カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

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金沢の小学校で話をする。

 11月4日にバンコク発、ホー・チ・ミン経由で、翌日5日に成田に到着。東京の居候先(弟家族の家)に着いたとたん、インターネット・フリーの環境だからいつでもブログ更新ができると、気がゆるみ、ついつい「明日、あした」と延ばし延ばしにしているうちに、東京滞在予定の10日間が過ぎてしまい、気がついたら、あらあら、九州の親元にいる私。
 九州でようやく時間ができ、ブログ更新をしようと思ったら、年寄り2人だけが住むここは、インターネットのアクセスはチトラールと同じように、モデムを電話線でつなぐ旧システム。時間が長くなればなるほど、電話代がかかるので、メールをチェックするのも緊張してしまう。という事情で、ブログ更新が遅れて、申し訳ありませんでした。そんなに時間がかかるわけではないので、東京にいるときに一度やておけばよかったと後悔しても後の祭り。便利なものがそばにあると、ラクチンに慣れて怠惰になるということを実感したのです。

 実は、東京から九州に帰る途中に、金沢市のはずれの山中に暮らす友人の画家夫婦(山田俊一氏&純子さん)を3泊4日で訪ねた。俊一氏が2年がかりで描いた神社の、迫力ある昇り竜と下り竜のふすま絵を見せていただき、純子さんが近江市場の魚介類や日曜市場の野菜の新鮮な食材でこしらえたおごちそうに舌鼓を打ち、能舞台や伝統工芸品が置かれて美術館のような深谷温泉と、地元の人たちに人気がある法林寺温泉のお湯につかって心身を癒し、忍者寺や郭、武家屋敷も訪ねた。        
十分に金沢を堪能した最終日に、純子さんが以前に英語の授業をしていた小学校で、カラーシャの話をするよう頼まれ、花園小学校の5年生、6年生たちに「カラーシャの子供たち」のスライドショーと、「キラン・ライブラリー」のムービーを上映しながら、カラーシャの子供たちの生活のことや、タリバン掃討作戦と自爆テロで普通の生活を奪われたパキスタンの現状を話した。


総合学習:パキスタンで少数民族と暮らすわださん、現地の生活語る
     -金沢 /石川
◇平和の尊さ訴え

 パキスタンの北西辺境州の谷で独特の文化を築く少数民族、カラーシャ族と共に暮らすNGO代表、わだ晶子さん(57)が20日、金沢市今町の市立花園小(129人、長井珠子校長)を訪れ、現地の生活を語った。情勢が不安定な同国だが、自然の中で暮らす平和の尊さを訴えた。児童は熱心にメモを取り、質問していた。【澤本麻里子】
 同小の総合学習の一環。市内の友人の仲立ちで同小を訪れた。わださんは87年、旅行の途中でカラーシャ族の村に立ち寄った際、2週間続く祭りに感動し、自然と共にある大らかな暮らしに引かれ、現地で生活を始めた。教育促進や伝統文化の保護などに取り組むNGO「ルンブール福祉文化開発組合」の代表を務め、図書スペースを備えた多目的ホールの運営に力を入れている。
 わださんは自給自足が基本のカラーシャ族の暮らしや学校での授業の様子などを紹介。隣国アフガニスタンでの戦争の影響でパキスタンでも自爆テロが相次いでいることに触れ「武器を使わず話し合いで解決してほしい。平和が一番」と話した。
 6年の新谷未来さん(12)は「パキスタンのことは名前しか知らなかった。家や食べ物、遊び道具など自然のものがいっぱいですごいと思った」と話していた。


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写真:「子供たち」のスライドショーと「キラン・ライブラリー」のビデオ映像を見せながら、5、6年生40人の前で話をした。(撮影:山田純子)

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シェムリアップ滞在

09年11月3日

 昨夕、カンボジアのアンコールワット遺跡のそばにある町、シェムリアップからバンコクに戻ってきた。
 シェムリアップでは始めの2日間は日本の友人のアパートに世話になっていたが、友人はベッドを私に使わせてくれ、彼女は堅い床にござを敷いただけで寝ていたので、どうも申しわけなくて、歩いていける距離のゲストハウスに移った。(後で、「堅い床にござだけで寝る」というのは、地元の人には当たり前のことだとわかったが)
 カンボジアについては、アンコールワット、プノンペン、ポル・ポト、大虐殺、地雷の単語以外は何も知らず、シェムリアップという町の名前も友人が住んでいるということで最近知ったばかりだ。アンコールワット観光のために観光客が滞在するために新しくできた町というから、地元の人たちは外国人慣れしていて、すれているだろうと思っていたけど、オートバイやツクツクの運転手の人たち、土産物店の人たちもみんなやさしい目をしていた。(もっとも、遺跡のそばでみやげを売る女、子供たちはけっこうしつこかった。)
 友人は自宅で日本語教室を開いていて、生徒さんたちと話しをすることができたのも、なかなか興味深かった。シェムリアップでは、ドライバーの仕事以外の、店や会社で働いているのは女性の方が男性より多いように見え、細いジーンズを着こなし、オートバイをさっそうと運転する若い女性たちは、けっこう力もあり、自由に遊んでいるのかと思ったが、生徒さんたちからきいたところによると、女性は、特に結婚前の若い女性は人前ではお酒も飲まないし、夜遊びもしないという。日本の昭和30年代くらいの状況だろうかと思ってみたが、ただシェムリアップでも携帯電話が普及していて、若い人は誰でも持っているどころか、新種が出たらお金がなくてもどんどん買い替えるらしいから、やはり明らかに昭和30年代ではない。
 数えきれないほどのホテル(一流ホテルから安宿まで)があるのに、まだ次から次へと新しいホテルが建設されていて、観光ガイドも毎年2000人が登録するという現状で、これからこの町はどうなっていくのだろうと、よそ者とはいえ考えてしまうが、一歩町から離れると、カンボジアならでの村の風景と暮らしがあった。運良く、友人のカンボジアの友だちの実家を訪ねることもでき、滞在最終日にはシェムリアップ川で水祭り1日目の、舟競争と花火も見ることができて、単なるアンコールワット見学だけでなく、楽しいカンボジア滞在だった。
 本当のこと言えば、アンコールワット見学では、デジカメの替えのバッテリーを忘れてきたんで、(いつもカメラと一緒に持ち歩いているのに、初めて忘れた)、アンコールワットそのものの写真はゼロ。でもアンコール・トムの始めの方は撮ったからいいや。アンコールワットの写真はたくさんあるからね。IMG_4215.jpg
写真:舟の対抗レースでみんな盛り上がる
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