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カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

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日本より忙しい生活

 チトラールには午後1時ごろ到着。自家用バンのタクシーをチャーターし、外国人登録をする静江さんについて警察へ行き、当面必要な米、紅茶、缶詰、ラーメン(パキスタン製)などを購入して、行くぞ1年ぶりのルンブール!には夕方5時頃到着。葬式があったばかりだったが、村人は元気だった。みんな、「足は良くなったか」ときいてくる。「悪かった骨を取って、別の人工骨に取り替えたから、もう痛くないよ。」というと、びっくりこわそうな顔をして、「そりゃ、ほんとに大変だった。我々もあんたの手術が成功するよう祈ってたよ。でも良くなってよかった。神のおかげだ。」てな会話をあちこちでする。私の住処である「多目的ホールと作業室」の門からに建物に通じる通路はジャムシェールが石畳にしてくれていた。前はただの石混じりの荒れ地もきれいに整地されて花が植えられた庭になっていた。これは静江さんが昨年ジャムシェールに発破かけて指示してくれたおかげだ。
 翌日から荷物をほどいたり点検するのと平行して、今年予定している2階の増築を引き受ける大工さんを手配や、多目的ホールでの活動のために忙しい。いつもの私だったら、長期間留守していたので、荷物のチェックや掃除、洗濯だけにまず1週間はかけていたところだが、私の足を考慮して静江さんが外に連絡に行ってくれたり、また大工の手配に関してはヤシールがあちこちに動いてくれたので、1週間のうちに大工の手配も済み、学習会、ライブラリー、ハンディクラフトの研修会を始められたのは快挙であろう。
 大工手配は結局2週目半ばにして、決まっていた大工さんがダメになり、振り出しに戻ることになって困ってしまったが、最後の望みの綱である谷の支流奥に住む定住遊牧民(グジュール)の大工2人がやってくれることになり、やれやれというところ。

