カラーシャの谷・晶子便り

パキスタン北西辺境州の谷に住むカラーシャ族と暮らすわだ晶子の現地報告。

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東京での講演会のご案内

寒い冬をいかがお過ごしでしょうか?
さて、私が佐賀から東京に戻ったときに、
以下の通り、講演会を開く予定をしています。
お時間がある方はぜひお越し下さいますようお願い申しあげます。

ご案内

●東京
期日:2010年3月13日(土)午後3時~5時
場所:国立市国立公民館 
   国立市中1-15-1   電話番号 042-572-5141 
   (JR国立駅南口 富士見通り徒歩5分)
講師:わだ晶子
入場無料

内容は、
1、パキスタンの国の説明
2、カラーシャ族の説明
3、住むようになった動機
4、活動の映像、村の様子の画像の上映 
5、パキスタンの現状、平和問題
6、簡単な質疑
です。

会場では、写真集「カラーシャ/その伝統と生活」および
村の女性たちと作った「創作クラフト」も展示販売します。
カラーシャ族について、パキスタンについて、
ハンディクラフトについて興味がある方は
ぜひ足をお運びください。

なお、会場の準備のために人数を把握する必要がありますので、
参加を希望される方は、申し訳ありませんが、
私の方までお知らせください。

よろしくお願いいたします。

わだ晶子
akkowa25@hotmail.com

講演のお知らせ

パキスタンの少数民族の谷で暮らして」の案内

以下の通り、佐賀(1月)と東京(3月)で講演会を開きます。
●佐賀市
期日:1月23日(土)、午前11時~12時半ぐらい
場所:佐賀大学まちづくりサテライト「ゆっつらーと館」
   呉服元町7-3 呉服町656広場そば
   電話 40-8570
入場無料:
  
内容は、
1、パキスタンの国の説明
2、カラーシャ族の説明
3、住むようになった動機
4、活動の映像、村の様子の画像の上映 
5、簡単な質疑
です。

会場は80名ほど座れますですので、少数民族、パキスタン、アジアの国に
興味がある方はぜひお越し下さい。

東京の講演会は後日案内します。

活動だよりー2009年総まとめー


新年明けましておめでとうございます。
2010年もどうぞよろしくお願いいたします。

 09年4月はじめにドバイ、ペシャワール経由でイスラマバードに到着。成田からの直行便でパキスタン入りした静江さんとイスラマバードで落ち合いましたが、翌朝のフライトでは私の席がなかったため、静江さんの席を譲ってもらってチトラールに飛び、ルンブール谷に戻りました。彼女はこのため6泊もイスラマバードに足止めされてしまいましたが、そのおかげで、私はカラーシャ家族の伯父さんの死に際に間に合い、葬式に参加し、その映像も撮影することができ、運が良かったと思っています。

キラン・ライブラリー
「ライブラリーには来るが、理解して本を読んでいない」どころか、「読んでいるふりをしていて、ほとんど字が読めていない」子供たちのために、静江さんはヤシールに手伝ってもらって、ウルドゥー語のアルファベットのカードを作りました。遊びながら字を覚える「カルタ取り」は、低学年の子供たちに大人気でした。残念ながら、5月半ばの春祭りが終わったら、多くの家族が村を出て夏の畑地に移住したので、アルファベットの半分もいかないまま終わってしまったのですが、冬期のライブラリーで、ヤシールとジャムシェールがうまく使ってくれることを期待します。
また、カラーシャ人が作った「カラーシャ語のおさらい本」を寄贈してもらい、高学年の子供たちに人気が集まっていました。近い将来、私たちも子供たちとカラーシャ語の絵本を作りたいと思っています。
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寒い時期はストーブのそばで読書









●大人の学習会
村人たちのミーティング(IDカード取得の必要性、衛生の話など)を開いた後に、06年にルンブールの谷奥の「妖精の湖」をトレッキングされた増田夫妻撮影の映像、またここ数年来、村訪問の常連であるS君の地元の祭りの映像も上映、村人たちにたいそう喜んでもらえました。
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日本の祭りのビデオをみんなで見る









