カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

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09年10月26日
 バンコクにきてからはよく歩いている。チトラールだったら、バザールの店で買い物しなくても、店主は「座れ、座れ」と座りたくなくても椅子を進めてくれるが、すべてが「商売」で、外国人が腐るほど歩いているバンコクのカオサンでは、そんな奇跡があるはずがない。屋台の麺類やおかずが乗ったご飯など30バーツ(90円)から食べられるので、休憩がてら座って食べたらいいけど、すぐお腹いっぱいになって、そうは梯子ができるもんではない。
 今日は旅行代理店、両替屋の梯子で汗だくになり、美容室に飛び込んでしまった。日本に半年は滞在せんといかんし、この際、このバサバサの山姥みたいな髪の毛をどうにかしよう、日本の半額以下でできるんだからと、20数年ぶりにパーマに臨んだ。ストレートパーマちゅうやつに。けっこう、たくさんのプロセス(3時間)をまじめにやってくれた。(と言いつつ、私にかかってくれたスタッフたちは、テレビ番組の方が私の頭より興味あるようだったが)結果は?アメリカにいる姉貴にそっくりになって、なんか気持ち悪いのだ。元のウエーブが少しほしい!とにかくつるんつるんに不自然にまっすぐなのだ。
 ということで、私はパキスタンとえらく違う体験をしております。明日はカンボジアのシェムリアップで仕事をしている友人にバスで会いに行きます。東京には11月4日に到着予定です。

写真:チトラールで食べられなかった魚介類のメニューがいっぱい。
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バンコクに着いた。

 今日未明夜中の1時にイスラマバードを経って、朝6時(現地時間)にバンコクに着きました。
 カナダの北極圏の近くに住むカナディアン・インディアンの村で、カラーシャ族以上に消え行く彼らの文化を保存するために、2年間以上ボランティア活動したり、世界のいろんな国に気軽に出かけ、その土地の人たちとすぐ友達になってしまう、旅の達人、佳世さんに、事前にバンコク、カオサンの為になる情報をメールで訊いていたので、今回は安くて清潔な宿をスムーズに見つけられ、その日のうちに、東京までの安い航空券の情報をつかめて、今、屋台で厚揚げの切り身がたくさん入ったタイヌードルを食べた後、LANが設置されているレストランでただのインターネットを接続して、パパイヤサラダをつまみにビールを余裕で飲みながら、ブログ更新しています。
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写真:厚揚げ入りヌードル
 一番安いフライト(ノースウエスト)は毎日飛んでいて、いつでも席が取れるということなんで、あさって、カンボジアのシアムリアップで日本語を教えている友人を訪ねようと思っています。ここカオサンから直行バスが20ドル以下の値段で出ていて、その日のうちに到着するらいしから、行かないわけにはいかないよね。それでも長居はせずに、11月の始めには東京に到着するよういたします。

危険がいっぱい

09年10月22日
 昨夕、ファジアが「今、うちのブロックで警察がテロリストを捜査しているとのニュースがあり、ここにいるのは危ないんで、私たちは母さんの家に行くことにしたけど、一緒に行く?」と言う。よその家に泊まるのは気が進まないけど、何かあった場合、残ったコックさんたちとコミュニケーションするのも難しいし、携帯電話も持ってないので、ファジアたちと一緒の方がいいだろうと、バックバックにパソコンと着替えを詰めて、ファジアの母さんと兄さんが家に避難することになった。
 結局、夜9時半ごろ、またファジアの家にみんな戻ることになったんだけど、今朝のニュースで隣のブロックで警察官2人がテロリストから殺されたと知る。その後、ファジアの夫の両親が住むブロックでも警察とテロリストとの銃撃戦が行われているという。イスラマバードも今や安心して住めなくなっている。
  

