FC2ブログ

カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

7月2日~14日


 今年はこの冬の大雪のために、河川の水量が異常に多く、岩を砕いて流れる水流を見ているだけで恐ろしくなるほどだ。私の部屋は山肌にへばりついている村の上部の方にあって、川からは離れているが、川水がごろごろごちんと岩々をころがす音も例年になく大きく、部屋まで響いてくる。これで雨が降れば、鉄砲水が発生して、多くの土砂崩れが起こる可能性があり、川縁の家屋は要注意である。河川の水量が増えたことと関係があるのか、今年の夏は蚊が多い。バラングル村にはノミこそいるものの、蚊はほとんどいなかったのに、鋭い針をもち刺されたらかゆみが数日残る真っ黒い蚊が現れている。

 床と壁のセメント作業完成!
 ジャムシェールを、アユーンの町やオルゴッチ村に数回使いに出し、セメント職人を当たるが、来るといった職人たちなかなかやって来ない。7月2日、たまたまルンブール谷の国境警備隊の詰め所の建物のために待機していたセメント職人を、ジャムシェールが連れてきて、翌日から仕事部屋のセメント作業を始めることに決める。そしたら同じ日の数時間後に、約束していたオルゴッチの職人がやって来る。彼の方が本命だというので、すべてのセメント作業を2万ルピーで請け負ってもらうことになる。先ほどの職人はどうなるのかとジャムシェールにきくと、そっちは詰め所の仕事があるし、断れば問題ないという。
 翌日6時半頃に仕事部屋に行くと、もう職人は仕事を始めていた。やってる、やってると思って見ていたら、しばらくしてもう一人がやって来た。よく見ると、あれっ。後で来た方が本命ではないか。つまり断ったはずの詰め所のセメント職人がせっせと作業を始めていたわけだ。ジャムシェールに「あんた断りに行くって言ったじゃない」と言うと、「行ったけど、いなかった」といい加減なことを言う。詰め所の職人は自分が先に請け負ったと言い出し、プライドの高いもう一人の職人も引き下がらない。両天秤にかけたまま、きちんとした対処をせず逃げ腰のジャムシェールを呼んで、「こうなったのもあんたの責任だから、解決しなさい」と言ったら、彼は二人の職人の前で、「このセメント作業は自分が請け負う。職人一人につき1日の賃金が普通300ルピーのところを350ルピー払い、二人に仕事をしてもらう。」と言い渡す。職人が「じゃあ、昨日、この日本人(私のこと)の前で、俺に請負いを出したのはどうなるのか。」と本命職人が文句を言うと、「ボンボレットに行っている、俺の伯母さんで、この日本人嫁さんのボス(静江さんのこと)が、昨夜使いをよこして、請負いは俺自身でやれと言ったんで、仕方ないんだ。」と、うそも方便なのか何なのか知らないけれど、上手く丸め包める。その日から職人二人でセメント作業を始めて、11日後の7月13日、ボンボレット谷からバウック湖トレッキングに行ってきた静江さんが、バラングル村に戻ってきた日に、セメント作業はトイレ以外は終了した。多目的ホール、仕事部屋、倉庫の床と壁だから、けっこうな面積になり、この日数でやり終えたのは上出来と言えるかもしれない。仕上がりもきれいだ。しかし、このセメント作業だけで、当初の予算の倍以上かかってしまった。
20050731151639.jpg


二人のお葬式
 セメント作業開始5日目の昼前、下流にあるバラデッシュの男性が亡くなったとの知らせが入る。ジャマットも所属するドレメッセ一族の60代後半?のおじさんで、私がいつも世話になっているヤシールのお母さんの叔父さんである。前日の夕方まで畑の仕事をしていてピンピンしていたのに、夜になって急にお腹が痛みだし、アユーンの病院で亡くなったという。お腹が張れていたので、急性盲腸炎だったかも知れない。突然の死で、彼の妻、姉弟、娘、そして大勢の親戚一同のショックは相当なものだった。
 7月はパキスタン人ツーリストが多い時期で、大勢のカラーシャが痛み悲しむ葬式を、じろじろと物珍しそうに見るツーリストたちが非常に不愉快だ。毎年この月に休暇でやってくるデンマーク人のビルギッタは、ここ数年デジタル・ビデオ撮影に凝っているが、ここぞとばかりに撮影している彼女の姿も何だかわずらわしい。それでも彼女は、撮影したものを編集してコピーを私の多目的ホール用にもくれるというし、記録として意味のあることだが、実際に目の前で知ってる人が死んで横たわっていて、みんなが悲しむ姿を撮影する気にはなかなかならないものだ。
 この葬式の二日目に、うちの村のおじいちゃんが亡くなった。カラーシャの人の年齢は不明だが、みんなが言うには100歳ぐらいでルンブール谷では長寿の一人だった。山羊小屋で過ごすのが好きで、去年まではほとんど上流にある自分の山羊小屋で寝泊りしていた。しかし冬の大雪の時に、根上で滑って大腿骨を折ってからは全くの寝たきりになってしまい、折れた足は萎えてしまっていた。それでも7ヶ月の間、あの歳で生き延びてきたのだから大往生だといえるだろう。
 同じドレメッセ一族だから、先に亡くなったおじさんと一緒に並べて葬式をしたらいいという話もあったが、結局別にやるということで、一日遺体は家の中に鍵をかけて置かれた。
 三日目、先の遺体が埋葬され、弔い客や谷の人すべてに山羊の肉、カイー(肉汁に小麦粉を入れてとろみをつけたもの)、精錬バター、小麦タシーリが配られてから、おじいちゃんの遺体は家から出されて、新たな葬式が同じ場所で同じような規模で始まった。ボンボレットの弔い客の中には最初の葬式が終わって一度ボンボレットに戻り、夕方にまたやって来た
人もいた。多目的ホール&仕事部屋の作業をしていたカラーシャたちは、即作業を止めて、5日間徹夜で行われた葬式の方に関わり、ムスリムのセメント職人二人が監視のない状況で気楽に仕事をしていたもよう。

小さい文字
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://kalasha.blog4.fc2.com/tb.php/21-43b561b8
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。