カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

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 村の人口調査

15年ぐらい前に村の人口を数えたことがあったが、当時は310人ぐらいだったと思う。その後確実に人口は増えてる感触はあったが、果たしてどのくらい増えているか、きちんとしたデータがないので、また自分で調べなきゃと思っていたが、暇がないだけでなく、近年生まれた幼児たちの名前など覚えられなくなっていることもあって、そのままになっていた。
 そこで、今年ルンブール中学をカラーシャの中で一番の成績で卒業し、ボンボレット谷の高校で勉強しているマシャールが断食明けの休暇で村に戻ってきたのをつかまえて、彼にリストアップしてもらうことにした。カラーシャで成績が一番というのが、どのくらいのものか、マシャールの仕事ぶりも見てみたいというのもあった。
 英語が苦手でウルドゥー語ならまあまあという生徒が多い中、マシャールは村人の名前を英語ではすぐ書けるが、ウルドゥー語では一瞬考えていて、得意でないよう。彼の字は細かく几帳面で、老眼がきている私はいちいちメガネをはずして読まなきゃならん。数の計算もたまに数えまちがいがあったが、わりあい合っていた。(簡単な足し算だからできるのが当たり前だろうが、でもジャムシェールだったらきっともっとまちがうだろう。)等、マシャールの書く能力の一部がわかっった。
 それで、出て来た数字が、バラングル村56世帯で、男性202人、女性178人、合計380人。以前より70名、2割強の人口増加である。このままいったら、すぐ500人になってしまうだろう。そうなると限られた耕作地で穫れる作物では絶対的に賄っていけないだろうから、将来に対して今から考える必要があるのではなかろうか。「ファミリー・プランニングと地盤産業」の組み合わせで、まじめに取り組んでいかないと、大変なことになるかもしれない。
 このテーマで、大人の学習会をやりたいと思いつつ、これまた、こっちがその気になってる時は、村の人たちの時間がなかったりなんやらで、なかなか開くことができない。でもこうやって数字をみてみると、危機感がつのってくる。しかし、男性が24人も多いというのも、驚きの数字だ。だから嫁さんがいない独身おじさんがあちこちいるのだろう。

大工さんの仕事、一応終わる
 大工さんの2階の増築作業も2年がかりでようやく終わった。まだ椅子や棚を作ってもらいたかったが、次の建築仕事の依頼人が大工さんのもとに再三やってきて、自分の家を早く作ってくれるよう言うので、こちらも引き止めるわけにもいかず、トイレの建物ができた時点でくぎりをつけた。
 おとといは、2階では大工さんが仕事をしていて、下の作業室ではルビザールがコースター縫い、その隣ではマシャールがバラングル村のすべての人の名前をリストアップ、外の庭ではナスィールがクルミの木に登って、実を落とし、地面でジャムシェールと近所の女性、子供たちが実の収穫をしていて、午後はアリママットが手漉きの紙に絵を描く作業に来た。各自に仕事を指示して、その間に大工さんへ10時のミルクティーとプルカ(厚めのチャパティ)作り、お昼の食事作り、3時の紅茶を出さねばならんし、さらにその合間を縫って、ハンディクラフトの新商品の試作品などを作っているんで、なかなか外に出る暇がない。従ってせっかく弟からもらったデジカメで村のスナップを撮ることもできず、撮るのはハンディクラフトの見本写真が多くなる。

 写真:手織りの幅広紐を縦に3枚縫い付けたA4サイズのバッグ
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あんまり書きたくない話題

