カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

略奪結婚の取材

09年7月19日

略奪結婚の取材
 7月10日から3日間、共同通信社の記者さんとカメラマンがいらして、「カラーシャの略奪結婚」についての取材をされ、私はコーディネートと通訳で付き添った。
 人妻を略奪して現在幸せな結婚生活を送っているカップルを紹介してほしいということで、ボンボレット谷から駆け落ちしてきた美人の奥さんと、結婚後に軍人になったが、ちょうど夏休みで帰省しているきりりとハンサムな夫に目星をつけていたが、奥さんはバシャリ(生理出産のこもり小屋)、夫はビリール谷の葬式に行くようで、第一日目の本人たちへのインタビューは不可能となった。
 記者さんはカップル本人たちだけでなく、略奪された元の夫の話もぜひききたいということで、そいじゃ、ボンボレットに行かなくちゃと、ヤシールに相談してみると、「彼はひょっとしてソーネ(高地の山羊の放牧地)にいるかもしれない」という。「でも、ソーネに行ってないなら、今日のビリール谷の葬式に参列するかも」という記者さんの期待と、カラーシャの葬式を見てみたい(撮影したい)というカメラマンの希望で、「よし、ビリール谷の葬式に行こう!」ということになり、私も同行した。
 ビリール谷はいったん麓の町アユーンに出てから川沿いに南下して、谷あいに入っていくので、ルンブールから行くには2時間ぐらいかかるし不便なので、めったに行かない。この前行ったのは、3、4年前のプー祭(ぶどう祭り)だったっけ。
 夕方にならないと、ルンブールやボンボレットからの弔問客が集まらないので、その時間に合わせて行くことになる。予定より少し遅れてビリールに着いて、薄暗くなりかける頃まで斎場にいたが、なかなか人が集まらない。
 ボンボレットの弔問客の中に、駆け落ちした奥さんの元夫はいなかったが、その父親が来ていた。記者さんは「じゃあ、お父さんに話をききたい」と言うが、斎場に着いたばかりで、すぐにそういう、あまり歓迎されない質問をして嫌がられるのではと、私はためらっていたが、何の何の、お父さん自身が略奪結婚した口で、その当時のことをしゃべるわしゃべるわ。息子についても、初めの嫁さんを取られたとはいえ、すぐに代わりの嫁さんをもらい、今は2人の子どももいて幸せだとあっけらかんとしている。
 あまり夜遅くなると慣れない道路で危ないし、明日のこともあるので、8時半前に引き返し、ルンブールのバラングル村に着いたのは11時近く。やはりビリールは遠い。
 2日目は村で目星のカップル、その他にも略奪した男性、された方の男性、夫を捨てて新しい男性の元に走った女性などの取材に同行して、私も知らなかった話などもきくことができて、なかなかおもしろかった。この略奪結婚に関しての記事は8月以降の新聞に掲載されるそうなので、どういう風に書かれるのか楽しみだ。

 共同通信社さんたちが村を去られた翌日の夜に、今度はうちの村のお年寄りが心臓マヒで突然亡くなった。うちのハンディクラフト伝統織り部門のリーダー格であるアスマールの母さんの実の父親だ。こちらは先日のビリール谷の葬式と違い、たくさんの弔問客が集まり、嘆き、歌、踊り、チーズ、山羊の肉、肉汁、ギー、小麦パンの盛大なカラーシャの葬式が繰り広げられた。

 というわけで、ライブラリーも飛び飛びに開くことになり、ハンディクラフトの作業も喪中でお休み。大工さんも来なくて、緊張感喪失。気候もずっと涼しかったのが、やっと夏の暑さになり、外に出ると頭がぐらぐらするので、一人で室内にこもって、ちまちまナンやらかんやら、リサイクル縫い物したり、クラフトの試作をしたり、読書したりの、先月とは違う生活サイクルを送っている。
 
スポンサーサイト

2階はまだまだ完成しない。

 昨年、電気カンナと共にさっそうと登場した若い大工さんは、今年の4月から作業を始めてくれていたが、5月半ばに10日間休むといって、結局40日間現れず(水路の修理、大麦の収穫、耕作など彼の家の仕事があったので仕方がないが)、6月末にやっと来てくれた。今、2階の部屋の戸棚を作ってもらっているけど、ふと彼の手元を見ると、何と私のカンナを使っているではないか!それはおもちゃのような小さなカンナで、ちゃんと使える代物ではない。(彼のカンナは調子が悪いらしい。)大工さんだったら、私よりはうまく使うだろうけど、あんなカンナでやってりゃ、そりゃあ時間がかかるわさ。彼の電気カンナ(中国製)は昨年に壊れて何回か修理に出していたが、もう治らないようで、ずーと窓のわきに放ってある。しかし電気カンナと私のおもちゃカンナ、この落差にはずっこけるというか、笑っちゃいますというか、とほほというか、言葉がありません。 

●ハンディクラフトはというと
 6月末に日本からのツアーご一行が多目的ホールを訪問されるというので、6月中旬から作業室で4人、外の織り機に2人、手織り紐の外注3人、合計9人でハンディクラフトを集中的に作った。昨年から仕事しているグリスタンたちに売れ線の山羊のコースターを縫ってもらい、新顔のダムシーたちには新しいデザインで携帯電話ケースやペンケースを縫ってもらった。
 ホールの展示の配置も替え、心機一転で今年初めてのお客さまをお迎えしたが、お客さまの年齢層がちとばかり上ということもあってだろう、携帯電話ケースなどには興味を示してもらえなかった。その代わりに写真集を3冊、定番の山羊のコースターとクルミの針刺しをいくつか買っていただいたので良しとするべきか。
 カラーシャ独特の手織り紐を縫い付けた携帯電話ケースは300ルピー(370円)から、脇をビーズで縫ったもので400~500ルピー(500~620円)のお手頃な値段で、良いおみやげになると思うんだけどね。