想像以上に治安悪し

09年10月21日
 昨日の午後、ファジアたちはテレビに釘付けになった。ここからそう遠くないイスラミア大学の構内2カ所で自爆テロが起きたとのブレイク・ニュースだ。ファジアの夫は国連の麻薬撲滅関係の仕事で、週日はペシャワールで働き、週末に家に戻ってくるが、男手がないと不安なので、遠縁のアサランさんが週日はファジアの家に泊まり込んで、運転や用事をやってくれている。そのアサランさんの奥さんの姪ごさんがイスラミア大学で勉強しているというのだ。
 自爆テロの1つは女性専用のカフェテリアで起こり、死傷者のほとんどが女性だという。何で、過激なムスリム・テロリストがイスラームを学ぶ大学の、それも女学生をターゲットにしなければならないのか理解に苦しむ。
 アメリカ政府の後押しで行われているパキスタン軍のタリバン掃討作戦が、最近はアフガニスタンの南東に位置するワジリスタンで強化され、1回の攻撃で数十人の村人が命をうばわれている。その犠牲者たちはタリバンだけでなく女性や子供も含まれている。タリバン側から言わせると、「軍の無差別攻撃を止めない限り、こっちだって女性子供をもターゲットにする自爆テロを止めないぞ」ということだろうが、迷惑なのは99%を占める一般庶民だ。タリバンも軍も両方とも「気違いに武器・爆弾」状態なので、このままだと、いつまで経っても終わらないだろう。
 アサランさんの義理の姪ごさんは授業中で無事だった。ホステル暮らしの彼女は、昨夜はファジアの家に来て、私と客室をシェアして泊まり、大学が一時閉校になったために、今日帰省していった。
 姪ごさんは法律を勉強していて、将来は裁判官になりたいと言っていたが、より多くの女性たちが社会に入り込んで、今の、権力、賄賂、見栄だけの男性社会を明るくソフトなパキスタンに変えていってもらいたいものだ。

私は23日~24日の夜中のフライトでバンコクに飛びます。
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予定通りには行かないもの

09年10月18日
 10月15日に谷を出てチトラールの町へ、帰国の途につく。
 パキスタンの治安悪化でツーリストも来ず、オーナーも子供たちの教育のためにペシャワールへ行ってしまったので、以前は大使や国会議員などのVIPが宿泊していた高級ホテル、マウンテン・インも荒れてしまって、普通の部屋は客が泊まった後に掃除もしてなくて汚れている。スイートルームの一つが人が使った形跡がなかったので、安くしてもらってそこに泊まることにする。しかし長い間人が入ってないので、机やテーブルは埃で白くなっている。それを指摘すると、ボーイが自分の手のひらで埃を拭き始める始末。伝統家具や絨毯を置いたスイートは、きちんとメンテナンスをすればとても雰囲気のあるいい空間なのに残念だ。パキスタンではめずらしい木製のスライド方式の窓は、なんと鍵がかからない!鍵自体がないのだ。ホテルの番人に言うと、「網があるから大丈夫」との返事。「でも網なんかナイフですぐ破れるでしょう」と言い返すと、「チトラールではそういうことをする人はいない」で終わり。端の部屋だから、その気になれば簡単に討ち入りできると思うと、せっかくのスイートもビターになってしまう。おまけに停電がひんぱんにあり、ランプを頼むと、カラーシャの家にあるようなガラスが曇ったぼろランプを持ってくる。停電が終わってしばらくしたら、寝室の蛍光灯が黒くなって切れてしまい、まだ8時半なのに暇つぶしの読書もあきらめて寝るしかない。
 翌日、「早くチトラールを出るぞ」と意気込んで空港に行き、1番でチェックインした。しかし女性専用の待ち合い室で一人、待っても待っても飛行機は来ない。そして欠航のアナウンス。天気は悪くないのに欠航だ。見渡すと乗客が私を入れてたった7人だったし、ペシャワールからのフライトも乗客が少なかったので欠航になったのではないかと思う。だいたい、陸路が開いているこの時期は代金が高い飛行機を利用する人は少ないのだから、毎日飛ばさずに1日おきにするなり、前もってスケジュール調整をすればいいではないか。PIAは少しでも良くしようという意欲がまったくない。
 「欠航」をアナウンスし、搭乗券を回収したら、PIAのスタッフたちは空港ビルからあっという間にいなくなり、私とパンジャブ人3人が空港の駐車場に残された。パンジャブのビジネスマンたちは携帯電話でジープを呼び、行ってしまい。(私にも乗るかきいてくれたが、座る場所がなかったので断った)駐車していたただ一台の車の運転手が戻って来るのを1時間ほど待つ。まあ、車があっただけでも良しとしなければならないだろう。      再びマウンテン・インに泊まる気がせずに、ティリチミール・ビュー・ホテルに行く。こちらは都会にあるホテルと同じ様式で掃除も行き届き、セキュリティもよろしい。もちろん値段も高い。そこからPIAオフィスまで切符の書き換えに行くのに延々と歩かねばならないのがたまにキズ。PIAはどうして欠航が分かった時点で空港でやってくれないのか。いつもPIAのサービスの悪さには腹が立つ。今回日本に帰国するときはPIAは絶対使ってやらないから!(最初から使わないつもりだったが)
 2日目のフライトは天候のために欠航(ちょっと曇りだっただけ)。3日目は日曜日で始めからフライトがなくて、4日目の月曜日に飛ぶことになったが、今の時点(日曜日の午後)で雲が広がり、小雨がぽつりぽつり。いやあな予感。最近の私の行いは悪くなかったと思うんだけど、運がないなあ。
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写真:アフガン難民の餃子売り