09年9月17日
 ついに起こってしまった。外国人誘拐事件がカラーシャ谷で。
つい先日(8月)このブログで、ボンボレット谷ではギリシャ人のNGOが大規模に行き過ぎるほどカラーシャの援助活動を行っているとお知らせしたが、その筆頭株のギリシャ人、アタナシアスさんが9月8日未明、カラシェニコフを手にした大勢の覆面の男たちに連れ去られた。
 毎年5月から11月頃までボンボレット谷で、建築工事や文化、教育、医療援助にたづさわっていたアタナシアスさんには、地元政府の要請でここ数年間は、安全のために数人の警察官が警備にあたっていたが、当日いた3人の警察官のうち1人は死亡、あとの2人は賊の数が多すぎるのを見て、畑に逃げた。(警察詰め所に連絡するために)
 9月8日はボンボレットの南に位置するビリール谷では葬式の最中で、ルンブール谷やボンボレット谷からも大勢の人たちが出向いていた。うちのスタッフ、ジャムシェールも私に内緒で7日夕方から行っていたという。夜明けの頃、そこへ数台の車で大勢の警察官たちがやってきたので、ジャムシェールたちは事件を知ったという。アタナシアスを連れた賊がボンボレットの尾根を横切って、ビリールに行った可能性があるということで、警察は捜査にやってきたが、手がかりはなかった。
 ジャムシェールたちは葬式が終わらぬうちに、外国人である私のことが気になったということもあって、急いでルンブールに戻ってきたという。ビリール経由で事件を知ったバラングル村の人たちは、まず、アタナシアスさんのそばで働いていて、彼のNGOが建てた総合ビルディングで寝泊まりしているサイフラーの末弟ハヤットのことがどうなっているのか心配する。そばについていたポリスが殺されたくらいだから、ハヤットは殺されてはいなくても負傷しているかもしれないのだ。親戚のお婆ちゃんはがたがた震えている。すぐに、兄弟と親戚の男たちが谷に止めてあった車をチャーターしてボンボレットに向かった。
 昼ごろボンボレットに行った彼らは戻ってきて、普段アタナシアスのスタッフ4人はビルディングに寝泊まりしているが、昨夜はみんな村の家で寝ていて無事だったという。しかし詳しい情報はなく、賊は何者か、アタナシアスさんの居所はどこか、生死は?など、わからずじまい。
 村のみんなは揃って「ヌーリスタン人のしわざだ」と言う。前々からアタナシアスさんの援助活動のやり方は周りのイスラム教徒から、「カラーシャだけに至れり尽くせりの援助をして、不平等だ」というクレームが飛び交っており、「あのビルディングに爆弾をぶっ放してやる」というぶっそうな話もあったらしい。
 私ははじめから、身代金目的の誘拐で、賊はタリバン、道案内に地元のヌーリスタン人が関わっていると思っていたが、やはり、数日してから、アタナシアスさんは国境を越えたアフガニスタン側のヌーリスタンの村に捕われているとの情報があった。チトラール警察はボンボレット谷とルンブール谷の奥にあるヌーリスタン村の誘拐に関わった男たち十数人を、アタナシアスさんが捕われている村に話し合いに送り、アタナシアスを無事に戻せば、誘拐に関わった者でも逮捕しないという交換条件を出した。そのタイムリミットが13日であったが、ジルガ(長老会議)にかけていて時間がかかるということで、未だに結論がでていない。
 カラーシャたちは「アタナシアスはいつ戻ってくるんだろう」と単純に言うけど、誘拐されたのはギリシャ人だし、捕われているのはアフガニスタンだから、これは国際的な問題となり、国同士で話し合いがされているはずだ。国境も違法で越えているので、そのルートで戻って来れるわけがない。解決すれば、多分カブールに連れていかれて、ギリシャの大使館があればそこで保護され、飛行機でイスラマバードに行くことになると思う。
 何にしても、新聞もインターネットも電話もないカラーシャの谷では何もわからなくて、ただただ辛抱して、アタナシアスさんの無事を祈るのみである。

 この事件で、何の役に立たなかった警察やスカウト(軍)に対して、一部のカラーシャたちがチトラールの町で抗議デモをしたので、気を悪くした警察署長が、「そんなに言うんなら、カラーシャ谷に滞在する外国人のために警官4人つけてやる。」と宣言。1人に対して4人の警官だから、外国人2人だったら8人の警官ということになる。その警官たちの食事代は外国人持ちだから、そこまでして滞在するツーリストもあまりいないだろう。
 せっかく、ペシャワールからの陸路が外国人にも開いて、ツーリストがぼちぼち来始めたというのに、サイフラー・ゲストハウスでも、事件が起きたその日に英国人カップルが、2日後には日本人カップルが予定を早めて谷を去った。
 私にも警官をつけると警察から言ってきたが、村の人たちが「アキコはローカルだから問題ない」と説得してくれたので、私は普段どおり生活している。ビリールに数日前から滞在しているM女史には、何と8人ものセキュリティがついているそうだ。(警官4人、スカウト2人、国境警備隊2人)何でも、M女史は「警官はうっとうしくて嫌いだけど、新しいプロジェクトの件で、警察署長のサインをもらわなきゃならないので、今は警察と喧嘩できない」ので、目をつぶっているらしい。彼女は長くてもカラーシャ谷には月に4、5日しか滞在しないから、たいした負担ではないだろう。

 いやあ、こういうニュースをブログに載せると、「そんな危ないところにいないで、早く日本に戻ってこい」と言われそうで、あまり紹介したくなかったけど、でも、まったく無視するわけにもいかず取り上げました。まあ、様子を見て、もし状況が悪くなるようだったら、早めの帰国、あるいは一時カラーシャ谷を離れることも考えています。どっちにしても2年に渡って作業中の2階の増築が終わってからですね。現在、2階のトイレをリサイクル材を使って作っています。洋式便器を設置して、セメントを張って、水道と電気をつけるまではここを動けません。

ハンディクラフト作りは
 ハンディクラフトの作業隊は、谷にくるツーリストがいないので、今月はレギュラーで2人(縫い作業1人、織り作業1人)来てもらっていました。その分、私自身は新しいクラフトを開発する余裕がでて、なんやかんや作っています。基本は手織りのシュモンと、ミシンでの下糸模様縫い(布を裏返しにし、ボビンに細毛糸を卷いて縫う。)をくずさずに、新しいデザインを試行錯誤しています。チトラールで材料を仕入れたら、また人数を増やす予定です。ひょっとして谷を早めに出るんだったら、日本に持っていくクラフトを確保しとかないとね。
 下の写真は、伝統織物の保存のために、手に入れた男性用のコートです。山羊の毛で織ったもので、以前のカラーシャの男たちは、山羊の放牧の時にこれを着ていました。織ったお婆ちゃんはすでに他界。アクリル毛糸で模様を縫ってあったのを、本来の手染めの羊毛で縫い直してもらいました。
IMG_3491.jpg

モデルはうちのスタッフ(すましまくって、気持ちわるー)
 

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