写真:手織りの紐をあしらった300円代の携帯電話ケース

IMG_3106.jpg
写真:クルミの携帯電話ストラップ。こちらはすぐに売れてしまいました。

チトラールの歯医者さん

09年6月24日
夕食の後、爪楊枝で歯をほじっていたら(誰も見ていなかったので)、「あれ、えっ、何、まさか!」20数年前に詰めた歯の金属の詰め物がスカーンと取れてしまった。すぐに取れたフィリングを洗ってティッシュに包んでジッパー付きのビニール袋に保管したが、さて、どうしよう。でもこの場合は考えたってしょうがない。すぐさまフィリングを歯に詰め戻さないと、取り返しのつかないことになる。
 翌朝、チトラールへの乗り合いジープに乗り込む。偶然にもグリスタンと末弟のジャミールも「歯が痛いんで、歯医者に行く」と言う。歯医者への道連れができてよかった。
「腕のよい歯医者がチトラールの手前のジョグール村にクリニックを出しているときくけど、そこに行った方がいいかね」とグリスタンにきくと、「だめだめ、私はあそこには何回も行ったけど、ちゃんと治療してくれないよ。金は高く取られるし、私の歯は痛いまんま」と言うんで、チトラールの市民病院に行くことにする。
 市民病院の受付で5ルピーずつ払って、10時前ごろに歯医者さんの部屋に行く。担当のドクターはまだ来てなかったので、数日前に入院したグリスタンのおじいちゃん(正確にはおじいさんの弟)を見舞いにいく。薬のために尿意が頻繁だからと、個室に入っていたおじいちゃんの病気は、胸が悪いというのは確かだが、まだ何の病気かわからないらしい。本人はすっかり(精神的に)弱っていて、話さえできない。こちらも寝ている病人に何もやってあげられないので、弟のジャミールを看護で来ているグリスタンの兄さんに預けて、グリスタンと再び歯医者の診察室に戻ると、ドクターは出勤していた。
 「詰め物が取れたので、詰め戻してほしい」と頼むと、「一度取れたのを詰め戻すのは難しい。」と渋っていた男性ドクターは診察して、「一応やってみましょう。この病院に置いていない特別なセメントを使いますから、10分間、待っててください。」と私に言ってから、助手を病院の外にある彼のクリニックに使いに出した。「よかった。」私は診察椅子から下り、次にグリスタンが診察椅子に座った。
「あなたは中国人?」グリスタンの歯の状態をドクターに説明しようとしている私の後から、窓際の大きな机に座っている白衣の女医さんが声をかけた。「日本人です」と振り返って言う。「どうぞ、こっちに来ておかけなさい」と机の向かい側の椅子を勧められた。
「チトラールで産婦人科以外の女医さんはめずらしいですね。」と私が言うと、
「私の名はジャスミン、歯科外科医(という日本語あるかな?)なの。ほんとうはヤスミンだけど、英語圏ではジャスミンというのよね。私の家族のほとんどは外国に住んでいて、私自身もつい最近、アイルランドのダブリンで医者やってる姉さん夫婦のとこから帰ってきたばかりなの。私の家族、親戚はみんな大物ばかりで、オバマ大統領もヒラリー・クリントンもうちの家族のことは知ってるのよ。チトラールでも私のこと知らない人はいないのよ」と、私の質問には答えないで、ききもしない自分の家族のことをしゃべり出す。
「あなたはチトラール人なの?」ときくと、「そうよ。でも生まれて育ったのはペシャワールで、転勤でチトラールに来たの。でも今月いっぱいでここの仕事も終わり。そしたらアメリカに行くの」「ふうん、そうですか。」と返事するしかない。その後も、ダブリンの姉さん夫婦が出してるというジャーナルのことや何やら、非常に個人的なことを一気に話す。
 こういう女性もめずらしいから、写真を撮っていいかときくと、「もちろん」と言う。デジカメを向けると、「あっ、待って」と頭に被っていた白いショールを外して、頭を横に振って髪の体裁をつける。彼女はチトラールではあまり見ないショートヘアーだった。
 グリスタンの虫歯はレントゲンを撮らなければならず、診察室を出てレントゲン室に行く途中、グリスタンが言う。「あの女医さんは頭おかしいよ。先日私が来たときには、地元人の私にウルドゥー語で話すんだよ。今日来たらチトラール語を話しているんじゃん。それにだいたい、自分の自慢話ばっかりして、仕事してないじゃん。写真撮る時も、わざわざショールをはずすし、そんなチトラール女性がどこにいる?へんだよ」「確かにへんだよね」と私も納得した。
 私の歯の詰め物は無事に元の場所に戻り、男性ドクターは自分のクリニックから持ってきたセメントの代金も受け取らなかった。グリスタンの虫歯は進行状態がひどくて、この病院では治療できないので抜歯するしかないと言う。「じゃ、あなたのクリニックでは治療できるの?」ときくと、「できる」というんで、午後2時から開く彼のクリニックで治療してもらうことになった。しかし、男性ドクターは午後3時になってようやくクリニックに現れ、来てからも、携帯電話で私用のおしゃべりを延々とやっていて、グリスタンは時間切れで治療してもらえなかった。
 後で、マウンテン・インのマネージャーたちに、「チトラール病院のヤスミンという女性の歯医者さんを知っている?」ときいたけど、「知らないね」と言われた。
 

写真:ヤスミン女医さんと患者さんIMG_3085.jpg


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。