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カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

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05年10月18日 悲報


一体この世の中はどうなっているんでしょう?
熱意と善意で満ちていた、
日本とパキスタンの掛け橋であり、
これからの時代のホープの一人になるはずの猪俣修さんが、
ラホールからイスラマバードに向かう高速道路で、
突然の交通事故に会い、3日後の10月16日に他界されたとは。

猪俣さんは1998年ごろに海外青年協力隊として、
イスラマバード郊外のアリプール村に、
村興し事業を促進させるために赴任されていた。
同じ頃に、田島伸ニさんが識字教育の一環として始めた「手すきの紙作り」を
村興し事業の骨組の一つとして導入、田島さんから指導された紙作りを
村人に教え広げた人物である。
パキスタンに紙作り活動を絶やさないために組織されたCPC
(Creative Paper-Making Committee, 代表・田島氏)でも
副委員長として活躍された。
田島さんが手がけた紙作りを、高質の売れる紙製品にまで作り上げて販売、
その益金をNGOの運営費の一部にしているサヒル
(Sahil、子供を性的虐待から守る会)の紙職人の多くは、
猪俣さんが関わってきたアリプールの人たちである。
猪俣さんが協力隊の任期が終わって、いったんパキスタンを去る時は、
村に「イノマタ・ミュージアム(猪俣博物館)」ができたほどです。

帰国された猪俣さんには、東京のICLCのワークショップでお会いした。
今度はイギリスに留学するときいて、もうパキスタンとは縁を切られたのかと、
少し残念に思った記憶がある。

昨年の夏、CPCとICLC主催の紙すきワークショップがラホールで開かれた際に、
猪俣さん自身は準備に忙しくて、いらっしゃらなかったが、
新婚間もない猪俣さんの奥さん、まさこさんとお会いした。
東京のワークショップで猪俣さんから紹介されていたので、
まさこさんとは初対面ではなかったが、その時、猪俣さん夫婦が
今度はJICAの仕事でラホールに2年間ほど赴任されるときいて、
「猪俣さんはやっぱりパキスタンに戻ってきてくれたんだ」と喜んだものだ。

私は北西辺境州の北にいるので、ラホールで仕事されていた猪俣さんには
再赴任されてから1度も会っていないことが、心残りです。
愛と希望に満ち溢れていた猪俣さん、安らかにご永眠をというには
あまりにも若すぎました。
天国で日本とパキスタンの行方を見守ってくださいね。

この事故でまさこさんも重傷を負われたそうです。
まさこさんの、一日も早いご回復をお祈りするばかりです。





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