●創作クラフト活動
4月から5月は(滞在中の静江さんの)注文のクラフトを仕上げるのに忙しく、彼女が帰国した後は、クラフト員を増やして、私たちのメイン商品である「山羊のコースター」以外にも、新しい小物作りに力を入れていきました。しかしながら、(チトラール地方はタリバンもおらず、相変わらずのんびりムードとはいえ)、パキスタンの全般的な治安が悪くなっていき、アメリカに後押しされたパキスタン軍のタリバン掃討作戦のために、ペシャワールから通じる陸路も閉ざされていて、カラーシャ谷を訪れる旅行者が激しく減ってしまったために、多目的ホールに展示したクラフト類の販売も頭打ちの状態でした。
 ただ、旅行者が来ないことも問題ですが、それ以前に、「非常に限られた材料で、限られた道具を使って、カラーシャの特色を出しながら、質の良いものを作り、リーズナブルな価格で売らねばならない」という課題を克服することです。しかも、村人たちの生活習慣を変えない範囲の、空いた時間に制作活動に参加してもらいたいので、仕事の時間が少ない条件で、彼女たちの技術を向上させるのも簡単ではありません。
 バラングル村の総人口380人。乳児からお婆ちゃんまで合わせた女性が178人、夏場だとその半分以下になる。その中で、さらに、乳児を抱えてなく、喪に服してなく(喪中だと色のついた糸などに触れない)、手が器用な女性はそう何人もいないという現実もあります。こういった様々な問題を解決しながら、どう活動していくかが、これからの課題です。
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作業に忙しい女性たち









●教育支援と医療支援
今会期より、高校生への教育支援と、重病人の医療支援を始めました。
・ルンブール谷には小・中学校はありますが、高校に進学するとなると、隣のブンブレット谷の高校に、親戚の家に寄宿しながら通い、月に2、3回、週末に実家に戻る生活をすることになります。高校生になると、教科書やノート代が高くなる上に、ブンブレット谷に行き来するジープ代などもかかり、親の支出がぐっと増えるので、現金収入があまりない親たちはどうやりくりするのだろうと、前々から心配していました。政府や外国のNGOから援助金が支給されることもありますが、昨年は、特定の窓口を持っている家族以外、援助金は出ませんでした。
こういう背景の中で、家族に定収入がなく(家族に月給取りがいる場合は対象外に)、成績の良い高校生の各学年男女1名ずつ、計4名に、高校に通うための必要経費の一部を援助しました。学年トップの生徒に、ジープ代が払えて、筆記用具が買えるほどの金額(300Rs)を、次席の生徒たちにはその半額(150Rs)を、毎月8ヶ月間(開校時のみ)支給しました。高校に進学する生徒が増えているので、今年は支給する生徒の数を少し増やしてもいいかと思っています。
・医療支援は、これまでにも、村の人たちに怪我の治療をしたり、歯痛や頭痛などのちょっとした病気の薬をあげたりしてきましたが、昨年からはできる範囲で、小規模な金銭的医療支援も始めることにしました。昨年は1件、現金収入のない家の乳児が病気して、チトラールの病院に連れていって入院した際、治療と薬代、ジープ代にかかった費用のおよそ半分を援助しました。
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支援金を受けたナシムとエリカ  









●2階増築が終了
私自身は、08年からの2階の増築作業が続いていて、大工さんに出す食事、おやつ、お茶作りをしながら、クラフト隊の女性たちと共にクラフト制作、なおかつ新商品開発に打ち込んでいたので、外に出る暇もないくらい忙しい毎日でした。秋に、その、3年がかりの増築作業がほぼ終わったので、大きな肩の荷が降りました。2部屋のうちの1つは、紙すき作業場として竃と流しを設置しました。私も、これまで寝泊まりしていた1階のクラフトルーム(作業室)からようやく2階の部屋に引っ越しできます。屋根に面して広いベランダも作りましたので、天気が良い日はベランダでクラフト作業や紙すき作業をすることが可能です。また1階ライブラリーの雨漏り防止のために、2階の西側石塀に屋根も作りました。
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紙すき用のかまどもできた










