カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

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「ジョワルベックの葬式と未亡人の喪」の映像を編集


09年12月7日
 何とまあ、九州に帰省してから半月も経ってしまった。毎日、散歩がてら、買い物や図書館などに出かけはするものの、事前にアポをとって人に会ったり、特別な場所に出かけるということをまだやっていない。この半月の間、両親以外では、週末にくる末弟と、たまたま訪ねてきた叔父夫婦と話をしただけという、この何十年間で、いや生まれて初めての、半引きこもり生活をしたかも知れない。この間何をしていたかというと、はい、映像の編集でした。

 7年前に、カラーシャの伝統行事や生活を記録するためにと、東京の弟からデジタルビデオを買ってもらった当時は、何でもかんでもビデオで撮っていたが、ここ数年、多目的ホールでの活動に追われて、撮影するのはその活動シーンがメインになって、他のシーンをだんだん撮らなくなった。さらに今年の冬に、末弟からお古のデジカメをもらってからは、小さい方がつい便利で、よけいにデジタルビデオを使わなくなってしまった。
 唯一、今年4月に他界したジャマット・カーンの叔父さん(ジャマットの父親は赤ん坊の時亡くなり、3人の叔父さんに育てられた)の葬式の様子と、叔母さんの喪の習慣だけは、割り合いきちっとビデオで撮影した。これだけは編集してまとめたいと思い、撮影してすぐにパソコンに取り込んだはいいが、やはり夏、秋と時間がなくて編集ができず、映像のクリップはパソコンに入ったままになっていた。
 今回2ヶ月早くなった一時帰国で、ゆっくり考える暇もなく荷物作り。まず、バッグに今年作ったクラフト製品を詰め込む。パソコンは絶対に持って行かねばならない。自分の身の回り品を極力減らして作った荷物は、ビデオカメラなしでどうにか自力で持てるかな、ちと人工股関節の身としてはきついかなというところ。で、ビデオカメラは置いていくことになった。

 そうなると、今年少しだけ撮った活動映像なども、日本で報告するときに必要かもしれないので、ビデオカメラからパソコンに取り込んでおかないとならぬと、向こうを出る寸前に、そういった映像も取り込んだ。すると、パソコンの容量がぎゅうぎゅういっぱいになってしまったのは言うまでもない。
 この容量オーバーをどうにかしないとパソコンがちゃんと働いてくれないので、佐賀に来てから、まず画像の整理をすることにした。ところが。今まで、不要な画像をiPhoto からゴミ箱に入れたら削除されていると思っていたのに、空き容量が増えないのだ。そしたら、消されたはずの画像が「すべてのイメージ」のところにでーんと居座っているのを発見。しかも2枚、4枚と重複して。
 ごちゃごちゃここで書いても、くそおもしろくもないだろうから途中は省略する。最悪だったのは、重複している1万枚以上あるイメージやムービーと闘った後に、多少ディスクの空き容量を増やして、「葬式と喪」の編集をしているときに、非常に重要なシーンのクリップが消えてしまったのだ。きつねにつままれたようだった。「bugの可能性があるのでは」とパソコンが警告するんで、もう復活しないと思ったけど、ひょっとしてソフトのアップロードをやればなおるかもと、意味のない希望をもって、アップロードに挑みました。そういえば8ヶ月間、アップロードしてなかったんですね。
 電話線でインターネットに接続してアップロードを開始したら、最初、「2時間かかる」と青い棒グラフが出て来た。「えっ、2時間も電話線つなぎっぱなしにしとくのかい!(電話代がかかる)」と驚いたが、この際、多少の費用は目をつぶろうと決心。しかし2時間過ぎても「後2時間」とグラフが出て来る。3時間半ぐらい経過した頃に、不手際で電話線が切れてパア、元の木阿弥。今度は夜にインターネットに接続した。そしてそれから2時間経過していたのにかかわらず、今度はなんと、「後、5時間かかるぞ」と棒グラフが出たのです。さすがに電話代がこわくなったし、夜通し起きていたくないので諦めた。こんなことだったら、東京でやっとけばよかったよ。

 幸い、消えたクリップは後で現れてくれたが、こういったストレスをいっぱい抱え込んで、一応「葬式と喪」の編集を昨日やり終えたわけです。編集しながらあらためて、カラーシャの死に対する観念と実行方法はなかなか素晴らしいと思った。生と死をお祝い事ととらえ、祭りと同じ規模でみんなで送り出すカラーシャの葬式は、日本の葬式より百倍もいいと思う。ただ、費用がかかり過ぎるのと、後に残った未亡人の喪の規律は大変過ぎる。こういう習慣もだんだんとなくなっていくのだろうか。
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写真:葬式の後、喪に入る頭と髭そり儀式

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キラン図書館についての報告会

09年11月28日
 九州、佐賀の親元に帰省してから一週間経った。高齢の両親に合わせた生活は、買い物と賄い以外にたいしてメリハリがなく、のろのろゆっくりだけど、ルンブール谷から来た私としてはやり易い。
 その逆だったバタバタあわただしかった東京の10日間滞在の中で、一つ、ブログに載せるべきだったイベントのことを忘れていたので、遅ればせながら、今、報告させてもらいます。

キラン図書館についての報告会
 ICLC(国際識字文化センター)は、ICLCP(パキスタン識字文化センター)と現地関係機関の協力を得て、2000年を皮切りに2007年までに、パキスタンの4つの都市、ラワルピンディ、ムルタン、ファイサルバード、ペシャワールにある青少年と女性の刑務所に、キラン・ライブラリーを設けました。キランとはウルドゥー語で太陽の光という意味です。
 パキスタンでは力のない青少年や女性に罪をきせるケースが非常に多く、刑務所には冤罪の囚人がたくさん収容されているとききます。また罪を犯したといっても、「バナナを店先から盗んだ」というような罪にならないようなケースもあります。一度刑務所に入れられると、権利を主張することもできず、囚われの身のまま大人になっていく、あるいは歳を取っていく。
 社会の一番難しい場所に押し込められたそういった人たちの、一筋の希望の光になるようにと、キラン・ライブラリー活動は始まったわけですが、識字のためだけではなく、心を癒してもらうための物語本、社会に出たときに役に立つためにの実用本も置いてあります。コンピューターを置いて、パソコン教室も行っています。
 このムルタン刑務所とファイサルバード刑務所のキラン・ライブラリー活動の中心人物である、ICLCPラホール地区責任者のタヒール・アヤーズ氏が、ちょうど来日中だったので、彼によってその報告会が開かれました。たまたま私も東京にいたので、バラングル村の多目的ホールで行っているキラン・ライブラリー活動の報告を静江さんと一緒にすることになりました。前々からお礼の挨拶をしたいと思っていました、キラン・ライブラリー活動に多大なる協力をしていただいた故鈴木東京外大教授の奥様も参加されました。
 報告会は、11月9日(月)、午後6時半から9時まで、青山にあるウイメンズ・プラザ会議室で行われ、タヒール氏の報告の後、ライブラリーの写真を見てから質疑応答。私は09年1月に制作したキラン・ライブラリー活動の映像を見てもらい、質疑応答をしました。
 報告会の後に、事務局の黒川さん(インド舞踊家、南インド文化の研究学者)と、インドネシアのアチューの3カ所で図書館を作ったという佐藤さん、静江さんの4人で食事をしながら話ができたのもよかった。

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写真:タヒール氏の報告の後、説明する田島伸二氏。
 
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