09年10月19日
 今日は飛行機が飛びました。今はイスラマバードのファジアの家です。
 ファジアはおとといの10月17日に、ジナー・パークで10校から生徒たちを集めて、100ヤードの長い「平和の布絵」のイベントを行い、テレビや新聞にも大きく取り上げられた。撮影ボランティアとして私を待っていたそうだが、フライトのキャンセルで手伝うことができず残念。

一時帰国の途に

09年10月18日
 チトラールの町を歩いていると、チトラールの人たちは、「ケチャー アスス、ベッチ(ご機嫌いかが?おばさん)」と声をかけてくる。大半は知らない人だ。しかし、一見私より年上に見える白髪混じりのひげのおじさんから「ベッチ(おばさん)」と言われると、確かに自分はおばさんということは認め、相手は好意で言ってるとわかっていながら、言われたとたんにむっとくる。だいたい「ベッチ」という言葉の響きが好きでない。カラーシャ語で「ナーナ(おばさん)」と言われたら、やさしく「なーに」と返事できるけど。
 昨日、イスラマバードまでの飛行機の切符のためにPIA(パキスタン航空)の事務所に行ったら、私が入ったとたん、待ち合い席にいたおじさんが、「ベッチが来た。ベッチが来た」と大声で叫ぶではないか。他に女性はいないから、明らかに私に言っているのだ。
しばらくするとまた、「ベッチが来た。ベッチが来たよ」と叫ぶ。きっと少し頭がおかしい人だろうが、あまりにも何回も何回も繰り返されると、カウンターの椅子に座っていた私は苛つき、「チョップ(うるさい)」と言ってしまった。しかしそれでも男はまた「おばさんが来た」を繰り返す。切符を手に入れてカウンターから去るときも、「おばさんが来たよ、おばさんが来たよ」と言うので、私は今度は男をじろりと見つめて「うるさいぞ」と言った。そしたら、その中年の男は顔中を喜びいっぱいにしてにっこり笑った。
男の勝ちだった。

