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カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

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05年9月16日~29日


 このところの私の主な昼間の仕事は、1)不要な石で、多目的ホール&仕事部屋の敷地と道路との境界に石壁を造る作業の続き、2)多目的ホールの壁や扉、窓、棚のペンキ塗り、ということで、すっかり肉体労働者になり代わっている。夜は、発電所の改善工事でこの数ヶ月間電気がないので、もっぱらヤシールの家にいってダベリング。(ついでに夕食もごちそうになったりしている。)午後9時前に部屋に戻り、ベッドに横になり、ランプの灯かりの下で、読み物を少し読んで10時すぎには寝つき、翌朝6時に起きるという、まことに健康な生活をしている。電気がないから、それ以外に選択がないということもある。そう意味では電気がない方が人間にとって、健康でよろしいかとも思う。でも、部屋の中が一日中暗くて、整理整頓ができず、ひっちゃかめっちゃかで、これに喜んで、ネズミが走り廻る現象も起きているが。

パラルガー支谷歩き
 そういう生活の中でのニュースは、パラルガー行きであろう。ルンブール谷には下流の方からアチョアガー、サンドリガー、パラルガー、トラックドーの支谷があるが、この中でパラルガーにはルンブール谷に15年間住んでいて行ったことがなかった。ここにはバラングル村のワコケ一族の夏の畑地が散在し、家族が夏の間暮らしている。
 アクバル・ナワズの畑はパラルガーの一番奥にある。働き者の彼は昼間はバラルガーで家や畑の仕事をし、日が暮れる頃に、粉をひいたり、なんやかんやの用事でバラングル村にやって来る。そしてヤシールの家に顔を出す。
 ある晩ヤシールの家で、アクバル・ナワズが私に、「収穫したとうもろこしをネズミが食い荒らして困っとる。バーバ、あんたの猫を貸してくれないか?」ときいてきた。「えー?。あんたは猫が大嫌いだったんじゃない。この間も野良猫をこんにゃろと踏みつけていたんじゃない。」と私が嫌がると、「いや、確かに俺は野良猫や盗と猫は大嫌いじゃが、あんたの飼い猫は大事にする。毎食ミルクも与える。」と言う。「でも、うちの猫は子供を産んだばかりだから、、、」と一応断ったが、その後、うちのバカ猫ミーはよその牛小屋で子猫を産んだものの、子猫を死なせてしまったとの村人の情報が入り、確かに、私がベランダの半壊れのストーブで食事の仕度をする時は必ず、ミャアーとどこからともなく現れ、ゴロゴロのどを鳴らして甘えて、そのままテレーと横になりぐーぐー寝てしまう態度からは、とても子供を育てている親とは思えないから、もう子供はこの世にいないんだろうと私も信じた。
 その後もアクバル・ナワズからも何度もうちのバカ猫ミーへのリクエストがあったので、「じゃあ、連れていってもいいよ。」と承諾し、バカ猫ミーにレースの首飾りをつけてやり、「あんたはしばらくパラルガーのアクバル・ナワズの家に世話になるんだよ。あそこではミルクもくれるというし、なんといってもあんたの大好きなネズミがいっぱいいるそうだから、たくさん食べて太ってから、冬に戻っておいで。」と何度も言い聞かせた。しかし、アクバル・ナワズは夕暮れにバラングル村に来て、翌朝夜明けと共にパラルガーに帰っていく。バカ猫ミーはうちの飼い猫だが、部屋の中では飼ってない。ベランダで火を焚くとやってくるので、その辺で寝てるんだろうが、夜明けに火を焚くのは私にとって容易ではない。ということで、タイミングが合わぬまま、時間が過ぎていった。
 9月19日に英国人ツアーの一行がサイフラーのゲストハウスにやって来た。60代や70代の夫婦がほとんどだが、とても元気だ。私の写真集も6冊買っていただき、20日の夜に食事に招かれ、話がはずむうちに、翌日の彼らのパラルガー行きに、「私もミーを届けに行こうかしら」ということで、サイフラーの18歳の娘グリスタンと一緒について行くことになった。
 9月21日朝、山歩きに備えて、変形性関節炎に効く薬を飲んだら、左ひざ上大腿骨に蕁麻疹が出た上に、いつもミャアーとやってくるミーも来ないので、やはり行くのは止めようとグリスタンに言いに行くと、グリスタンは村中探してミーを連れてきた。それでは行くしかないと、ミーに紐をつけて、チーズつきパンの食事を与えて、だっこしていざ出発という時に、ミーは何か異常を感じたのか嫌がり落ち着かない。そのうち、臭いおならを発したので、「さっき食事したから、ウンチしたいのかも」と、私は紐のついたミーを地面におろした。ウンチ場に行くのかと思ってついて行ったところが、子猫を産んだ牛小屋に行き、そこの梁に上り、紐をひっぱったまま、降りようとしない。私は「ひょっとして、牛小屋に子猫が生きているのかも」と思い、ミーを連れて行くのは止めにした。でもグリスタンがもうすっかり行く気になって待っていたので、「途中で引き返すかもよ」と言いながら、出発。
 その頃には英国人一行はずっと先を歩いていて、パラルガー支谷に入る時には全く姿が見えなかった。つまり、パラルガーに行ったことのないグリスタンと私の二人っきりで、道も知らぬままアクバル・ナワズの家をめざしたわけだ。ほとんど行程は沢の岩場の道で傾斜もあまりなく、足場は悪いが、水辺だし、ほとんどが日陰だったので涼しいし、思ったよりきつくない。途中ムスリム改宗者の息子に会っただけで、誰にも会わず、一人だったらこわいだろう。アクバル・ナワズの畑と家は、最後の土壇場で、急な尾根伝いを30分ぐらい登ったところにあった。全工程で3時間かかった。20050930140449.jpg