***********
「多目的ホール&創作クラフトルーム」での活動と運営は、
最終的には村人たちで動かしていくのが目標ですが、
現時点では活動費の多くが、
みなさまの寄付によって支えられています。
今後ともご協力よろしくお願いいたします。
     連絡先
AKIKO WADA (わだ晶子)   
Email: akkowa25@hotmail.com         

「ジョワルベックの葬式と未亡人の喪」の映像を編集


09年12月7日
 何とまあ、九州に帰省してから半月も経ってしまった。毎日、散歩がてら、買い物や図書館などに出かけはするものの、事前にアポをとって人に会ったり、特別な場所に出かけるということをまだやっていない。この半月の間、両親以外では、週末にくる末弟と、たまたま訪ねてきた叔父夫婦と話をしただけという、この何十年間で、いや生まれて初めての、半引きこもり生活をしたかも知れない。この間何をしていたかというと、はい、映像の編集でした。

 7年前に、カラーシャの伝統行事や生活を記録するためにと、東京の弟からデジタルビデオを買ってもらった当時は、何でもかんでもビデオで撮っていたが、ここ数年、多目的ホールでの活動に追われて、撮影するのはその活動シーンがメインになって、他のシーンをだんだん撮らなくなった。さらに今年の冬に、末弟からお古のデジカメをもらってからは、小さい方がつい便利で、よけいにデジタルビデオを使わなくなってしまった。
 唯一、今年4月に他界したジャマット・カーンの叔父さん(ジャマットの父親は赤ん坊の時亡くなり、3人の叔父さんに育てられた)の葬式の様子と、叔母さんの喪の習慣だけは、割り合いきちっとビデオで撮影した。これだけは編集してまとめたいと思い、撮影してすぐにパソコンに取り込んだはいいが、やはり夏、秋と時間がなくて編集ができず、映像のクリップはパソコンに入ったままになっていた。
 今回2ヶ月早くなった一時帰国で、ゆっくり考える暇もなく荷物作り。まず、バッグに今年作ったクラフト製品を詰め込む。パソコンは絶対に持って行かねばならない。自分の身の回り品を極力減らして作った荷物は、ビデオカメラなしでどうにか自力で持てるかな、ちと人工股関節の身としてはきついかなというところ。で、ビデオカメラは置いていくことになった。

 そうなると、今年少しだけ撮った活動映像なども、日本で報告するときに必要かもしれないので、ビデオカメラからパソコンに取り込んでおかないとならぬと、向こうを出る寸前に、そういった映像も取り込んだ。すると、パソコンの容量がぎゅうぎゅういっぱいになってしまったのは言うまでもない。
 この容量オーバーをどうにかしないとパソコンがちゃんと働いてくれないので、佐賀に来てから、まず画像の整理をすることにした。ところが。今まで、不要な画像をiPhoto からゴミ箱に入れたら削除されていると思っていたのに、空き容量が増えないのだ。そしたら、消されたはずの画像が「すべてのイメージ」のところにでーんと居座っているのを発見。しかも2枚、4枚と重複して。
 ごちゃごちゃここで書いても、くそおもしろくもないだろうから途中は省略する。最悪だったのは、重複している1万枚以上あるイメージやムービーと闘った後に、多少ディスクの空き容量を増やして、「葬式と喪」の編集をしているときに、非常に重要なシーンのクリップが消えてしまったのだ。きつねにつままれたようだった。「bugの可能性があるのでは」とパソコンが警告するんで、もう復活しないと思ったけど、ひょっとしてソフトのアップロードをやればなおるかもと、意味のない希望をもって、アップロードに挑みました。そういえば8ヶ月間、アップロードしてなかったんですね。
 電話線でインターネットに接続してアップロードを開始したら、最初、「2時間かかる」と青い棒グラフが出て来た。「えっ、2時間も電話線つなぎっぱなしにしとくのかい!(電話代がかかる)」と驚いたが、この際、多少の費用は目をつぶろうと決心。しかし2時間過ぎても「後2時間」とグラフが出て来る。3時間半ぐらい経過した頃に、不手際で電話線が切れてパア、元の木阿弥。今度は夜にインターネットに接続した。そしてそれから2時間経過していたのにかかわらず、今度はなんと、「後、5時間かかるぞ」と棒グラフが出たのです。さすがに電話代がこわくなったし、夜通し起きていたくないので諦めた。こんなことだったら、東京でやっとけばよかったよ。