 おばさんと言われるようになった私の両親は、だから当然高齢になっている。パキスタンからの電話料金が昔に比べると格段に安いということもあって、最近は毎月チトラールの町に出ると、九州の母に電話するように心がけているが、8月末に電話した時に、父が肋骨にひびを入れ、母1人で大変だときいた。その後、アタナシアスの拉致事件が起き、今も解決されていない。それ故、カラーシャ谷に来る外国人ツーリストは、安全確保のために警官をつけなければならない状況になった。私は地元人ということで警官こそつけてないが、以前よりは安全環境は悪くなっていると言わねばならないだろう。私の今年の予定の仕事であった2階増築の大工さんの仕事も終わり、ルンブール谷を出る条件がずらりと揃ったんで、早めに帰国の途に着くことにした。
 冬に静江さんが来るという話は、アタナシアス事件で今のところキャンセルになったんで、来年春まで半年間は、多目的ホールはジャムシェールとヤシールだけで運営してもらう。この前の冬も彼らだけでライブラリーを開き、特に1月2月の冬休みは、本を読むだけでなく、学校の教科書を持ち込んで復習をする生徒もいて、ライブラリーがとても役に立ったというので、あまり心配はしてないが、問題はハンディクラフト活動だ。
 本来の予定では12月に谷を出るつもりだったんで、とうもろこしや果物の収穫作業が終わり、女性たちに時間ができる10月半ばから11月いっぱいで、冬の私の留守中にクラフト隊にやってもらう作業の段取りを立てようと思っていたが、それができなくなった。それで、谷でも日本でも確実に売れる品物、山羊のコースター、シュモン(手織り紐)のコースターだけを、グリスタンとルビザールに作りおきしてもらうことにした。そのために、見本の写真、布、裁断の型を用意し、アスマールの母さんにはサイズを指定したシュモンだけを織ってもらうことにした。多くの仕事を依頼できず残念だが、仕方がない。

 ということで、この2週間はえらく忙しかった。Nさんと静江さんのクルミの収穫をして、殻向き、日干し(Nさんのクルミを売ったお金は活動費に寄付)。サイフラー・ゲストハウスの作業をしていた職人を無理矢理お願いして、2階に洋式便器と水道の設置をしてもらい、谷の下流の家からぶどうを買って、ワインを仕込み、活動費やクラフト売上げの収支計算、大事にとっておいたわかめ、魚粉、缶詰などの日本食を胃の中に片付け、その間に2匹の犬が計12匹の子を産んだ。
 帰国の荷物、小型のキャリア付き布のケースは今年作ったクラフトでいっぱいになり、折りたたみのバッグに服類と、うちで穫れたりんごとクルミ。今回はバンコクまで飛び、バンコクで日本までの安いチケットを買う予定なんで、あまり多くの荷物は持てない。ビデオカメラも置いていくことにした。そのビデオカメラで、ヤシールに冬のライブラリー活動を撮影してもらうよう頼む。
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写真:ワインの仕込み。穢れのない少年(童貞)が足でぶどうを踏む。

高校生に教育補助金
 ルンブール谷には高校がなく、高校に進学する生徒はボンボレット谷に行かねばならない。ボンボレットの親戚の家に居候して、高校に通い、月に2、3回、週末にルンブール谷に戻るわけ生活をする。ギリシャの援助ほどは出せないが、行き来するジープ代ぐらい援助したいと前から思っていて、静江さんとも話し合いをしていたが、静江さんが滞在していた今年の5月の時点では、小学生から大学生までカラーシャの全生徒に政府からの奨学金が支給されるという話があったので、そのままにしてあった。
 しかし秋になっても、その奨学金は来ず、今年は無理ということがわかったので、経済的に難儀している家の生徒で、成績が優秀な生徒、高校1年生、2年生の男女各1名ずつ計4名に、私たちの活動費から毎月300ルピーずつ、来年3月まで冬休み以外の4ヶ月間支給することにした。
 今の時代300ルピーは職人の日給1日分しかならないが、しかし現金収入のない家にとっては助かるはずだ。支給する生徒たちには、冬休みの間、ライブラリーの手伝いと、村のお年寄りたちに、インタビューをしてテープに記録するように頼んだ。インタビューの内容は、自分の人生について語ってもらい、好きな歌、気に入った物語も録音してもらう。
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写真:高校2年生ナシールシャルと1年生エリカビビ

 