写真:大岩の滝を背景にポーズをとるグリスタン

 英国人たちはとうに到着していて、お茶を飲みながらくつろいでいた。畑の上方の見晴らしのいいところに、彼らのツアー・オーガナイザーが建てた二部屋の木造のレスト・ハウスがある。山小屋風でなかなかよろしい。足に自信がある人は、ここで一泊した後に、山稜を越えて、チトラール側に出るトレッキングをするが、今回はみんな翌朝バラングルにひき返す。私も疲れていたのと、雨が降り出したので、アクバル・ナワズの家のベランダに泊めてもらった。標高2580メートルで、けっこう風が吹き、夜は多少寒かったが、村よりももっと自然に近づき、空気もさらに浄化された中で、久しぶりに心も洗われた気がした。


 写真:アクバル・ナワズの家畜小屋と家

発電所のメインルーム建設
水力発電所プロジェクトの方は、発電所の建物の建設が急ピッチで行われている。しかし、9月21日に木から落ちて意識不明だった男性が亡くなったので、またしても葬式があり、これで2~3日間遅れることとなった。(本来ならば埋葬までに3日間、その翌日墓場にお供え物をしてから、喪に服する儀を行うので計4日葬式に費やされるのだが、収穫時でもあるせいか、ボンボレットからもビリールからも参加者が少なく、1日早く終わった。こうやってカラーシャの葬式も短くなって行くのかもしれない。)
 そしてまた、現場を指揮しているサイフラーが、チトラールの県知事のミーティングに呼ばれたり、山林の伐採権の裁判に出なければならなかったりするので、急ピッチもつかえつかえにならざるを得ない。そして肝心の発電機とタービンは、カラチからタキシラの工場にはとうに到着していたが、テストをした結果、部品を換えることになって、それで遅れたが、もうチトラールに向かっているという話なので、今日ぐらいには届いているかもしれない。
 20050930140653.jpg


 写真:発電所のメイン・ルーム建設現場(9月18日)

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