 幸い、消えたクリップは後で現れてくれたが、こういったストレスをいっぱい抱え込んで、一応「葬式と喪」の編集を昨日やり終えたわけです。編集しながらあらためて、カラーシャの死に対する観念と実行方法はなかなか素晴らしいと思った。生と死をお祝い事ととらえ、祭りと同じ規模でみんなで送り出すカラーシャの葬式は、日本の葬式より百倍もいいと思う。ただ、費用がかかり過ぎるのと、後に残った未亡人の喪の規律は大変過ぎる。こういう習慣もだんだんとなくなっていくのだろうか。
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写真:葬式の後、喪に入る頭と髭そり儀式

キラン図書館についての報告会

09年11月28日
 九州、佐賀の親元に帰省してから一週間経った。高齢の両親に合わせた生活は、買い物と賄い以外にたいしてメリハリがなく、のろのろゆっくりだけど、ルンブール谷から来た私としてはやり易い。
 その逆だったバタバタあわただしかった東京の10日間滞在の中で、一つ、ブログに載せるべきだったイベントのことを忘れていたので、遅ればせながら、今、報告させてもらいます。

キラン図書館についての報告会
 ICLC(国際識字文化センター)は、ICLCP(パキスタン識字文化センター)と現地関係機関の協力を得て、2000年を皮切りに2007年までに、パキスタンの4つの都市、ラワルピンディ、ムルタン、ファイサルバード、ペシャワールにある青少年と女性の刑務所に、キラン・ライブラリーを設けました。キランとはウルドゥー語で太陽の光という意味です。
 パキスタンでは力のない青少年や女性に罪をきせるケースが非常に多く、刑務所には冤罪の囚人がたくさん収容されているとききます。また罪を犯したといっても、「バナナを店先から盗んだ」というような罪にならないようなケースもあります。一度刑務所に入れられると、権利を主張することもできず、囚われの身のまま大人になっていく、あるいは歳を取っていく。
 社会の一番難しい場所に押し込められたそういった人たちの、一筋の希望の光になるようにと、キラン・ライブラリー活動は始まったわけですが、識字のためだけではなく、心を癒してもらうための物語本、社会に出たときに役に立つためにの実用本も置いてあります。コンピューターを置いて、パソコン教室も行っています。
 このムルタン刑務所とファイサルバード刑務所のキラン・ライブラリー活動の中心人物である、ICLCPラホール地区責任者のタヒール・アヤーズ氏が、ちょうど来日中だったので、彼によってその報告会が開かれました。たまたま私も東京にいたので、バラングル村の多目的ホールで行っているキラン・ライブラリー活動の報告を静江さんと一緒にすることになりました。前々からお礼の挨拶をしたいと思っていました、キラン・ライブラリー活動に多大なる協力をしていただいた故鈴木東京外大教授の奥様も参加されました。
 報告会は、11月9日(月)、午後6時半から9時まで、青山にあるウイメンズ・プラザ会議室で行われ、タヒール氏の報告の後、ライブラリーの写真を見てから質疑応答。私は09年1月に制作したキラン・ライブラリー活動の映像を見てもらい、質疑応答をしました。
 報告会の後に、事務局の黒川さん(インド舞踊家、南インド文化の研究学者)と、インドネシアのアチューの3カ所で図書館を作ったという佐藤さん、静江さんの4人で食事をしながら話ができたのもよかった。

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写真:タヒール氏の報告の後、説明する田島伸二氏。
 
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