分配し過ぎだよ

09年10月2日
 私の現在の住処のすぐ上に下流の畑用の感慨水路が通っている。そこからの水がもれてきて、うちの作業室や倉庫の壁から水がしみだして困った状況にあるんだが、その話は置いといて、その水路は秋の終わりには川からの水が止められて干上がる。その後、夏の畑地に移住していた半数以上の家族たちが、冬を越すためにバラングル村に戻ってくる。
 水路沿いの、私の住まいの近くに建つ数件の家には子だくさんの家族が暮らし、そこの母親や子供たちは村の中でも「どうしたらこんなに汚れるの?」と驚くほど、顔も手足も服もすさまじく真っ黒けのけ。おまけに彼らは干上がった水路の、ちょうどうちの建物の上側をトイレ場に使っていたんで、私は自分の頭の上にウンチをされているようで、とても不快な気持ちでいた。幸い、去年、おととしの間に村の大半の家にトイレが作られたので(でもトイレに水がなく、水運びがめんどうで、トイレを使わない女性や子供も多いように思う)、ウンチ公害は減ってきている。
 ここからが、本題なんですが、その一番はじっこの家の、わっと驚く汚さだった女の子も10代半ばになって普通になり、この夏祭りに、ブンブレット谷のけっこう有力者の(どら)息子に自家用車で連れられて嫁に行ってしまった。
 その嫁に行った彼女の初めての実家帰りの行事が先日行われた。夫のもとへ行く時は、着の身着のまま、何も持たない状態で行くのだから、新調してもらった服を来て、夫側の親戚や、実家への贈り物と一緒に実家に戻る行事が、カラーシャでの結婚祝い行事ともいえるだろう。
 この日は朝から村中の家に小麦粉が割り当てられ、たくさんの客用タシーリ(カラーシャのクレープ風パン)が焼かれ、(そのためにハンディクラフト研修隊の娘たちも仕事に来なかったぐらい)村人たちは「今日は祝いがあるから」と夕食も作らず、相手方の到着を待つ。今の時期はまだ上流の畑の家に住んでいる新婦の家族も、水路沿いの家に降りてきて、戸口に電球をつけて明々とそこら中を照らしている。村の人たちが準備のために行ったり来たり、あわただしい。
 暗くなった頃に3~4台のジープでブンブレットからのお客が到着する。楽しいことが大好きなカラーシャはすぐその場で踊りだしたりしている。新婦は夫側から持たされた飴やビスケット、ブレスレットを村の子供、娘たちに配る。我も我もとすごい人だかりだ。
 すぐに客にチーズとタシーリが出される。村の家々にも、夫側の女性たちが焼いたクルミパンを2枚と、村で焼いたタシーリとチーズが配られる。私も夕食を作らずに分配を待っていたが、
ジャムシェールが持ってきてくれた「私の分」は大きめのタシーリ10枚とチーズ、もちろんクルミパン2枚も。お腹が空いてたので、がっついてぱくついたが、でもタシーリ1枚食べるのがやっと。その後3日間、私と犬たちはそのタシーリを食べたが(チーズは10月1日の今日まで食べ続けた)、もらったすぐのあたたかくておいしかったタシーリも日が経つと犬もそっぽを向き、結局3割がたは牛のえさとなる。
 これは葬式においても同じことで、日増しに小麦の価格が上昇している今日、けちくさい私は「もったいない」と思ってしまう。家族が多い家では分配されたものは全部食べきるかと思いきや、そういう家でも貴重な小麦タシーリが牛のえさになっている。
 2カ所の客室で徹夜で祝いの踊りが続けられた。うちの犬たちは客に噛み付くといけないからと、つながれたままの状態で、向こうでドンドン太鼓の音が響くのに合わせ、犬たちがクンクンと鳴き続けて(肉を煮ている所に行きたくて)、私も睡眠不足。
 翌朝は、夜に4頭の山羊をさばいて、ぶった切りにし、塩で煮た肉と、小麦粉でとろみをつけた肉汁のごちそう(ワイルドディシュ)が客に出される。もちろん村人にも配られる。私は「タシーリは昨晩たくさんもらったから、肉だけにして」とリクエストする。「昨日のは昨日。今日は新しい分け前を受け取りなさい」と言われる。ほんとうに与えることが好きないい人たちだ。
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  写真:焼かれて持てなされるタシーリのほんの一部

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  クラフト新製品:テーブルセンターとコースターのセット
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