多目的ホールでの活動
 盗難と保護のために、昨年秋の活動を終えてからホールに置いてあった2階の増築用の木材を、私たちが村に着いた翌日、ジャムシェールと若者2人で外に出す。2日目、セメント床を水で流しながらきれいにして敷物を敷いてもらい、私は書類やノート・パソコン、ビデオカメラ、テープなどの機材が入っているキャビネットの掃除と整頓。3日目には女性を集めての「学習会」を行う予定だったが、雨で翌日に延期した。
 4日目、午前中に手すき紙用の戸棚の掃除と整頓をしている最中、静江さんがグリスタンを呼んできてくれたので、翌々日に行うハンディクラフト研修会についての打ち合わせ。サイフラー議長の一人娘のグリスタンは、家でゲストハウスを経営しているので、ビーズの腕輪(バスバン)や頭飾り(シュシュット)を作って外国人のゲストに売ったりしていて、他の村の娘たちより外国人のハンディクラフトの好みなども理解しているし、何と言っても独身でしばらく結婚しそうもなく(プロポーズされたりはしていると思うが、彼女にその気が見受けられない)いろいろと動きやすいので、いずれは彼女にハンディクラフトの責任者になってもらおうと私たちは考えている。彼女も交えて、うちの村とちかくの村の女性の中で、手が器用で、幼い子がおらず、時間の融通がきく女性を7人ほどハンディクラフト作成隊として選ぶ。
 午後3時からは「女性たちの学習会」。まず、ホールの玄関前に小さい女の子を集めて、ビスケットを配る。これは新潟の本間さんから「子供たちにお菓子をおみやげに買って」といただいたお金でチトラールで買ったものだ。「金をもらえないのなら、語りはしない」と言っていた語り部のコシナワス翁もひょこひょこやって来て、入り口の前で躊躇していたので、「ほらほら、ホールに入って。あなたの話も必要なんだから」と促すとあっさり入ってくれた。
 翁は昨年からボンボレット谷で活動するギリシャ人NGOに雇われて、ボンボレットの学校で語りをするのに毎月6千ルピー(1万2千円)の高給をもらっている。冬の間はギリシャ人が国に帰るので、翁は村に戻ってきているが、休みなのに月に3千ルピーをもらっているという。何もしないで給料をもらっているのだから、学習会で30分ぐらいカラーシャの祭りや伝統行事について話をするのは、次世代に継承させていくのに必要なことだから進んでやってくれてもよいのに、いちいち金、金とうるさいのには少し腹が立つ。せっかく、いくらかのお礼は出そうと思ってはいても、向こうから言われると嫌になる。
 コシナワス翁の喪開けの行事についての話があった後、DVD上映会をする。今回日本から持ってきた「日本の祭り(神)」を上映。東京浅草の三社祭や千葉のはだか祭り、秋田のかまくらなど日本の種々の祭りを楽しんでもらった。中でも佐渡の羽茂まつりの五穀豊穣、子孫繁栄を祈願しての踊り(男たちが面をかぶって男女の営みを踊りにしたもの)にはみんな笑っていた。カラーシャのチョウモス祭りでも全く同じ主旨でこの踊りが行われるので、説明は不要だった。海で行うはだか踊りも、海の波を見たことのない山の民たちには想像を絶する祭りに見えたもようだった。帰りがけに大人たちにもビスケットを手渡す。
 5日目。翌日にイストンサーラスの行事があるので喪明けの行事が、前の週に葬式のあった家で行われるので、10時すぎ、人が少なくなった頃を見計らって行く。グロム村は急勾配にへばりついて建っているので、人工股関節を入れている身としては、乾いた土で滑りやすい下り道がちょっとハラハラだった。午後に「キラン・ライブラリー」を開ける。小学校の年少組がたくさん来た。ヤシール(教員)も来てくれた。年少組の中にはしかしほとんど字を読めず、ただページをめくるだけの子もいるが、本に接する機会を持つだけでもよしとしなければならないとは、元教員の静江さんの言葉。今回新しく仕入れたウルドゥー語の絵本の中から1冊、ジャムシェールが読みきかせをした。
kiran library 080327
写真:読み聞かせをするジャムシェール
 7日目はハンディクラフト研修のミーティングを開く。私たちが選んだメンバーの他にグロム村からも、カラーシャ伝統の織り仕事を積極的に行っている女性も来たので、指導役の2人のおばさんと5人の若い娘たちで計7人の参加となった。まずは私がカラーシャ織りを生かして作った袋物や、アジアの国で買った小物などの見本品を手に取らせて見せる。そして、「こういった売り易い小さなハンディクラフトをホールに展示すれば、みやげが欲しいツーリストはたいてい買ってくれる。カラーシャ服や帯、頭飾りはかさばるし、値段も高いので、特殊なツーリストしか買わない。どういうものが売り易いか、私や友人が指示するので、カラーシャの特色を出したハンディクラフトを作ろうではないか。それが売れれば、作る人にも賃金を払えるし、売ったお金の一部はホールでの活動資金源にもなる。ホールでライブラリーや学習会などの活動は、今の時点では日本の友人たちからの寄付でやっているけど、いずれは自分たちで資金を作り出すようにしなければ、この活動は成り立たなくなってしまう。みんなでがんばればお互いの利益になるから、やっていきましょう。」と話す。グリスタンはNさんからいただいた編み紐の本の写真解説を見て、「写真で一つ一つやり方を載せてあるから、この通りにやれば、すぐできるようになるよ。簡単!」と顔を輝かす。いずれ、こういった新しい挑戦もしてもらうことになるだろう。 
 上記のように、村に着いてわずか1週間でこれだけのことを行った。その上、今回はだしの素、わかめ、のり、ふりかけ、梅干しなど日本食材があるので、それらと現地の野菜や缶詰、玉子などを取り合わせて、ごはんやスパゲティーなどを昼食と夕食を私たち2人できっちり作っているので、1日中フル回転に忙しいというわけだ。

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