1月に、ムシバッタジーは今年の11月末ごろにまた来るので、「じゃあ、またね」という軽い感じで別れたけど、考えてみれば、北陸地方に住んでいるムシバッタジーなんか、日本ではよっぽどじゃないと会えない。会わない。ということは、彼なんかは日本の友達というよりも、バラングルー村の友達と言った方が近いのかなあ。

よくわからんトレーニング
 5月11日に村の有力者であるサイフラーさんのところに、アガ・カーン農村支援計画(Aga Khan Rural Support Programme)チトラール支部から女性コーディネーターがやってきて、居合わせたサイフラーさんの娘グリスタンに、ミーティングを開くので村の女性を集めるよう指示。20人ほどの女性が集まったところで、「手芸のトレーニングをここで行うけど、あなたたち、やる気ある?」とコーディネーター。村の女性たちは内容がわからぬまま、うんうんとうなずく。「じゃあ、1週間後の18日にトレーニング官を連れてくるから、この村から15人、グロム村から10人、ミシンを持っている娘たちを集めといて」とグリスタンに言い残して帰っていった。
 グリスタンは、「春祭りが終わって畑仕事にかかる時期に集まる女性は少ないだろうし、だいたいカラーシャの娘が新しい試みに挑戦するなんて無理な話だ」と、根っからその気がなかったので、18日にコーディネーターが来たときは、誰も集まらなかったが、再度、22日にトレーニング官と来た時はサイフラーさんに頼み込み、彼のゲストハウスの2部屋を使って、グリスタンに20人ほどの娘たちを引っ張ってきてもらって、2週間のトレーニング教室が始まった。
 トレーニング官はパンジャブ大学でテキスタイルを学んだという、チトラール地方のトルコー出身の口数少ない男性。集まった20数人の、花も恥じらうじゃなくて、花もまったく恥じらわないカラーシャのにぎやかな娘たちにどういう風にトレーニングを行うのか、うちの5~6人のハンディクラフト研修隊をコントロールするのもけっこう大変な私としては興味あるところ。
 何か小物を作らせるのかと思っていたが、どうやら集まった女性たち布地を渡してカラーシャ服を縫わせるよう。別に今さら、カラーシャの娘が作れるカラーシャの服を縫わせなくともと思うのだが、どうやったらきれいに縫えるか等の技術の手ほどきをするのかもしれない。でもトレーニング官(男性)は何を教えるわけでもなく、言葉少なく座っている。村の娘たちはわいわい騒ぎながら、自分たちのやり方で裁断して、いつも通りにミシンで縫い始めている。私が、「ここの女性たちは黒い布の上を白い糸で縫うんだけど、黒い糸を使った方がいいんじゃないの?」と彼に言ってみたけど、たいした反応がない。
 そんなことよりも、服の模様に新しいファッション風を吹かせたいらしく、パンジャビ・ドレスに使われる刺繍用のビーズや細いレースをたくさん持ってきていて、それらをカラーシャ・ドレスに取り入れてもらいたいらしい。また、近頃とみにすそ模様の部分が高く広がってきたのを指摘して、もっと模様の高さを少なくするよう娘たちにリクエストするのだが、娘たちは「縫った服を着るのは私なんだから、すそ模様が少ないのは嫌だ。私たちの勝手で縫いたい。」と、ことごとく却下。彼も諦めて、黙って座っているか、すぐ調子がおかしくなる各々のミシンの修理を一生懸命やっている。
 供給した毛糸はオレンジと蛍光黄の2色だけだったし、毛糸をたくさん使わず、早く仕上げるためには花模様がいいということで、誰もが同じ2色の配色で同じ花模様を縫ったので、何だかユニフォームみたくになって、私から言わせると個性がなくて気持ちが悪い。次の祭りウチャオで、同じ配色と模様の服を着た娘たちが横にずらりと並んで踊っている様子を想像してごらん。
 月給4万ルピーのトレーニング官(本人が言った額)が2週間つきっきりで(宿泊費もかかる)、毎日ランチを25人分出し、布や毛糸代をいれると相当な経費を主催者側は使ったことになるが、その結果は、わざわざ教えてもらわずとも縫える服作りだった。
 いったい何のために行ったのかよくわからないトレーニング。それでも、主催者側から言わせれば、「なかなかよくできた」「ボンボレットやビリールでやった時よりよかった」というから、ますますわからない。参加した娘たちは縫った服をもらえたし、毎日ランチ(油ごはんとカレー)が出たので、まあまあ悪くはなかっただろうがね。はてさて、ほんとうに得したのは誰なのだろうか?

2階の紙すき作業室の竃(かまど)ができた
 5月の末に、請負いで2階のハンディクラフト作業室と紙すき作業室、そしてベランダの床のセメント張りをやってもらったが、予定より必ずといっていいほど遅れる作業が、思ったよりも早く進んで、けっこうな面積があったのに5日間で終わった。その作業をやったセメント職人が、竃と流しも自分がやると言ったので、やってもらうことにした。今度は請負いではなくて、日当で払い、昼食とお茶をこちらが出す約束をした。日当600ルピーとべらぼうに高いが、床作業のペースでやれば2日で終わると言われたので、オーケーを出した。
 そうしたら、請負いの時は、昼のお祈りもせずに4時まで働いていたのに、日当になったら、お祈りはするわ、2時半で帰るわで、何とちゃっかりしていることか。それでも5日間でできたので、まあ、よしとせねばならないだろう。おかげで私は現場監督、お茶とランチ作りで忙しく、ハンディクラフト研修隊の活動も一時休業している。(でも、私は折々に暇をみては、手織り紐のペン入れや携帯電話入れのサンプルを作っています。)

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 写真:かまどを作るアユーンの職人さん
2階の増築作業は、自分の家の感慨水路の修理でずーと休んでいる大工さんを呼んできて、階段と棚、机などの作業を残すのみとなった。その後に個人用に裏に西洋式便座を設置したトイレを作ろうかと思っている。(人工股関節だとアジア式の便器は使えず、今、不自由しているのでござい。)8月までには全部できるだろうな。はい、できる。(自分自身でゆるぎない確信をしないと、ここでは予定通りにいかないのです。)
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